082・魔王の娘の噂話
(魔王の……娘?)
僕は、青い目を丸くする。
ティアさんも怪訝そうに、その紅い瞳を細めていた。
女王様は、静かに返事を待つ。
やがて、
「いえ、初耳です」
と、元勇者の美女は答えた。
そして、
「今の私は、断片的な記憶しかありません。ただ、その上でも初めて聞く単語に思います」
と続けた。
女王様は瞳を伏せ、「そうか」と頷く。
しばしの沈黙。
――魔王の娘。
正直、不吉に感じる言葉だ。
3年前……いや、もうすぐ4年になる前に、勇者様が魔王を倒してくれた。
けれど、それまで長い間、人類は『魔王』に苦しめられてきたんだ。
魔王……その名の通り、魔物の王。
圧倒的な力と知性によって魔物を統べ、魔大陸から人類の住む大陸へと侵攻を始めたという。
犠牲となった人類は、数十万人に上るとか……。
太陽と月の女神が加護を与え、『勇者』という存在を生み出して世界に介入する必要があるほど、悪逆の存在だったのだ。
(……うん)
そんな存在を、本当によく倒せたと思う。
ティアさん。
僕は、彼女を見つめてしまう。
それから、僕は女王様に訊ねる。
「あの……魔王には娘がいたんですか?」
「…………」
女王様は、答えない。
代わりに、赤毛のお姉さんが口を開いた。
「わからない」
「え?」
「むしろ、アタシたちがそれを確かめたかったんだよ」
「…………」
(どういうこと……?)
僕は困惑。
黒髪のお姉さんも怪訝そうな表情になる。
女王様が息を吐いた。
その唇が動き、
「4年前、魔王が倒され、魔王軍は崩壊した」
「…………」
「…………」
「以来、魔物の統率は乱れ、組織だった動きも見られなくなった。……つい最近までは」
「最近まで……?」
「ですか?」
その言葉に、僕らは驚く。
女王様は、
「――魔王軍の残党だ」
と、告げた。
(残党……)
僕は息を飲み、続きを待つ。
女王様の蒼い瞳には、愁いの輝きが滲む。
そして、彼女は言う。
「魔物の中でも力ある者たちが各地で魔物を統べ、暴れ始めた」
「…………」
「…………」
「だが、戦後、このような事態が起こることは、各国で予想されていた。想定の範囲内の出来事だ。各国の軍、冒険者が対処に当たっている」
そうなんだ?
(凄い……)
女王様たちは、やっぱり頭がいい。
僕は、素直に感心する。
その女王様は、
「だが、想定外もあった」
「え……?」
「…………」
「魔大陸の北部で、魔王軍の残党による大きな被害が起きた。都市が3つ、壊滅した」
「!」
「…………」
「被害国は対処のため、冒険者ギルドに協力を頼む。結果、『第1級冒険者』3人を含めた1500人の軍戦力が残党討伐に動いた」
「第1級が3人も?」
「ほう……」
僕らは、炎姫様を見てしまう。
彼女と同じ力の冒険者が3人……それだけでも、凄い戦力だ。
だけど、
「…………」
赤毛の美女は、険しい表情だ。
(???)
それを、僕は怪訝に思う。
と、炎姫様が言う。
「――3人とも、死んだよ」
淡々とした声で。
(え……?)
その意味が、すぐにはわからなかった。
ティアさんは、紅い目を見開く。
ジワリ
やがて、意味が浸透し始め、胸の奥に嫌な感覚に滲みだす。
死んだ?
第1級の3人が……?
炎姫様と同じ実力の持ち主たちが……死んでしまったの?
僕は愕然だ。
女王様を見る。
美しい女王様は、表情を微動だにしなかった。
しないまま、言う。
「討伐軍は、全滅した」
「…………」
「…………」
「第1級冒険者3人を含めた1500人全員が殺された。他と比べ、その残党だけは異常な強さだったのだ」
「…………」
「…………」
「目撃した近隣の村民の証言によれば、たった1体の人型の魔物が第1級冒険者3人を蹂躙したらしい」
「1体……?」
「まさか」
僕らは、目を瞠る。
女王様は、頷く。
「――その者は、自らを『魔王の娘』と呼称したそうだ」
ドクッ
心臓が跳ねた気がする。
王国最強のシュレイラさんと同格の冒険者3人を蹂躙、殺害できる魔物……。
(……魔王の娘……)
僕は、声が出ない。
ティアさんが聞く。
「本当に、魔王の娘なのですか?」
「わからぬ」
「…………」
「だが、強さは本物。証言によれば、とても美しい女の魔物だったそうだが」
「…………」
黒髪の美女は、しばし考え込む。
やがて、
フルフル
長い黒髪を散らし、首を振る。
「やはり、記憶にありません」
「そうか」
「はい……」
「いや、いい。魔王の血筋か、真偽は定かではないが、それは重要ではない」
「…………」
「重要なのは、そのような魔物が存在するという事実だ」
「はい」
元勇者のお姉さんは、頷く。
女王様も頷き、
「その情報はすでに各国に伝わり、多くの国が危機感を抱いている」
「はい」
「今はその対応を検討している最中だが、有効策は見つかっていない」
「…………」
「勇者の存在」
「……え?」
「非公式ながら我が国の手札を知る国は、帝国より我が国の手を取ろうとしていることも少なくない。その事実も伝えておこう」
「…………」
その言葉に、ティアさんは沈黙する。
僕は、少し唖然。
(この状況も、帝国派への牽制にする気なのか)
その胆力が恐ろしい。
これが、為政者。
人類の敵を前にしても、同じ人類と戦う姿に怖さすら覚える。
女王様は、薄く微笑む。
美しく……。
けど、毒が秘する美しさで。
ゴクッ
無意識に唾を飲む。
今更だけど、自分がとんでもない何かに巻き込まれている気がしてきたよ。
◇◇◇◇◇◇◇
そうして、話は終わった。
そのあと、女王様は『クレアさん』に戻って家を出ると、炎姫様と共に村をあとにしたんだ。
(…………)
僕は、青空に消えていく炎の輝きを眺める。
あっという間の出来事。
でも、濃密な時間だった。
帝国に魔王の娘……考えることがいっぱいだ。
隣を見る。
そこには、長く艶やかな黒髪を風に揺らしながら、同じように空を見ているティアさんがいた。
(……うん)
元勇者のお姉さん。
女王様は、何も要求しなかった。
前もって言われていたように、謝罪に来ただけだった。
だけど、
(実際は違うよね?)
と思う。
僕ら2人には、『今まで通りに暮らしていればいい』と寛大な言葉を伝えていた。
でも、言外の意味もある。
翻訳すれば、
『王国は、貴方たちの生活を守ります』
『でも、王国が大変だと、貴方たちの生活を守れなくなります』
『なので、王国が困ったら力を貸しましょう』
である。
それぐらい、僕でもわかるよ。
でも、ティアさんの過去には多くのしがらみが絡みついている。
僕1人じゃ守れない。
だから、王国が助けてくれるなら、その条件を受け入れるのが1番安全で確実な方法なんだ。
正直、もしもの時に何を頼まれるのか、怖いけど……。
でも、
(覚悟を決めよう)
僕は、静かに運命を受け入れた。
きっと、シュレイラさんもわかっていたから、素人の僕にも色々な戦いの術を教えようとしてくれていたのだろう。
本当に、いい姐御さんだ。
僕は心の中で微笑み、
ギュッ
隣にいる黒髪のお姉さんの白い手を握る。
「!」
ティアさんは黒髪を散らし、驚いた顔をこちらに向ける。
そんな彼女に、僕は微笑む。
繋いだ手を持ち上げながら、
「僕らも、自分たちの家に帰ろっか」
「あ……は、はい」
頷く、黒髪のお姉さん。
そして、嬉しそうにはにかむ。
その白い頬がほんのり赤く染まっていて、何だか可愛かった。
(ティアさん……)
僕の大好きな人。
恋人で、婚約者のお姉さん。
何としても、彼女のことを守ろう。
そう誓いながら、僕らは手を繋いで自分たちの家へと村の中を歩いていった。