其の壱〔祥一郎と柾美〕四
マサミ、と、祥一郎の唇から音が零れる度、柾美の心臓はおかしいほど波打った。
この動揺の正体を、柾美は知っている。
これは恋情に他ならない。
でなければ説明のしようがない。
駅に向かう道すがら、ぼんやりと柾美は考える。
何故、と問われても明確な答などは勿論無い。逆に自分が訊きたいほどだ。幼い頃に何度か会っただけの、歳の離れた従兄弟、それも男に、何故。
ただ会いたかった。
傍にいたかった。
その気持ちだけはどうしても抑えることができず、年々膨らむばかりで、高校を卒業したら家を出て、祥一郎の傍に行くのだと、いつしか決意するまでになっていた。
それに一番都合が良いのが、進学だった。
成績はそこそこ良かった柾美にとって、合格圏内で、叶の家に近い大学は少なくなかった。叶家に下宿、とまでは考えていなかったが、事は柾美の思惑通りに進んだ。
下宿が決まり、上京した柾美を迎えに来てくれた祥一郎は、昔と変わらず大きな身体と屈託のない笑顔で、
「これからよろしくな、マサミ」
と、やはり昔と変わらない心地良い声を響かせ、柾美の頭をくしゃくしゃと撫でた。
柾美の心臓は、どくどくと胸を突き破るかと思うほどに、暴れた。
駅に着いて改札を抜ける。階段を上がりホームへ出ると、電車は行ってしまったばかりのようで、人はまばらだった。
柾美は少しほっとする。人塵には、まだ慣れない。流れを掴み切れず、人にぶつかったり、その上睨まれたりすることがよくあった。
郷里の駅は、盆や正月の時期でない限り、混むなどということはまずなく、最初に祥一郎がやってきた夏も、盆ではなかったため、滞在を終えた祥一郎を見送るのに、ゆったりとした時間を過ごすことができた。
他に人のいない広々としたホームで、柾美は祥一郎と遊びながら電車を待った。この時間は永遠に続くのだと、幼いが故の根拠のない確信を抱いたことを、今も柾美は憶えている。そしてそれが幻想であったと思い知らされた別れの瞬間も。
電車に乗り込んだ祥一郎は、まだ閉まらないドアの内側で、柾美を抱いた母に挨拶をする。
「叔母さん、お世話になりました」
「またいつでも来なさいね、歓迎するよ」
母が応える。
「ありがとう」
祥一郎がにこりと笑う。
「マサミ、またな」
祥一郎が柾美に顔を向け、ばいばいと手を振る。
「マサヨシだってば」
母が笑う。
あ、そっか、と祥一郎がばつの悪そうな顔をする。
ホームに、電車の発射合図のベルが鳴り響く。
「じゃあね」
「うん」
電車の扉が閉まる。
扉の向こうの祥一郎が動き出す。
斜めに見える四角い枠の中、また、小さく祥一郎が手を振った。