#11.コピー
◇◇◇
「あの時?」
自分の声が白の空間に吸い込まれ、少し遅れて、録音のように薄く返ってくる。光の玉が、淡い呼吸みたいに強弱を繰り返した。
『そう、“あの時”は逃げられた。——でも、何から?』
「“災厄”とかいう怪物だ」
口に出した瞬間、森の湿った匂いと、鉄の味のする息苦しさが喉の奥で再現される。俺は舌でそれを押し戻した。
『怪物……怪物ねぇ』
光が一瞬だけくぐもる。明滅のリズムが、半拍だけ遅れた。
「さっきも言ったが……回りくどい言い方はやめろ。何が言いたい」
『“災厄”が、あの怪物だけだと? 形を持つものだけだと?』
言葉の温度は柔らかいのに、中心だけ冷え切っている。遠回しな刃物。白い空間のどこにも影はないのに、胸の裏側にだけ薄い影が落ちた気がした。
「ますます分からん」
『じゃあ、順を追おう。人虎の娘、ラミーだったね』
名前が、喉に刺さる。ふいに、縞模様の尻尾が緊張でぴんと伸びていた光景が、鮮やかに蘇った。
『彼女は君の亡骸を見つけて、復讐を誓った。やがて大きなクランと出会い、そして果たしたよ』
光は事実だけを置いていく。余計な感情を挟まず、けれど、どの言葉にも傷がついているのが分かった。
「そうか……それは、よかっ——」
言い切る前に、光が静かにかぶせる。
『そして——次の災厄が来た時、彼女は最初の犠牲者になった』
「……そうか」
舌が乾いて、言葉が砂を噛む。どんな命も、いつかは終わる。早いか遅いか。ただそれだけだ——と、頭の表面で言い聞かせる。胸の奥では、別の何かがきしんだ。
「とはいえ、これはゲームの中の話だろ。“シミュラクル”のイベントだ」
声の調子だけは平坦に保つ。保て。
『——それでも現実なんだよ、ここは』
静かな否定。白の温度がまた一度、低くなる。
「現実? GMアバターの、新UIの話術ってやつか。だったら先にアカウント復旧を——」
いつもの調子に戻ろうとして、戻れない。額の裏で脈が打つ。
『言葉で納得させるのは難しいね。だから仕組みの話を少しだけ。観測者って、楽じゃない。私はいくつも世界を管理しているし、無から新しい世界を起こすのは骨が折れる』
「運営の苦労アピールはいい。ロールバックで——」
『だから——借りた。悪いけど、コピーしたんだ。君たちのよく知っている“シミュラクル”を、現実に』
心臓が、腹の底を跳ね上げた。返事が遅れる。光の玉はやはり穏やかに明滅しているだけなのに、白がぐっと近づいてきた気がする。
「……コピー? データの話か。地形とかNPCとか、その程度の」
自分で言いながら、頼りないはしごに足をかけている感覚があった。
『地形もNPCも、それから生き死にに絡む因果も。設計図ごとね』
設計図。単語の硬さが、歯茎に当たって痛い。森の匂いも、土のぬめりも、咆哮の圧も——再生ではなく“再現”だと言われたような、嫌な密度が背に張りつく。
「それは……いつだ」
『大型アップデートのタイミング。君以外のユーザーがログアウトした瞬間』
ワールドクロック0:05。通知ウィンドウ。ピンポンパンポーン。——その後の沈黙。思い出が、ぬるい水みたいに耳に入ってくる。
(……まずい。まずい流れだ)
「じゃあ、なぜ俺はここにいる」
ここ、白の「狭間」に——。
『君は狭間に引っかかった。ログアウトの波から外れて、こちら側に滑り込んだ』
波。宇宙船のドックから出る際の圧力差、みたいな比喩が脳裏に浮かんでは消える。浮かぶ比喩がみんな、現実寄りだ。
「ログの破損かセッションの残骸だろ。本体の俺は現実でログアウトして、こっちは……バックアップか、テスト環境の——」
早口に並べる。自分で自分に、納得の形を急いで渡そうとしている。
『呼び方は任せるよ。私はただ、君の連続性をこちらに写した。意識の——そうだね、スナップショット』
連続性、という単語が、白の真ん中に黒点のように浮いた。痛覚、匂い、呼吸の重み。さっきの森の全てが、ゲームの「演算」では届かない階調でまとわりついていた理由が、喉を過ぎて胃へ落ちていく。
「ちょっと待て……いったい俺は“何”だ」
やっと出た声は、紙を裂いたみたいに薄かった。
『“コピー”だ、と言えば乱暴かな。けれど、ここではそれがいちばん近い』
光が、ほんのかすかに沈む。慰めるでもなく、誇るでもなく。ただ、正面から置く。
反射的に、否定の言葉を探す。違う、違うに決まってる。——×ボタンはどこだ。右上、左上、対角線、視界外。指は空を泳ぎ、何度もなぞり、何度も空を掴む。
けれどこの白には、閉じるための印はどこにもなかった。
【更新予定】
11/13〜 :毎日20:00更新
【次回】#12『決意』
観測者から告げられた真実──それでも進む。俺は諦めが悪い。
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