092・黒幻竜
(……凄い威圧感だ)
ゴクッ
僕は唾を飲む。
個体として世界最強の生物は、やはり竜種。
その1体が、目の前にいる。
数ヶ月前、湖で戦った『悪夢の白蛸』の方が何倍も大きかったけど、まともに正対する今の方が正直、圧力が強い。
ズン
黒幻竜が1歩、足を踏み出す。
白い霧が揺れる。
(あ……)
その奥に見えた、黒い岩のような外皮。
そこに、緑色の苔が生えている。
――苔霊草。
巨体の背中付近に、まばらに目的の薬草が生えていた。
(…………)
アレを取るの?
黒幻竜を目の前にして、その難易度を痛感する。
そんな僕の前方では、黒と赤の髪をなびかせる2人の美女が落ち着いた表情で、自分たちの魔法武具を構えていた。
炎姫様が獰猛に笑い、
「はっ、出たね」
ボ、ボボッ
炎龍の槍の穂先に、炎を灯す。
「ええ」
頷くティアさん。
同じように、彼女の持つ『氷雪の魔法大剣』からも冷気が漏れる。
ヒュオ……ッ
凍った水蒸気の結晶が、キラキラと煌めく。
……え?
僕は慌てた。
「ふ、2人とも、駄目だよ!」
「ん?」
「ククリ君?」
「僕らの目的は、苔霊草なんだから。燃やしたり凍らせたりしたら、もう採取できなくなる」
「あ」「あ」
お姉さん方の声が唱和した。
もう……。
(竜を見て戦うことに意識がいって、目的を忘れたね?)
少し呆れる。
僕の視線に、2人はバツが悪そう。
炎姫様が、
「よ、よし、ここは魔法抜きで行くよ、ティア!」
「は、はい!」
呼びかけに、ティアさんも頷く。
2人の武具から、魔法の炎と冷気が消える。
そんな僕らに、
グォオオン
黒幻竜は吠えた。
そこには、確かな敵意と殺意が宿り、僕の肌を粟立たせる。
「……っ」
僕は、息を飲む。
けれど、2人の美女は怯まない。
「シュレイラ」
「おう!」
彼女たちは武器を構え、目の前の巨大な黒い竜に襲いかかった。
ダダッ
人間離れした速度での接近。
その前足へと大剣と槍が振り下ろされ、
ガギィィン
(!?)
激しい火花と共に、黒い鱗に弾き返された。
「うおっ!?」
「く……っ」
2人も驚きの表情だ。
嘘みたい……。
彼女たちが振るうのは、魔法の力を抜きにしても1級品……いや、超1級品の武器なんだ。
しかも、使い手も超1流。
なのに、
(その刃が弾かれた……)
信じられない。
黒い鱗には、かすかに白い線が入っている。
でも、それだけ。
とんでもない硬さだ。
動きの止まった2人に、黒幻竜は長く棘の生えた尻尾を振るう。
彼女たちは、左右に回避。
ゴバァアン
叩きつけられた地面の岩盤が砕け、周囲に破片が飛び散った。
「ちっ」
炎龍の槍が、それを叩き落とす。
ティアさんは、
「ククリ君!」
僕の前に立ち、『氷の華』展開させて破片の嵐を防いだ。
バキ バキン
魔法の盾の横を抜けた破片は、近くの石柱に当たり、無数の穴を開けていく。
(うわぁ……)
ゾッとする。
「ティアさん、ありがとう」
「いいえ」
僕のお礼に、彼女は微笑む。
黒幻竜は再びシュレイラさんに尻尾を振るい、彼女は跳躍してそれを回避する。
空中で回転し、
ストッ
彼女は、僕らの前に着地した。
「ヤバいぐらいに硬いね」
「はい」
「こりゃ、一筋縄じゃ行かないよ。どうするかね?」
「どうもこうも、やるしかないでしょう」
炎姫様に、元勇者の美女は答える。
炎姫様は苦笑し、
「そりゃ、やるけどさ……ククリは何かいい案、ないかい?」
と、僕に振る。
(え、僕?)
黒髪のお姉さんも、僕を見る。
えっと……。
僕は少し考え、
「じゃあ……こんなのはどうかな?」
と、思いつきを話した。
2人は魔物に武器を構えながら、『ふんふん』と聞く。
そして、
「いいじゃないか」
「はい。やってみましょう」
「本気……?」
「ああ」
「とても面白い考えだと思いますよ。試す価値はあると思います」
「……わかった」
賛同する2人の笑顔に、僕も頷いた。
その時、
グォオオン
黒幻竜が吠え、僕らの方に走り出した。
(よし)
覚悟を決める。
自分の持つ『魔法弓』を構え、狙いを定めたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
バシュ バシュ
僕は『魔法弓』を連射する。
白く輝く魔法の矢たちは、突進してくる黒幻竜の頭部に向かう。
けど、
(避けない?)
僕は驚く。
その目の前で、
バヂュン
魔法の矢が黒い鱗で弾け、光の粒子と散った。
鱗は、一瞬、赤く灼熱。
でも、すぐに黒色に戻る。
(……うわぁ)
これまで多くの魔物を貫いた魔法の矢が、完全に弾かれた。
なるほど、
(これが、竜、か)
僕は、驚愕と感嘆だ。
それでも僕は手は止めず、魔法の矢を射続ける。
バシュ バシュ
例え通用しなくても、顔周りに攻撃され続けるのは、さすがに嫌だったのだろう。
黒幻竜は吠え、僕1人に迫る。
ズシズシン
突進の地響きが、足裏から伝わった。
恐怖を堪える。
そう……そうだ。
(僕だけに目を向けろ!)
心の中で叫ぶ。
その狙い通り、奴は、僕に肉薄し、
「はっ!」
ビキィン
気配を殺し、僕から離れていたティアさんが、黒幻竜の側面から氷魔法を放った。
凍りつく大地。
それは、走る黒幻竜の足に到達し、
ビキキィッ
広がる氷が、その4つの足を大地に縫い留める。
グギィッ!?
赤い眼球に、驚きが浮かぶ。
ティアさんの強力な魔法は、竜の突進を完全に止め、その足と腹部、尻尾を地面ごと氷漬けにしていた。
(やった!)
さすが、ティアさん。
けれど、
ベキッ ビキン
竜種の凄まじい筋力は、氷にヒビを入れ始める。
うわ……本当に?
なんて力だ。
ティアさんは「く……っ」と呻く。
額には『神紋』が輝き、全力で氷魔法を維持しようとしているのがわかる。
竜の筋力と、氷の魔力の力比べ。
現在は、拮抗状態。
そして、
「シュレイラ!」
黒髪をなびかせ、彼女が叫ぶ。
同時に、炎龍の槍に乗ったシュレイラさんが上空から黒幻竜の背中を強襲した。
バシュッ
炎の翼が消える。
重力も味方に加速して落下し、
「おらぁ!」
ガギィン
自身の全体重をかけ、槍の穂先を突き立てた。
火花が散る。
そして、独特な形状の穂先は、頑丈な鱗と鱗の隙間に半分以上、突き刺さっている。
(――よし)
僕は、心の中で拳を握る。
どんなに頑丈な鱗だろうと、隙間だけはできてしまう。
そこは、無防備。
そして、
「ぬぅりゃああ……!」
ベキキッ
炎姫様は強引に、その鱗の1枚を剥ぎ取った。
巨大な鱗の裏側で、肉片が千切れる。
鮮血が散る。
その痛みに黒幻竜は暴れようとして、けれど、ティアさんの魔法の氷がそれを許さない。
「ククリ!」
ブォン
炎姫様が、黒い鱗を僕に投げる。
(お、お……!)
慌てて、受け取る。
ズシィ
思った以上に、重い。
そして、その黒い鱗の表面には、緑色の苔がビッシリと生えていた。
うん――苔霊草だ。
まるで緑の絨毯。
その細かい羽毛のような緑色の先に、キラキラ光る小さな粒が無数にある。
その1粒は、砂粒より小さい。
けど、
(魔力の結晶だね)
それも、強大な竜種の魔力を吸収してできた物である。
これ1粒で、
(多分、僕の魔法の矢と同じぐらいの魔力量じゃないかな?)
そういう代物だ。
この鱗1枚の苔霊草で、何千万、何億の魔力矢が生成できるだろう……?
別の意味で、鱗の重さを感じる。
ベキ ベキ
炎姫様は、更に4~5枚、鱗を剥ぐ。
それを抱え、
タン
黒幻竜の背中から飛び降り、僕の前へと着地した。
目が合う。
彼女は笑い、
「やったな、ククリ」
「うん」
僕は頷いた。
目的は、苔霊草の採取。
別に、黒幻竜を倒すことじゃない。
だから、生きたままの黒幻竜から、苔霊草を採取しようと考えたのだ。
無茶かと思ったけど、
(でも、作戦成功だね)
2人のお姉さんの凄まじい実力があればこそ、だ。
そして、
「物は手に入れた。ティア、逃げるよ!」
「はい」
炎姫様は、まるで泥棒みたいに言う。
ティアさんも頷く。
氷魔法の維持をやめ、僕らの方へと駆けてくる。
ベキッ バキィン
途端、氷を砕き、黒幻竜が自由を取り戻した。
グォオオン
怒りの咆哮。
岩のような背中からは、ボタボタと紫色の血が流れている。
僕らの方を向く。
でも、
ボボォン
その時には、僕ら3人はもう炎龍の槍に乗っていた。
炎の翼が大きく羽ばたく。
ボパァン
火の粉を散らし、僕らは上空へ。
直後、その真下の空間を、黒幻竜の巨体が突進して通り過ぎた。
ゴガァン
進路上の石柱にぶつかり、砕ける。
(うわ……)
間一髪。
眼下では、岩の破片の中、黒幻竜が悔しそうに咆哮していた。
それを尻目に、僕らは上昇。
黒い竜の姿は小さくなり、白い霧の中に消えていく。
(ふぅ)
僕は、一息。
と、僕の背中から、
「やりましたね、ククリ君」
ギュッ
ティアさんが抱きついてきた。
綺麗な長い黒髪が踊り、甘い匂いと共に僕の肌を撫でる。
ドキッ
僕は驚き、でも、
「うん」
彼女の笑顔に心が温かくなった。
その向こうでは、赤毛の髪をなびかせ、炎姫様も笑っている。
さあ、帰ろう。
僕は、黒い鱗をしっかりと抱える。
バヒュッ
火の粉を散らしながら、炎の翼が羽ばたく。
目的を果たした僕らは、炎龍の槍に乗りながら、王都への空を飛翔したんだ。