ちゃんと名前を呼んでくれる人
とにかく体がダルい。
まず湿度が異様に高い。突然激しい雨が降ったかと思うと、すぐに止む。一日に3度雨が降るのもざらだ。雷雨と快晴の繰り返し。湿地帯だから、雨が多いのは想像がつく。
問題は、ありったけの水分を含んだ生ぬるい風のせいで、汗が中々乾かない事だ。
水が潤沢にあるおかげで、毎日シャワーという贅沢もさせてもらえるが、服を着るとすぐにまた汗をかくので、さほど意味は無かった。
スピカの重犯罪者専用刑務所での暮らしも、楽ではない。今は少し、快適な病院が恋しい。
「ヴィンデミアトリクス。長ったらしい名前だな、ええ? パルテノスってのはガキにこんな大層な名前をつけるのか? 」
「・・・・・・」
「しかも、毎日ブドウばっかり食ってるそうだな? フルーツボーイくん。毎晩あの、あれだ、ブドウの酒が飲めるのか? 」
「私は17なので、まだ葡萄酒を飲めません」
「じゃあ、ブドウジュースってわけか? ハハハ。魔王の子が17にもなって毎晩ブドウジュースか、傑作だな」
「・・・・・・」
何故、アジメク将軍が私の独房にいらっしゃるかというと、・・・・・・分からない。シャワー室から戻ったら、居た。どこからか持ってきた自前の椅子に座り、私にも向かいの席を促した。
私が毎日ブドウジュースを飲んでいる事が、とても可笑しい様子だった。
ここで、将軍は何を召し上がるのですか? とか会話を続けられたら、まだこの謎時間を楽しめたのだろうが。
「ずいぶんガキだなとは思ったが、そうか、17か。アルゲバルと同い年だな。あいつはもう飲んどるぞ」
アルゲバル。あいつ、今度会ったら締める。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「貴様は、とことんつまらん奴だな」
アジメク将軍は、ボソッと呟いた。静かな独房の中で、声がよく響いた。
「ガキのくせに」
「・・・・・・申し訳ございません」
将軍の仰る通り、私は、つまらない。
緊張して、何を話せば良いか分からない。言葉に詰まって、何度も考え直して、そのせいで時間が過ぎて、話せなくなる。頭の中ではたくさん言葉が出てくるが、それを選んで、適切な表現に直して、口に出すのが、とても難しい。
「・・・・・・」
将軍にご不快な思いをさせない為に、言葉を選んで・・・・・・いや、違うな。将軍のお望みの通りにできず私も歯痒い思いです・・・・・・これも違うな。
「・・・・・・」
「・・・・・・脱獄か」
「っ! ・・・・・・」
びっくりした。
「脱獄か、破壊か、暴れたりでもしなければ、貴様がどう振る舞おうと誰も構わん」
「・・・・・・」
話の意図が読めない。
「医者は、日常的な虐待を疑っておった」
私に、無保険10割全額自己負担を言い渡した、あの医者だ。私の傷を見て、アジメク将軍に告げ口したのか。
「・・・・・・」
「ガキを痛めつけるのは、親のする事ではない」
「父上はっ! ・・・・・・優しいお方です。とても」
アジメク将軍は、口角を少し上げた。
「ここの者達も、意味なく貴様に手を挙げることはない。何かあればわしに言え」
眉を下げて、私に薄く微笑みかける将軍は、まるで別人だ。
確かに、ここに来てから一度も拷問を受けていない。もの凄く優しいと言う訳ではもちろんないが、嫌悪や忌避される事もなかった。薬を飲み、包帯や湿布を替えられ、背中の傷跡から出る膿を洗ってもらう事すらあった。
「今はちょうど雨季と乾季の境に入った所だ。これから過ごしやすくなる。水牛の肉が美味くてな。今度、貴様にも食わせてやる」
「・・・・・・」
「良い子にしておったら、ブドウも買うてきてやろう。スピカで売ってるものは、不味いだろうが」
「・・・・・・それで? 」
1人話し続ける彼を遮って、私はアジメク将軍を真っ直ぐ見据えた。
「何をお求めですか? 」
スピカの水牛。
地方ごとの恒星国の集まりであるアステリズム。更に、世界恒星国会議、通称ゾディアックでも、各国の王や首脳陣に振舞う程の高級品だ。私も過去に一度だけ、4歳にも満たない頃、口にした記憶がある。
それ以上に、今戦争の真っ只中である国から、生の果物であるブドウを仕入れるなど、どれだけの苦労を要するか、パルテノス唯一の王位継承者である私が、知らない訳がない。
「・・・・・・何をとは? 」
「私に、何か望むところが、おありでしょう? 」
惚けようとする将軍に飲まれないよう、私は顎を引いた。
「貴様に、差し出せる物があると? 身包み剥がれた人質の分際で」
将軍は余裕の表情で言った。
「・・・・・・」
私は、それに答えなかった。
「・・・・・・まだ17だというのに」
大きなため息を吐いて、アジメク将軍は腰を上げた。座っていた椅子を折りたたみながら、扉の外に声を掛けた。
「まあ良い。水牛の肉は食わせてやる。この時期は口減しの為にたくさん絞めるからな。貴様にやっても余りが出る」
椅子を部下に渡し、もう一度私に向き直った。
「ヴィンデミアトリクス。昔はもう少し可愛げがあった」
「・・・・・・」
「まだ歯も揃っておらんのに、わしが焼いた肉を、皿に置いた傍から大口開けて、手当たり次第詰め込みよって」
将軍は、どこか懐かしそうに私を見た。
私に、そんな記憶は無い。作り話だろうか?
「外が見たければ、ここの者達に言え。どうせ周りには何も無いからな、散歩ぐらいはさせてやる。また底なし沼に嵌まるなよ」
私に近づいて、頬に触れた。
「こんな生意気なガキに育つとはな」
どこまで信じて良いのか、分からなかった。
戸惑いながら将軍を見上げると、将軍は笑っていた。
「ああそうだ。アルゲバルがお前に合わせろとしつこくてな。明日の昼に来させる」
「・・・・・・彼には言いましたか? 」
アジメク将軍は、私の不安を機微に感じ取った。
「いや。アイツには関係のない話だ。薬は忘れずに飲めよ」
名残惜しそうに頬から手を離すと、アジメク将軍は部屋から出て行った。扉が閉まり、鍵をかけられた後も、私はこの足音を覚えようと耳を澄ませた。
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