#19.豊穣の女神
◇◇◇ “金色亭” 2階・自室/夜──
日が落ち、梁の影がゆっくり伸びる。油ランプの火が芯の先で小さく跳ね、机の上の紙片に橙の輪を作った。昼のあいだに集めたメモを扇みたいに広げ、端を小石で押さえる。外からは、大通りの片付けの音——樽が転がる鈍い響きや、店じまいの戸板がはまる乾いた音が、波のように届いてくる。
——街中でマリエラに遭遇。
——冒険者を避ける。
——足早に退去。
「名前も容姿も間違いなく“マリエラ”……なのに、どうして冒険者をああも嫌う?」
ゲーム時代、学園都市で見た彼女は、おとなしいけど芯の強い子だった。多少の危険にも目をそらさない。——少なくとも、俺の記憶では。紙片の角を指で揃えながら、ひとつ息を吐く。
「ま、ともかく——クラスメイトにならなかったメインNPCたちも、この世界で普通に生きているのは確かだな」
ということは、もちろんメアリも。
そして、No.562に転生しなくても“今ここ”で彼女と出会える導線が、どこかにある。
(……俄然、やる気が出てきた)
背伸びで肩を鳴らす。ルシフェルに“答え合わせ”を求めれば早いのは分かっている。だが今は——自分の足で確かめたい。あいつは観測者。基本は不干渉のはずなのに、俺にはやたら手厚い。善意だけじゃないのも本人が言っていた。ジョークで世界を折る——やろうと思えばできる存在だ。
(こっちも転生というカードがある。軽率に頼るのはやめとく)
戸が二度、軽く叩かれた。
木口の擦れる音に続いて、気配がする。
「入っていい?」
「どうぞ」
ラミーが顔をのぞかせ、するりと入ってくる。麦藁の匂いをまとった風が一緒に滑り込み、カーテンの裾をつまんだみたいに揺らした。昼間、マリエラ周りの聞き込みを頼んでいたのだ。
「調べてきたよ。マリエラは言ってた通り“地母神”の神殿の神官。三年前、この辺りがひどい不作でさ、その時に“レーヴェン”の大聖堂から派遣されてきたって」
「三年前……。で、なぜ冒険者を避ける?」
「そこがね——分からない。でも、同じ馬車で来たって冒険者がいて、当時の彼女は“冒険者志望”だって言ってたって。あと今よりなんというか……もう少し幼い雰囲気だったって」
「三年で、心境が反転……?」
「しかもね。怪我した冒険者を自分から治療するくらい、今も友好的なんだって。にもかかわらず、ギルドに登録を勧められた時は……悲しそうな顔で断ったらしい」
「好きだけど、できない理由がある……か」
「たぶん、その線」
ラミーは椅子の背に尻尾を引っかけ、ぶらんぶらんと揺らす。ランプの光が毛並みを淡く縁取った。
「了解。助かった。俺の方の情報と合わせると、輪郭が見える」
「ほんと? じゃ、そっちも聞かせて!」
「ああ。“地母神”と、近々の“収穫祭”について」
ラミーの目がきらっとなる。分かりやすい。机の隅の紙片を二枚摘んで、簡単な図を描く。神殿の位置、広場、祭壇の向き。
「“地母神”はこの地で最も信仰が厚い。多産と豊穣の神。神殿の彫像は緑の髪に豊かな胸の成女の姿——見たろ?」
「うん、緑髪」
「“収穫祭”は今年の豊作への感謝と、来年の祈願。歌と供物を捧げる。数年前から、“豊穣の女神”に似た容姿の神官が儀式の中心を務めるって形式になって、これが評判。近頃じゃレーヴェンや周辺からも見物客が来るほどらしい」
ラミーが身を乗り出す。椅子の前脚が床でキッと鳴った。
「わかった。それが——」
「「マリエラだ」ね!」
俺たちは同時に口にして、思わず顔を見合わせる。
ラミーが「やった」と小さくガッツポーズ。尻尾も勝手に参加して、ぽふっと背中を叩いてきた。
◇◇
情報を積み木みたいに積み直す。紙片の上で、言葉が四角く組まれていく。
——マリエラは元々冒険者志望。
——だが緑髪という希少性から、祭事の象徴として担ぎ上げられた。
——“収穫祭の顔”であり続ける圧。
——冒険者に好意的で、登録の打診もあったが断った。
——好きだけどできない。留まるための理由を、彼女自身が選んだ。
「うう〜……それ、可哀想だよ。冒険者になるために神官やってたのに、象徴にされちゃったなんて」
「ああ。ただ、これは俺たちの推測だ。彼女がどうしたいかは、本人にしか分からない。……とはいえ、彼女がパーティに加わってくれれば、彼女の夢は前へ進むし、俺たちは回復役を得てまともに冒険へ出られる。ここは——なんとかしたい」
「何か策はありそう?」
「あるにはあるんだけど──。」
「……けど?」
「非常に胸が痛い。胸だけに。」
「なにそれ? よくわかんない。」
ラミーが目をシパシパさせ、耳をぱたぱたさせる。俺は苦笑しつつ、紙片の一枚を裏返して計画の骨子を書き始めた。祭の動線、神殿の警備交代、供物の運搬時間、そして——彼女に声をかける最も静かな瞬間。
「要は、彼女の“役目”にきちんと敬意を払ったうえで、別の選択肢を提示する。俺たちの都合を押しつけない。そのために、祭の段取りを全部把握する。……胸が痛いのは、たぶん正面から当たるからだ」
「ふむふむ? 当たるのは得意だよ。物理的にも!」
「物理はやめてくれ」
笑い合ったあと、俺はラミーに向き直る。
「じゃあ説明する。必要な準備は三つ——情報、スキル操作、そして“逃げ道”。彼女が断っても、元の生活が傷つかないように」
「うん。やろ! 胸が……痛いのは、フィンに任せる!」
「任せられても困るけどな」
窓の外で、鐘がひとつ。ゆっくりと夜が降りてくる。
俺は紙片を重ね、糸で束ね、計画の見出しに小さく線を引いた。
その後、目をシパシパさせたラミーに向けて、俺は計画を順に説明するのであった。ランプの火が低くなり、部屋の影が深まるのと同じペースで、作戦の輪郭は静かに濃くなっていった。
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【次回】#20『収穫祭』
カナンの夜に豊穣の女神が舞う。マリエラの“本当の胸の内”とは——後に伝説となる夜が始まる。
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