#18.冒険者と神官と
◇◇◇ カナン周縁・耕作地/昼——
“カナン”に着いて七日。
干し草と麦の匂いが、風と一緒に肺の奥まで入り込む。遠くで刈り取り歌が揺れ、刈鎌が陽をはね返して瞬く。畝は海のうねりみたいに続き、農民が列を組んで小麦を倒すたび、金色の粉じんがふわり舞い上がった。畑の外れ、森へ向かって張られた木柵の影で、俺とラミーは見張りをしている。木立の奥では、時おり何かが枝を払う音——鳥か、小獣か、それとも。
(ここは穀倉地帯のど真ん中。収穫物は一度“カナン”に集まり、やがて中央大陸西部随一の都市“レーヴェン”へ。
一月後には大キャラバンが何隊も組まれる——そこに護衛で乗る。……それが当面の計画)
俺たちチェイズ卒業生は、指輪をギルドに出せば銀級から登録スタート。キャラバン護衛はふつう金級以下〜鉄級で編成される。Cなら十分射程内だ。焦って無理をする必要はない。
「ねー、フィンさぁ。兎とか猪とかを狩るの好きだったっけー?」
ラミーは柵にもたれて大あくび。陽に温まった木肌へ背中をこすりつけ、尻尾で草をぺしぺし叩きながら、とうとう俺のところへずるずる寄ってきた。耳は退屈ですと全身で主張中。
「嫌いじゃないけど、大好物ではないかな」
俺はゴリゴリと“薬草”を粉にしながら応える。今のところ唯一のまともな回復手段である⦅薬草学⦆と、後々必要になる⦅調合⦆スキルを上げておくためだ。
「じゃあなんで毎日“畑の警備”なのさ! あたしのジョブ分かってる? 探索者、シーフだよ? 探索者がウサギ見つけてどうするの! 冒険行こうよ、冒険にぃ〜〜!」
元気だ。天まで届くような大声である。小麦の穂がびくっと震えた気がする。
「何度も説明したよね? 今は動かない方が安全で経済的。キャラバンを待って護衛に乗るのが——」
「わかるけど! あたしが言いたいのはそこじゃなくてさ! 掲示板に冒険っぽいクエスト、他にもいっぱいあったじゃん? ってこと!」
「あー。うん。それはだな——」
(正直に言おう。今の編成は前のめりすぎる)
俺もラミーも前衛寄り。単体の敵を速攻処理は得意だが、継戦力が低い。連戦や防衛戦は分が悪い。つまり、二人だけでその“冒険っぽい”クエストへ行けば、見栄えはするが帰り道が心許ない。
「最低でも僧侶か神官を一人。回復・補助がいないと、二人だけは危ない」
「じゃあ勧誘行こ! ウサギ飽きた! イノシシ飽きた!」
ぶんぶん。尻尾も一緒に主張している。草の穂先がリズムよく刈られていくのがちょっと申し訳ない。
「んー……どうしたものかね」
柵の向こう、森の影は濃く、昼なのにひんやりした色をしている。ときどき風が通るたび、枯葉の匂いに獣のかすかな体温が混ざる——“災厄”の気配はない。今日は平和、だからこそ退屈。退屈を抱えて、日は落ちていく。
◇◇
その日の収穫がひと段落して、俺たちは冒険者ギルドへ報告に向かって大通りを歩いた。粉じんが夕陽で本当に金色に見える。店先で吊るされたソーセージが脂をこぼし、炭火の匂いが鼻の奥をくすぐった。金色亭からは皿の触れ合う音。街全体が「今日が終わる」準備に入っている。
人波の向こうに、見覚えのある緑の髪がよぎる。白い裾が風に揺れ、首元に小さな女神章。
「……っあ」
「ん? どうしたの、フィン?」
「あの白い服の子。緑髪。たぶんマリエラだ」
「ん? マリエラ?」
ラミーが眉間にしわを寄せる。耳が疑問符の角度。
「学園都市でクラスメイト——だった……はず……?」
(……やらかした。この周回のラミーは会ってないんだった。記憶の糸が別の枝を指してる)
「ん〜。んん〜?? ラミーちゃん、もうボケてきたのかなぁ? ねぇフィン、わかんないよぅ」
「い、いや、俺の勘違いだ。……でも聖職者っぽいのは間違いない」
「なんでわかるの?」
「男の勘だ!」
「それ、あたしのやつパクったでしょ」
「うるさい。とにかく声かけよう」
「えー!? なんの脈絡もなく?」
「俺たち冒険者だろ。こういう時は冒険するものだ」
「さっき安全がどうとか言ってたの誰かな〜」
ラミーのやいやいを背に、俺は彼女へ歩み寄る。人の波を縫い、油染みのついた石畳を三歩分早足で。
「や、やあ。初めまして」
「あ、はい。初めまして。……冒険者の方、ですよね? 何かご用でしょうか」
不意の呼びかけに目を丸くしながらも、俺たちの装備で察したらしい。けれど、その顔に影が差す。緑の髪はよく手入れされ、白衣は丁寧に綻びを綴じてある。まっすぐ、でもどこか疲れた目。
「失礼かもしれないけど……あなたも冒険者? もし聖職者なら、良ければ俺たちの——」
言い終わる前に、かすれた声。
「わ、私は……いいえ、ちがいます。私はただの神官です。地母神の神殿で働いています。し、失礼します」
マリエラは会釈し、足早に背を向けた。裾が石畳をさらりと撫で、歩幅は迷いなく速い。
「少しだけでも——」
「……いいえ、急いでおりますので」
呼び止めても歩は緩まない。と思った瞬間、ラミーがどこからともなく前へ回り込んだ。横ステップ一つ、雑踏の切れ目へすっと差し込む猫科の進路取り。
(今の動線どうやって取った……? ……いや、タイガリアン力だな)
「ねぇ、シスター。あたしはラミー! ひとつだけ教えて。お名前は?」
差し出した手。マリエラは一瞬ためらい——肌の上でため息がひとつ落ちる気配。
「わ、私はマリエラと申します。すみません……ほんとうに、これ以上は……」
手は握らず、そのまま去る。白い裾が角を曲がって消え、残ったのは香油と乾いた花の匂い。
……。
「ほ、本当に“マリエラ”ちゃんだった……!」
ラミーは固まって、しばらくフリーズしている。尻尾が「!」の形で固結び。
俺が声をかけると、「報告遅れると減額だよ!」と告げるより早く、俺の手から依頼書をひったくり、ギルドへダッシュしていった。粉じんが彼女の後ろで金色の尾を引く。
……。
「元気だなぁ。まあ今日、柵にもたれて寝てただけだもんな」
俺は肩をすくめ、ひと足先に金色亭へ戻ることにした。夕焼けの赤が鐘楼の銅を熱く染め、鐘守が影の中で綱に手をかけるのが見える。
ちなみにこのあと、食堂でラミーに渡された皮袋の中身は、今日の報酬のきっちり半分が消えていた。
行方はもちろん——彼女のお腹の中。金色亭のレシート(ないけど心のレシート)には、串焼き三、スープ二、パン追加一。
「……あいつ、今日ずっと柵に寄っかかって寝てただけなんだけどなぁ」
夕餉の匂いに混じって、深いため息がひとつ溶けた。明日はギルドで告知板の前、回復職の勧誘——決めた。
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【次回】#19『豊穣の女神』
冒険者を避けるように過ごすマリエラ——彼女をそうさせる理由は何だ。謎を解き、彼女の笑顔を取り戻せ。
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