キラービー
そろそろ行こう。
腕の傷が癒えていることを確認した私は次の標的を探して移動を開始する。
しばらく歩いていると草が揺れる音を聞く。
私は足を止め、警戒する。
やがて揺れが消え、静寂に包まれる。
!?
その瞬間、殺気を感じ思わず仰け反る。
何かが正面を擦れ擦れで通過したのだ。
直ぐにその正体を視界に納める。
「ホーンラビット・・・・・・」
ホーンラビット。
通常のウサギとサイズは変わらないが、頭部に角が生えている。
群れで行動する魔物である。
「はっ!?」
私は警戒するように辺りに目を向ける。
しまった!囲まれている!
草むらの至る所から殺気を感じる。
ホーンラビットは肉食の魔物。
私のことを餌と思っているのだろう。
やがて一匹一匹草むらから姿を現す。
どんどん増えていく。
これは流石にまずいかも・・・・・・。
全方位を覆うほどのホーンラビットの群れに囲まれ冷や汗を流す。
キキキキキキ。
鳴き声のようなものを発した後、ホーンラビットは一斉に飛びかかってくる。
何とか包囲を抜けないと!
『身体強化』を使用。
目の前に飛び込んできたホーンラビットから叩き落す。
一匹ずつ首を叩き確実に息の根を止める。
ホーンラビットは一匹一匹は弱い。
強めの衝撃を首に与えればそれだけで行動不能に持っていくことが出来る。
しかし、数が多すぎる。
「くっ!!」
抉られるような痛みを感じ足に視線を向ける。
ホーンラビットの一匹が足に歯を突き立てており、抉っている。
「ふっ!!」
首を討ち、仕留めるが今度は横腹を抉られ、腕を抉られる。
しかし、次から次に襲い掛かるホーンラビット。
やがて捌ききれなくなり、戦闘をやめ、脱出を試みる。
腕をクロスし、心臓と首、脳だけは守りながら、全力で飛び上がる。
何とか包囲を脱出するが、今だ体に歯を突き立て離れないホーンラビットがいる。
そいつらを叩き落とし、その場を後にする。
☆
「はあはあ・・・・・・」
何とかホーンラビットを撒くことに成功した私は再び木の上に飛び上がっていた。
「はあはあ・・・・・・」
気に背中を預け、息を整える。
体中を無残にも抉られ痛々しい見た目になっている。
大量に出血し今にも意識が飛びそうだ。
先ほどから『自己再生』を使用しているが傷が深すぎる。
まるで木が血を流しているように見えるほど流血していた。
急いで血を止めないと・・・・・・。
朦朧とした意識の中、止血をしようとする。
体が動かない。
出血がひどいせいだろう。
このままだと血の匂いに引かれて魔物が寄ってくるかもしれない。
そして気づけば、意識を失っていた。
☆
ふと意識が覚醒する。
あれ?私どうしたんだっけ?
気だるげに起き上がろうとすると体勢を崩す。
そうだ!ホーンラビットの群れに襲われて・・・・・・。
そのまま落下していく。
いてっ!!
体を起こし、周囲を警戒する。
付近に殺気は感じない。
地面に目を向けるが足跡もない。
どうやら魔物が血の匂いに引かれてくることもなかったようだ。
良かった。
一安心する私。
体の傷も治っていることを確認する。
深淵の森は魔素が濃いせいで強力な魔物が多い生息している。
ホーンラビットはこの深淵の森の中では底辺に位置する魔物だ。
その証拠に深淵の森は中心に近づくほど出くわす魔物が強くなるといわれている。
ここはまだ入り口。
序盤に過ぎない。
私は深淵の森の恐ろしさを再認識する。
もっと警戒しないと。
さっきみたいに遭遇戦になったら危ない。
気を取り直して上空に目を向ける。
木の隙間を覗くと空はまだ青い。
木に飛び上がると太陽を探す。
見つけた。
どうやら昼過ぎ、夕方近くのようだ。
さて、どうしようか。
正直かなり体調が悪い。
深淵の森という身の丈に合わない場所を狩場にしていることから、傷だらけになることには慣れている。
何度も死線を潜り抜けたし、死んだほうが良かったんじゃというような体験もたくさん経験している。
だからこそ、分かる。
撤退すべきだと。
正直今のままだと討伐どころではない。
傷は癒えたが、満足に動けるわけではない。
ストーンスネイクだけだけど・・・・・・。
死ぬよりはマシだ。
そう考え、帰還しようと顔を上げたところで、目の前の近距離で何かと目が合う。
!!
私は咄嗟に木から飛び降り、ナイフを投げる。
ナイフは偶然にもそいつの首元に当たり一撃で地面に落とすことに成功した。
仰向けに倒れたまま、私は首だけ動かして、その生き物に目を向ける。
こいつは・・・・・・。
黄緑と黄色の配色をした巨大な蜂・・・・・・キラービーであった。
「キラービー・・・・・・どうしてこんなところに?」
キラービー。
キラークイーンという嬢王蜂の元、コロニーを形成している。
当然群れで行動している。
まさか!!
嫌な予感がした。
私はすぐさま辺りを警戒する。
しかし、辺りにキラービーの姿は見えない。
良かった。
キラービーはコロニーを形成している。
仲間が死ねば、コロニー全体で攻撃を仕掛けてくる厄介極まりない魔物だ。
だが安心はできない。
なぜなら、キラービーはもともと臆病な性格ゆえ縄張りから出ることはほとんどあり得ない。
つまりキラービーがいるここはキラークイーンの縄張りであることを示している。
やばい!
今の状態で戦いになったら生き残れない。
私はすぐさま離れようと動き出す。
しかし・・・・・・それも出来なかった。
近くから無数の殺気を感じる。
数体どころではない。
数十体、下手したら数百体という数だ。
それが近づいてきている。
体が震えだし、動けない。
蹂躙されるんだと考えると怖くてたまらない。
次第に呼吸がしづらくなり、口呼吸に変わる。
思考が停止し、体を抱いていると、その殺気が私を無視して通り過ぎて行くことに気づいた。
た、助かったの?
恐慌状態に陥った私は正常な判断が出来ず、その場を動くことが出来ずにいた。
☆
暫くすると冷静になっていく。
今は殺気を感じない。
今のうちに逃げないと・・・・・・。
私は目の前のキラービーの死体に目を向ける。
素材だけでも持って帰ろう。
素材の剥ぎ取りを完了した。
闇雲に走ったせいでどの方角がトレストの街方面なのか分からない。
私は懸命に思い出し、方角を割り出していく。
結果、絶望が再び私を襲う。
おそらくトレストは何かが走り抜けていった方角。
そっちが正解だと・・・・・・。
私は細心の注意を払って足を進めた。
全く知らない場所を進んでいる感覚。
数年この森に通っているが行動範囲は常にマークを付けて分かるようにしている。
しかし、今のところそのマークらしきものすら見当たらない。
自分が進んでいる方角が本当に正しいのかすら分からない。
不安が拭えないままひたすら歩き続けていた。
歩き続けるとだんだん確信に変わってくる。
進んではいけない。
先から夥しいほどの殺気を感じる。
それに血の匂いが強くなっていく。
もしかしたら魔物同士が争っているのかも。
しかし、だんだんと分かってきたこともある。
トレストの街はこの先だということだ。
おそらくこの先はキラークイーンのコロニーだろう。
コロニーの場所は覚えている。
森の浅地でありながらキラークイーンという強力な魔物が住んでいるところ。
キラービーの討伐時に縄張りに入ることもあるので、きちんと調査している場所だ。
どうやらホーンラビットから必死に逃げた際にとんでもないところに来てしまったようだ。
最悪だ。
遠回りするしかない。
コロニーを避けるために遠回りしようとするが、ここへきてふと遠くに視線を向ける。
そこにはキラービーの姿。
しまった!
キエエエエエエエエ。
私は急いで走り出す。
ばれた!ばれたばれたばれた!!!
キラービーの姿が増えていく。
そして見事に誘導され気づけばキラークイーンのコロニーに着いてしまった。
☆
見晴らしがいい場所。
森を抜けたわけではない。
巨大な樹が目の前に生えており、その樹には巨大なハチの巣が吊るされているのが見える。
これがキラークイーンのコロニー。
おそらくキラークイーンはあの巣の中にいるのだろう。
姿は見えない。
今目の前ではグリーンウルフとキラービーが縄張り争いをしていた。
目の前でグリーンウルフがキラービーに噛みついて首をかみ砕いたと思ったら、今度はキラービーがグリーンウルフを刺して命を奪っていた。
血の匂いはグリーンウルフのものだったのね。
状況を把握した私は即座に行動に移る。
一旦森の中に避難して、監視しているキラービーを倒す。
『身体強化』を使い、反応される前に仕留める。
疲れ果てた体に鞭を打って動き続ける。
暫く繰り返すと目の前からキラービーが消え去る。
「はあはあ・・・・・・」
血が足りていないからか、バテが早い。
貧血を起こし何度も倒れそうになる体を何とか支える。
素材を取り準備を整える。
深呼吸をし、呼吸を整える。
一か八かの賭けに出る。
正直もう戦う力は残されていない。
だからこそ、ここは一直線に突き抜ける。
キラービーとグリーンウルフの縄張り争いの中を最短で突っ切ってこの森を抜ける。
覚悟を決めて走り出した。
☆
勢いよく走りだす。
止まったら終わりだ。
私は全力で巨大な樹の周りを横断していく。
やはり縄張りの中。
キラービーが気づかないはずがないし、グリーンウルフが気付かないはずがない。
しかし、遠回りできる体力もないため、そのまま進む。
道中、目をつぶる。
こんなことするなんて自殺行為だと思うが、まっすぐ進み続けるための私の覚悟の表れだ。
血の匂いが濃い。
感じるごとに余計気分が悪くなる。
直ぐ近くで争う音が聞こえる。
鳴き声、噛みつく音、突き刺す音、地面に倒れる音など。
いくつもの音が混ざり合って聞こえてくる。
だからこそ目を開けてはならない。
目を開けてしまったら私はきっと止まってしまうから。
私は見えない恐怖を感じながらもただ孤児院に帰る、それだけを考え走り続けた。
やがて戦闘音が消えていく。
殺気が遠ざかっていくのが分かる。
日が当たっているのが分かるため、コロニーを抜けていないのは分かる。
しかし、長年の勘なのか大丈夫だと確信できた私はゆっくりと目を開けた。
目の前には森への入り口。
抜けたんだ!!
私は歓喜した。
視線を後ろに向ける。
今だキラービーとグリーンウルフが争っている。
今ならキラービーの追撃もないだろう。
私は無事に脱出することに成功した。
☆
時刻は夕方を過ぎ、日が落ちた頃。
私は深淵の森を抜けて北門に到着した。
ゆっくりゆらゆらと進んでいく。
警備兵は私の姿を見るや否やこちらに駆け寄ってくる。
「無事だったかって・・・・・・大丈夫かよ!真っ青だぞ、お前!!」
警備兵がとても心配してくれているのが分かる。
けれどもう反応する余裕すらない。
「大丈夫・・・・・・」
それだけ伝えると私は北門を後にした。
ギルドへ行き家に帰るまでの道中の事はあまり覚えていない。
覚えているのはとても心配そうに私を見てくる市民。
心配そうに声を掛けてくる受付員。
唖然とした顔で私に目を向ける冒険者、が居たような気がするくらいであった。
家に帰ってからのことは特に覚えていない。
一つだけ覚えていることは子供たちの泣き顔くらいである。
まあ、なんにしても今日も生き残れたことに安堵して眠りについたのである。