094・空に浮かぶモノ
翌日、僕らは冒険者ギルドを訪れた。
冬季の出稼ぎ以来の再訪である。
(ん、あった)
掲示板で、僕とティアさんは手頃な『薬草採取』の依頼書を剥がす。
受付で手続き。
特に問題もなく、受注完了だ。
シュレイラさんも同行してたんだけど、
「よし、今日は久しぶりにアタシが奢るよ。来たい奴はついて来な!」
「よ、姐さん!」
「太っ腹!」
「ついてくぜ!」
「私たちもいいですか!?」
「俺らも~!」
と、ギルドの舎弟――いや、知り合いの冒険者と食事をしに行くことにしていた。
というか、
(本当、人気者だね)
こういう場に来ると、改めて思い知る。
ま、いいか。
「僕らは僕らでがんばろう」
「はい、ククリ君」
僕の横で、黒髪のお姉さんも微笑み、頷いた。
そんな訳で、
「じゃあ、シュレイラさん、またあとでね」
「それでは」
「おう! ククリたちもがんばんな」
「うん」
「はい」
僕らは別れの挨拶を交わすと、2手に分かれてギルドを出たんだ。
…………。
…………。
…………。
王都アークレイから2時間ほど歩き、僕とティアさんは街道近くの草原に到着した。
青々とした草木の風景。
(……うん)
冬とは大違いの景色だ。
生命力に溢れ、植物たちの緑も色鮮やかに感じる。
薬草も多そうだ。
隣のティアさんも、風になびく長い黒髪を片手で押さえながら、草原の景色に紅い瞳を細めている。
そして、
「良質の薬草が育っていそうですね」
なんて言う。
(……ふふっ)
僕は、つい笑ってしまった。
頷き、
「うん、そうだね」
「はい」
すっかり薬草採取人らしくなった黒髪のお姉さんも微笑み、頷いた。
ん、それじゃあ、
「採取、始めよっか」
「はい、ククリ君」
僕らは頷き合う。
そうして2人一緒に、目の前の草原に分け入っていったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
採取を初めて半日。
思った以上に順調に、目当ての薬草は集まった。
「よ……っと」
サクッ
僕は、薬草の茎を斬る。
これで、最後の1本。
丁寧に布に包み、リュックに入れて背負い直す。
(ん、よし)
僕は息を吐く。
横にいたティアさんも、
「お疲れ様でした、ククリ君」
と、微笑んだ。
僕も笑い、「ティアさんも」と労いの言葉を返した。
冬とは少し生えている植物の種類も変わっていたけれど、目当ての薬草の育成し易い場所は変わらないので、結構、早く見つけられたと思う。
空を見る。
太陽は、少し西に傾き、
(うん)
これなら、日暮れまでには帰れそうだ。
軽く伸びをする。
固まった足腰の疲れが、少しだけ散る感覚。
僕は言う。
「じゃあ、帰ろうか」
「はい」
婚約者のお姉さんも頷いた。
そうして2人で薬草談義をしながら、草原を歩きだす。
帰ったら、何しようかな?
シュレイラさんの家で、食事して、お風呂に入って……ティアさんと眠って……。
(……うん)
平穏な時間だね。
何となく、父さん、母さんを亡くす前を思い出す。
ティアさんと出会って、またこうして幸せを感じる日々と自分を取り戻した感じがした。
チラッ
隣の黒髪のお姉さんを見る。
彼女も気づき、
ニコッ
僕に、穏やかに微笑む。
本当に綺麗な人だ。
その美しさに青い瞳を細め、僕も笑う。
彼女が手を伸ばし、
キュッ
僕の左手を握る。
温かくて、優しくて、心地好い繋がりを感じる。
(ああ……)
こんな時間が、ずっと続けばいいな。
心からそう願う。
僕の目の前にいるティアさんも微笑んでいて、
「――おお、ようやく見つけたぞ、父上様の仇の人族の勇者よ」
そんな声が突然、空から落ちた。
◇◇◇◇◇◇◇
(え……?)
僕らは驚き、顔をあげる。
僕とティアさんの視線の先――見上げる空に、1人の金髪の女の人が浮かんでいた。
(……は?)
僕は、唖然。
年齢は、20代ぐらい。
黒いドレスみたいな衣装を着た、美しい女の人だ。
金色の長い髪に、青白い肌。
髪からは、2本の捻じれた角が生えている。
瞳は、血のような赤。
その瞳孔は山羊みたいに横長で、白目の部分が黒色だ。
そして、背中からは蝙蝠みたいな翼が生え、その周囲が陽炎のように歪みながら、彼女は空中に浮かんでいた。
誰……?
いや……何、あれ?
僕の感覚がおかしい。
人間の姿をしているのに、人に見えない、感じない。
と、
「――――」
バッ
ティアさんが僕の前に立ち、『氷雪の魔法大剣』を抜いた。
ドサッ
薬草の入ったカバンは、放り捨てて。
(ティアさん……?)
その表情が青褪めている。
緊張してる……いや、怖がってる?
(ティアさんが?)
誰より強い、元勇者のお姉さんが……?
僕は、もう1度、空を見る。
綺麗な女の人。
でも、まさか、
「……魔物なの?」
僕は、呟く。
ティアさんが答える。
「いえ……あれは」
「…………」
「正確にはわかりません。ですが、違います。あれは、そんな生易しい存在ではない」
「…………」
「失った私の記憶が、そう叫んでいます」
震える声。
ティアさん……。
と、空中の美女が笑った。
「――そうだ、そうだぞ、勇者よ。我は『魔物』ではない、『魔人』であるぞ」
ゾワッ
美しい声なのに、気味が悪い。
そして、
(魔人?)
初めて聞く単語だ。
魔人と名乗った美女は、静かに右手を開く。
ヒィン
魔法陣が生まれ、
ズリュッ
その中から、赤黒い色をした細長い片刃の長剣が生えてきた。
青白い手が、それを握る。
スゥ
彼女は、それを天高く掲げた。
自然で、美しい動作。
何の気負いもなく、ただ静かに持ち上げただけ……そして、それがスッと振り下ろされる。
同時に、
「……っ」
ティアさんが大剣を前にかざした。
ガギィイイン
(!?)
凄まじい金属音が響いた。
火花が散り、閃光が世界のあちこちで瞬く。
な、何?
僕は硬直し、
(……え?)
そして、数秒後、目の前にある景色に目を疑った。
僕らのいる草原の大地に、まるで巨体な獣が爪を立てたような深い傷跡が縦横に刻まれていた。
その深さ、4~5メード。
抉れた土が盛り上がり、そこに生える植物はグチャグチャだ。
その惨状が、ティアさんの後ろ、僕のいる場所以外の見える範囲全てに発生していて、
(…………)
僕は、言葉もない。
あ……。
そして、気づく。
目の前にいるティアさんの美貌には、大量の汗が噴き、額には『神紋』が輝いている。
顔色は悪く、硬い表情だ。
まるで、九死に一生を得た感じで……。
「おお、よく防いだ」
頭上から、魔人の美女が言う。
お褒めの言葉。
黒髪の美女は、静かに『氷雪の魔法大剣』を構え直す。
ククッ
金髪の美女は笑う。
まるで幼子のがんばりを褒めるように。
……何だこれ?
何が起きているのか、わからない。
でも、僕は、空に浮かぶ魔人の美女を見つめた。
そして、言う。
「……貴方は、誰?」
と。
彼女の血のような瞳が、僕を見る。
そこに、深淵を覗くような虚無がある。
道端の石ころを見るような眼差しで、けれど、ティアさんといる僕に少しだけ興味がある様子。
彼女は唇を動かし、
「我に問うか、人間の童が」
と、答える。
嘲るような、無謀を讃えるような響き。
僕は、目を逸らさない。
彼女は笑う。
「良い目だ。殺しがいのある、嬲りがいのある目だ、童よ。よかろう、その目に免じ、答えて進ぜようか」
ククッ
鈴を転がすような含み笑い。
赤黒い長剣を静かに持ち上げ、そこに頬を寄せる。
ペロッ
刀身を舐め、また笑う。
赤い血の瞳が、残虐に煌めき、
「――我は、魔王の娘レオ。人族の勇者が殺した父上様のただ1人の忘れ形見、そして、新たなる魔の王となる者よ」
と、彼女は詠うように言った。