英雄と勇者
「英雄と勇者ってどう違うんだ? 」
独り言か?
「なぁ」
「さぁ? 」
アルゲバルはため息を吐いて、多分寝返りをうった。
真っ暗闇の中で、できる事と言えば会話くらいだった。
「ヴィンデミ、アトリクス? もしかしてなんか書いてる? 」
「報告書の下書き。忘れないうちに」
メモ帳とペンがあって良かった。戦闘も指揮も下手な私は、報告書ぐらいしかまともにできる事がない。
「まじめすぎるだろ・・・・・・て言うか見えてんの? 」
「後で解読する」
英雄譚を書くなら、アルゲバルも書いた方が良いのでは?
いや、余計なお世話か。
「みんな今頃穴掘ってんだろうなぁ。こんな夜中? に大変だな・・・・・・」
戦闘中に洞窟が崩落し、私とアルゲバルは共に巻き込まれた。馬小屋一つ分の空間に閉じ込められたが、2人とも軽傷。
体感で5時間程経ったが、未だ外部との連絡はできない。小型のランタンを携帯しているが、燃料の確保のため、30分で使用を停止した。
アルゲバルが英雄と勇者の違いを聞いてきた。
後、私の名前を呼ぶ時に、毎回真ん中で区切られる。
「ヴィンデミ、アトリクス。英雄譚はあるけど、勇者譚って聞いたこと無いよな? やっぱそこら辺が違うんじゃないかって思うんだけど」
「毎回毎回名前を区切ったり間違われたりするの、地味にストレスだから止めてくれ」
「・・・・・・ウィンディー、さん」
「英雄は偉業を成し遂げる者。勇者は困難にも果敢に挑む者、だと思う」
ふーん、と適当な返事をしながら、アルゲバルはまた寝返りをうった。今なら彼を殺せるかもしれない。
17で私より弱い戦士がいるなんて夢にも思わなかったが、実際アルゲバルは私より数段劣っていた。
それでも今日まで彼を殺めるに至らなかったのは、彼よりも、彼の師が私より優秀だからだ。
アルゲバルが死ねば、これからの戦局を有利に進められるだろうか?
「なぁ、今どれくらい進んでるかな? 俺たちずーーーっとこのままだったりして」
「君の仲間は、君を見捨てたりしないよ。せめて死体ぐらいは回収しに来る」
私の死体を見たら、父上はどんなお顔をなさるだろうか。悲しまれるかな? 怒られるかな?
「ウィンディーさん」
「“さん”は要らない」
いるよ、略すんだから。とアルゲバルは不思議そうな声を私の方へ向けた。彼の考える事は本当に分からない。
「魔王はウィンディーさんを助けに来る? 」
「君たちが完全包囲している中を? それ程の価値はないよ。父上はお越しにならない」
父上は国王であり、元帥でもある。前線に出る事はあっても、そのタイミングを見誤る方ではない。
「そっかぁ。俺まだ魔王と会った事ないんだよな。どんな人? 」
「・・・・・・。・・・・・・」
父上は。
大粒の甘いブドウ品種が出来たと、領地をお尋ねに行かれた際、たわわに実るブドウを箱にいっぱい、私のお土産に下さった。
ーー“ヴィンデミアトリクス”は、“ブドウを摘む者”という意味だーー
手づから実を潰してジュースを搾り、ゼリーやジャムをこしらえていた。
味見の時も、スプーンですくった最初の一口は全て、私に下さった。
ーー夜明け前に、この光り輝く星が現れると、農民たちはブドウの収穫を始める。ウィンディーが大人になったら、生まれ年の葡萄酒を一緒に飲もうなーー
「父上は、・・・・・・優しいお方だ」
周辺国をまとめて制圧し、我が国が今や一強となったのは、全て父上が築き上げられた功績によるものだ。
父上こそ、英雄や勇者とと呼ばれるに相応しい方だ。
父上は私を助けに来ない。
私が自力で逃げれば良い。父上の跡を継ぐ者として、私が強くならねば。
「優しいか? 家族にはそうか。優しい所もあるんだな」
「うん」
ランタンを消しておいて良かった。
きっと、泣いてしまうから。
「アルゲバル」
「なに? 」
「・・・・・・近い」
じわじわ私に寄ってきているな、と気配で感じていたが、とうとう私にぴったり体を密着させた。
「寒いんだよ。良いだろ? 何もしないからさ」
よく罰として牢獄に入れられていたから、私は普通だと思っていたが、ここは寒い部類に入るのか?
「ウィンディーさんお願い! 俺寒がりなの」
「腕立て伏せでもしてろ」
弱いんだから。
「やだ。お腹減る」
わざわざ武器を遠くに置いたまま、私に接近してくるあたり、彼の戦歴はたいてい、周囲の助力の賜物なのだろう。窮地に陥れば、敵味方なく手を取り合うと信じきっている。
「こっち側寒いの。場所替わって♡」
仕方なく替わってやった。他人から触られるのは苦手だ。
「確かに、体感温度は下がるな」
「だろ?! 」
冷気が肌に当たる。時折、前髪も少し揺れて2、3度寒く感じる。
「ん、風? 」
ペタペタと岩の隙間を探ると、確かに一ヶ所空気が噴き出す隙間があった。
閉じ込められて直ぐに調べた時は、こんな隙間無かったはずだ。
「アル! ランタンを炊けろ」
「えっ?! 何? ちょっと待って。ランタンどこ」
隙間を除いても、光は見えなかった。だが、さっきより確実に風は強く噴き出している。
「ついた!! 」
数刻ぶりの光に、一瞬目が眩んだ。
「やはり出口方向からだな」
「助けが来たんだな! やったー!! 」
アルゲバルは飛び跳ねて、天井に頭をぶつけた。
「崩落するから止めてくれ。こちらからは何もしないほうが良い」
「やったな! ヴィンデミアトリクス! 」
私の心は、彼と対照的に重くなった。
救助された後、私は拘束されるだろう。アルゲバルの仲間たちは、私なんかを病院に運んで、治療を受けさせるだろうか?
何人も殺した私を、憎む者も多いだろう。殺されるかも。岩が崩れた瞬間、飛び出して逃げるか?
未来の英雄は、まだはしゃいでいた。
「良かったなアルゲバル」
君には助けが来て。
父上のお叱りすら耐えられないのに、敵軍の拷問はどれ程辛いのだろう?
爪を剥がれるだけ、なんて事はあり得ない。
「どうした? ウィンディー。大丈夫か? 」
「・・・・・・やめてくれ」
限界だった。牢獄を思い出さないようにするのも。父上の罵声を無視するのも。
「やめて」
さっきは我慢できたはずの涙が、止まらなかった。
捕まったら、何をされるんだろう?
「・・・・・・ごめんなさい」
私にもできる事・・・・・・。そうだ、報告書を書かなくちゃ。
震える手でメモを持ったが、一文字も浮かんでこない。
風が吹いて、まだ光が見えなくて、もうすぐ捕まりそうで、逃げなきゃいけなくて。
お父さんはもう来てくれなくて。自分でぜんぶなんとかしなくちゃいけないくて。
「ウィンディー。大丈夫、大丈夫だ。もうすぐ助けが来るから」
青あざだらけの背中を触られて、反射的に体が縮こまった。殴られる、これからいっぱい。
ブドウを数えなきゃ。
大きくて甘い、ブドウがひとつぶ。
ひとつぶ食べたら、もうひとつぶ。
「ウィンディー・・・・・・どうしよう? とりあえず、横になって」
ひとつぶ食べて、もうひとつぶ。
ひとつぶ食べたら、もうひとつぶ。
「どうしよう。え? ほんとにどうしたらいい? 」
ひとつぶ食べたら、もうひとつぶ。
ひとつぶ食べて、もうひとつぶ。
ひとつぶ食べたらーー。
ふわっと、体の上に何かが覆い被さった。痛くない、柔らかくて、温かい。誰かが毛布を掛けてくれたんだ。
ーーウィンディー。ーー
「・・・・・・おとうさん? 」
お父さんだ。お父さんが来てくれたんだ。じゃあ、もういいかな?
もう、寝ていいかな?