091・苔霊草
「幻竜の……苔霊草、か」
僕は呟く。
薬草に詳しくないシュレイラさんは「?」という表情だ。
アルマーヌさん以外の皆も、似た顔で。
(あ……)
気づいて、僕は説明する。
「苔霊草っていうのは、名前の通り、苔の薬草なんだ」
「苔の薬草ですか?」
と、驚くティアさん。
僕は「うん」と頷く。
「ただ、動物や魔物の体表に生えて、宿主が放散する魔力を養分にする珍しい薬草なんだよ」
「まぁ……」
彼女は、目を丸くする。
ジムさんとポポも、
「面白い植物やな」
「ね?」
と、興味深そうな顔をしていた。
赤毛の美女は、
「じゃあ、今回のは竜の鱗に生えた『苔霊草』ってことかい?」
「うん、そうだね」
僕は頷く。
「竜の魔力は凄いから、苔霊草が蓄える魔素も濃密で凄くなる。だから、特に『竜の苔霊草』は希少な薬草なんだって」
「へぇ……?」
「僕も現物は見たことないけど」
「…………」
「でも、話で聞くぐらい、有名な薬草だよ」
「そうかい」
赤毛を揺らし、彼女も頷く。
魔法薬師の先生は、僕の説明に満足そうな表情をしていた。
彼女も頷き、
「その通りよ」
「…………」
「その薬草は、私が作りたい『万能霊薬』の原料の1つなの」
万能霊薬。
別名、エリクサー。
この世のあらゆる怪我、病気を治し、寿命さえも延ばすという凄い魔法薬。
多分、世界で1、2を争う貴重さ。
その薬を、当たり前に作れるなんて言う。
(うん)
さすが、元宮廷魔法薬師の先生だよ。
彼女は言う。
「ずっと、素材を探しててね」
「…………」
「先日、北部霊峰の『黒幻竜』の鱗に苔霊草が生えているって情報を掴んだの」
「…………」
「だから、冒険者ギルドに依頼を出すつもりだったけど……」
チラッ
彼女は、僕と赤毛のお姉さんを見る。
そして、
「今話してて、ククリと炎姫に頼んだ方がいい気がしてね」
と、言った。
(なるほど……)
薬草に詳しい僕と、戦いに強い炎姫様。
確かに、危険な竜の鱗から苔霊草を採ってくるのには、ちょうどいい組み合わせに思える。
もちろん、
「ククリ君が行くのなら、私も行きますよ」
と、黒髪のお姉さんの手が上がる。
アルマーヌさんは「え?」と驚く。
炎姫様は、友人に言う。
「ティアは、ククリの婚約者だよ」
「え、婚約?」
「ああ」
「え……この子、婚約者がいるの?」
と、僕を見る。
僕は照れながら「うん」と頷く。
魔法薬師なお姉さんは、少し呆然と僕らを見つめる。
やがて、
「そ、そう」
「…………」
「でも、危険な仕事よ? いくら婚約者が心配でも……」
「ああ、大丈夫さ」
「え?」
「ティアは、アタシより強いから」
「…………」
「…………」
「……は?」
たっぷり数秒空けて、上流階級な雰囲気の美女は少し間の抜けた顔になった。
赤毛のお姉さんは、楽しそうに笑う。
軽く手を振り、
「ま、実力は大丈夫ってことさ」
「そ、そう」
魔法薬師の先生も、ようやく頷く。
それから、
「じ、じゃあ、貴方にもお願いするわ」
「はい」
「ええ」
「ただ、その前に」
「え?」
「その黒幻竜というのは、どのような魔物なのですか?」
と、ティアさんが聞いた。
あ……。
(確かに)
実は僕も、名前で『竜』だと思っただけで詳しくは知らなかった。
僕らの視線が集まる。
彼女は、
「炎姫」
と、友人の名を呼んだ。
赤毛のお姉さんは苦笑する。
そして、
「はいはい、アタシが説明するよ」
と、説明役を交代した。
まぁ、シュレイラさんは第1級冒険者。
数多くの魔物を倒しているし、ある意味、王国の誰より魔物に詳しい人物だった。
その彼女が言う。
「まず、幻竜ってのは、北部の標高の高い山に生息する竜種だ」
「うん」
「はい」
「ただ詳しい生態はわからず、目撃例も少ない。だから、幻の竜と呼ばれてる。ま、存在は確認されてるけどね」
(そうなんだ?)
僕らは頷く。
商人の親戚兄妹も「そうなんや?」「へ~」と話を聞いていた。
黒髪の美女が聞く。
「では、その黒幻竜とは? 普通の幻竜と何か違うのですか?」
「少しね」
頷く炎姫様。
指を1本立てて、
「名前の通り、体表が黒い」
「…………」
「体格も1回り大きくて、少し気性が荒いんだ。他の幻竜はもう少し白くて、大人しいらしいんだけどね」
「なるほど」
ティアさんも頷く。
それから、少し思案顔で、
「では、素直に『苔霊草』を抜かせてくれないかもしれませんね」
「ああ、最悪、戦闘になるかもね」
炎姫様も同意した。
(…………)
竜と戦闘。
それって、かなり危険では……?
だって竜種は、単体で地上最強の生物と言われている魔物だから。
と、僕の表情に、ティアさんが気づく。
彼女は微笑み、
「大丈夫です、ククリ君」
「…………」
「昔の私は、きっと何体もの竜を倒してきたはずです。だから、心配ありません」
「ティアさん……」
「シュレイラも『炎龍殺し』ですしね」
と、隣の美女を見る。
その赤毛のお姉さんは、
「はっ、そうだね」
と、楽しげに笑った。
その一方で、
「竜を何体も……?」
と、アルマーヌさんは怪訝そうな顔をしている。
(……どうしよう?)
ティアさんたちは、ああ言ってくれた。
だけど、危険はある。
アルマーヌさんの頼みだけど、無理せず断ってもいい気もする。
(少し申し訳ないけど……)
と、僕は悩んでしまう。
その表情に気づいて、
「駄目かしら?」
と、彼女が言う。
その水色の瞳は、
チラッ
商人の金髪青年を見る。
「もし『万能霊薬』が完成したら、この店にも少し卸そうと思っていたけれど……」
「!?」
ジムさんの表情が変わった。
ポポも目を見開く。
僕も驚く。
(この店で、万能霊薬を……?)
それは、凄い話だ。
王都どころか、他の国でも『万能霊薬』を扱う店舗なんてそうそう存在しない。
もし扱えれば、一流どころか、超一流店の仲間入りだ。
僕は、ジムさんを見る。
彼も僕を見た。
視線が交わる。
と、彼はグッと唇を噛み、そして、言う。
「店のことはええ」
「え?」
「ククリの好きにしや。ワイは、その判断を応援したる」
ニッ
と、笑った。
(ジムさん……)
他のみんなも、アルマーヌさんも驚いた顔だ。
欲しくない訳ない。
でも、ジムさんは、僕らの安全、気持ちを優先してくれたんだ。
…………。
僕は、息を吐く。
ティアさんが、僕を見る。
優しい声で、
「ククリ君」
「うん」
僕は、頷いた。
ジムさんに笑って、
「そう言えば、僕、ジムさんに開店祝いを何も渡してなかったよね」
「ククリ……」
「うん、ちょうどいいや」
パン
彼の腕を、軽く叩く。
そして僕は、魔法薬師の先生を見る。
彼女は、姿勢を正す。
その美貌を見つめ、
「わかりました、アルマーヌさん。僕らが、その『黒幻竜の苔霊草』を採取してきます」
と、僕は宣言した。
◇◇◇◇◇◇◇
翌日、僕らは再び空を飛んだ。
王都に来た時同様、ティアさん、シュレイラさんと共に『炎龍の槍』に乗っている。
バヒュウッ
炎の翼が羽ばたく。
(……ん)
目の前の雲が弾ける。
正面には『氷の華』が咲き、風圧を防いでくれているけど、やはり凄い速度だ。
眼下の景色も流れていく。
やがて、
「見えてきたよ」
と、炎姫様。
視線をあげれば、吹き飛ぶ雲の向こうに山脈が見えた。
通称、北部霊峰。
アークライト王国の北にある国境付近の山脈だ。
人間は、滅多に立ち入らない。
基本、岩山なので自然の恵みも少なく、何より北部霊峰には、大量の幻竜が棲んでいるためだ。
実に、危険な山。
僕らは、その霊峰にある山の1つに接近する。
(あ……)
50メードほど下方。
岩だらけの山肌を、4~5体の白い竜が歩いていた。
――幻竜だ。
体長は7~8メード。
巨大な岩みたいな見た目で、4つ足でズシズシと歩いている。
凄く重そうだ。
尻尾は長く、先端に数本の棘が生えていた。
バガン
振られた尻尾が山肌の岩をはたき、簡単に砕く。
(……凄)
人間なんか1撃で潰される威力。
あれだけの巨体なのに、僕らが狙う黒幻竜は、更に大きいサイズなのか……。
ヒュウン
僕らは、その上空を通過する。
幻竜たちは、見えなくなった。
やがて、着陸し易い場所を見つけて、炎姫様は岩の山脈へと降りた。
僕とティアさんも、地面へ。
周囲は、岩だらけ。
大小様々な石柱も生えていて、大きいものは10メードぐらいの高さだ。
しかも、
「……霧だね」
「はい」
頷くティアさん。
僕らの周囲には、薄っすら白い霧があった。
視界は、15メードぐらい。
突然、目の前に竜が現れそうで、少し怖い状況だった。
炎姫様は言う。
「先日、黒幻竜が目撃されたのは、この近辺らしいね」
「そうなの?」
「ああ。竜素材を獲りに来た冒険者らしいけど、仲間2人が黒幻竜に殺されたって話さ」
「…………」
ええ……。
竜素材を獲れる冒険者って、かなり上級だ。
なのに、
(何人か、殺されてるの?)
その事実に驚く。
黒幻竜……相当、手強そうだ。
ゴクッ
僕は、唾を飲む。
すると、
「大丈夫、私がついていますよ、ククリ君」
ギュッ
黒神のお姉さんが僕の手を握った。
頼もしい笑顔。
炎姫様も「私もいるさ」と槍で自分の肩を叩く。
僕も笑って、
「うん」
と、2人のお姉さんに頷く。
やがて、僕らは霧の中を歩きだした。
…………。
…………。
…………。
霧と岩だらけの空間では、時々、周囲からズシ……ズシ……と足音がする。
竜のいる気配。
だけど、近づいては来ない。
炎姫様は、
「幻竜は基本、大人しいんだ」
「…………」
「だから、人の気配を感じても滅多に襲ってこないし、逆に遠ざかったりもする」
「うん」
「ただね」
「ただ……?」
「黒幻竜は、気性が荒い」
「…………」
「だから、もし近づいてくる奴がいれば、それが当たりさ」
と、獰猛に笑った。
な、なるほど。
普通の幻竜は人を避け、幻の竜と言われる程、目撃例も少ない。
でも、黒幻竜は逆。
人を積極的に襲う。
そして、
(上級冒険者も殺せるほど強いから、やはり目撃例も少ない……ってことかな)
納得できるけど、嫌な理由だ。
と、その時だ。
クッ
(お?)
僕の肩を、突然、ティアさんの手が引いた。
思わず、足が止まる。
(ティアさん?)
振り返ると、彼女は唇に人差し指を当てていた。
え……?
緊張感のある美貌で、周囲を見回す。
その様子に、炎姫様も気づいた。
ハッとしたように表情を引き締め、手にした槍を構えながら、周囲の気配を探る。
僕も、息を殺す。
耳を澄ます。
霧のせいで、音が伝わり辛い。
けれど、
ズシ……
かすかに響く。
ズシ……ズシ……
今までと違い、その足音だけが段々と近づいてくる。
少しずつ、けれど、確実に。
僕は、魔法弓を用意する。
2人の方を見た。
僕の視線に、彼女たちも頷く。
(――間違いない)
僕らは武器を用意し、待ち構えた。
ズシ ズシ
足裏に響く振動。
やがて、バフッと霧を吹き飛ばしながら、その巨体が現れた。
(う、わ……)
黒い岩山。
咄嗟に、そう思った。
体長12メードもありそうな巨大な体躯。
ズズン
太い足が大地を揺らす。
――黒幻竜。
赤い眼球に敵意を灯し、目的の魔物が僕らのことを睥睨していた。