#17.お楽しみの時間?
◇◇◇ 大衆食堂“金色亭"・二階/朝——
薄いカーテン越しに朝陽が差し、埃が金粉みたいに舞っている。窓の木枠は指でなぞると樹脂がまだ甘く匂い、廊下の向こうから、階下の笑い声がさざ波のように上がってきた。外では荷車の軋む音、空をわたる鳩の羽ばたき。部屋の板ばりはひやりと冷たく、腰かければ古い釘がきし、と小さく抗議する。
俺とラミーは、向かい合ってベッドの端に腰を下ろす。互いの距離は半歩。尻尾の先が、緊張でわずかに八の字に揺れている。
「よし、さっそくやろう。相性とかがあるかもしれないから、今試しておきたいんだ。本当は昨日の“夜”するつもりだったけど……」
真面目モード全開で告げると、ラミーはびくりと肩を揺らした。耳がぴょこんと立ち、瞳孔がきゅっと細くなる。
「ご、ごめん。あたしが寝っちゃったからだよね……?
あ、待って……昨日水浴びしてない! あ、あたし臭くないかな?」
オレンジ色の髪を鼻に寄せ、上目づかい。耳がぴくぴく、尻尾は語彙のない不安を代弁している。
「なに言ってんだ? 別に“臭く”ない。それに、嫌ならやめてもいい……と言いたいところだが、俺たちは“パートナー”だ。これから二人でやっていくために、必要なことだ」
「何度も言うけど、でかい声は出すなよ?」
「わ、わかってるよぅ……! で、でもでも、我慢できないかも!」
「大丈夫。全部任せて、力を抜いてればいい。慣れればすっごく楽しい。ラミーもきっと気に入る」
「ほ、本当に? あたし経験ないからわかんないけど……そういうもの?
フィンはこういうの、よくやってたの?」
困ったように笑って、俺は正直に答える。
「……いや、多くはない。初めてじゃないが」
「そ、そうなんだ……」
尻尾がぐにゃり。勢いよくしぼむのがわかる。視線が膝へ落ち、爪がそっと布をつまむ。
(——“パートナーの初めて”、気にしてるな)
「……でも、これからは日常的にやる。しっかり慣れてもらう」
「っえ!? 日常的に!?」
「ああ。街中とか、周りに人がいてもできるようにしておかないと、いざという時に困る」
「え、ええ!? どんな時!?」
「後をつけられて身を隠す時とか。咄嗟にできないと危ないだろ?」
「か、隠れた先でするの!? そ、そっか……心に余裕を持つため……ってことね!?」
「ん……? まあ、繋ぎっぱなしで外に出て試すか?」
「……っ! い、いや、それは流石に……」
真っ赤になって首をぶんぶん。耳まで茹でダコ色だ。尻尾がばさばさ鳴って、ベッドの脚がこん、と揺れる。
「じゃ、とりあえずやるぞ」
「ま、待って待って! こころの準備が……」
ラミーはぎゅっと目をつむり、両手を胸の前で組む。毛並みがふわりと逆立ち、頬が熱でほんのり光る。
(お父さん、お母さん、ラミーは今日、ついに大人になりましゅ……!!)
ランプの芯がぱちっと鳴った。俺は息を整え、意識の焦点をすうっと内側へ沈める。
『…………』
『……ラミー、聞こえるか? ラミー?』
『…………』
『……おーい、ラミー? どうした。聞こえてるはずだが』
『…………』
⦅念話⦆を繋いだ。額の奥、薄い膜を一枚やさしく弾いたような、微かな思念のざわめき——波長が合っていないのか返事がない。
横目で見ると、ラミーは俯いて肩を震わせている。耳がぱたぱた、尻尾は床板に点々と「……」を刻んでいた。
『……そうか。初めての相手じゃなかったの、怒ってるんだな? 悪かった。こんな楽しいことを黙ってたのは確かに悪手だ。
でも、俺がこれを覚えたのは最近だし、やった相手だって教えてくれた人だけで、別に楽しい話をしたわけでも——』
ぼそ……っと、かすかな声が届いた。まるで毛布の裏から。
『……か』
『え? 聞こえにくい』
次の瞬間、雷鳴。
『フィンのばか〜〜!! しんじゃえアホ〜〜!!!!』
キーーーーーーーン。
脳の芯まで直撃する大音量。耳を塞げないのが念話のつらいところだ。視界の端が白くはじけ、足の裏から頭頂まで痺れが駆け上がる。
俺がこめかみを押さえてのたうつ間に、ラミーはばね仕掛けみたいに立ち上がり、ドアノブをガチャリとひねって、部屋から逃走した。尻尾の残像だけが空気を切り、石鹸の匂いが一筋残る。
「⦅念話⦆、遮音できないの……ほんと……つら……」
ドアの前で崩れ、額を板に押しつけたまま、原因分析に入る俺だった。床は冷たい。
◇◇
「とりあえずラミーを怒らせた。こういう時は謝罪だ。悪気が無くても、傷つけたなら誠意を——」
頭痛が引いた頃、ドアノブに手をかけたら、ちょうど向こう側からラミーが帰ってきた。廊下の灯りに耳の先だけが赤く染まっている。
……しばしの沈黙。頬がまだ赤い。視線が合って、すぐ逸れて、また戻る。板ばりが二度、きしりと鳴った。
意を決して、同時に口が動いた。
「「ごめん!」なさい!」
見つめ合う。間がもたない。どちらからともなく、言葉が溢れた。
「あ、あたし……変な勘違いして! 急にフィンが楽しいこと教えるって言うから、てっきりその……
それに大声出してごめんなさい!」
「い、いや俺こそ。びっくりさせようと思って……。
よく考えたら別にそんな楽しくもなかったし、ラミーが初めての念話にあんなに憧れてるなんて知らなくて。本当にごめん」
再びの沈黙。同時に、眉が上がる。目が合う。頬がゆるむ。
——……っぷ。
あはははは!
ははははは!
同時に吹き出した。タイミング、合いすぎ。笑いは階段を伝って一階の喧噪に紛れ、部屋の空気から緊張だけがするりと抜け落ちる。少なくとも、念話は問題なく通る。つまり——相性はいい。
「あはは! あたし、ほんと早とちり多くて、バカみたいで! あはは!」
「俺もだ。ラミーのこと怒らせがちだし。
……で、何で怒ったのかは聞いていい?」
「だいじょうぶ! なんでもない。忘れて忘れて!」
みるみる赤くなる。耳まで。尻尾は“絶対触れるな”の角度。
「それに、大人になりまし——」
「忘れろーー!!!!」
「あうっ!」
拳が綺麗なフォームで側頭部にブチ抜かれ、目の前に星が散った。ボスッ、という乾いた音が遅れて鼓膜に届く。(あ、これあかんやつ)そう考えている間に、俺は意識を手放した。
◇◇◇
——その日の夕。
(なんだかよく分からないが、一日寝倒していたらしい。頭もガンガン……風邪か?)
貴重な一日を潰してしまって、申し訳ない。謝ると、ラミーは「大丈夫」とだけ言って、目を合わせない。尻尾の先が「△」の形で、まだ少し刺々しい。
ただ、びっくりさせようと思っていた⦅念話⦆を、彼女はいつの間にか知っていて、しかも要領よく使えることも分かった。
(昨日ステータス見た時、ラミーのスキルに⦅念話⦆はなかったはずなんだが……)
ランプに火を入れると、芯が小さく灯り、窓の外では夕焼けが藍に溶け始めている。階下からはスープの香り。俺はウィンドウをもう一度まじまじと眺めた。
不思議と笑えてくるような、妙に体力の減る一日だった——そして、少しだけ、距離は縮まった気がする。
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【次回】#18『冒険者と神官と』
警備クエストを終えた俺たちが街中で出会ったのは、メインNPCの神官——マリエラだった。
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