079・婚約
チチチ……ッ
小鳥の囀りが聞こえる。
窓の外には、太陽が昇っている――もう朝だ。
(…………)
寝起きの僕は、ベッドの上でしばらくぼんやりする。
視線を下ろせば、
「……ん」
同じベッドで眠っているティアさんがいる。
長く美しい黒髪がシーツに広がり、大人びた美貌はあどけない寝顔を見せていた。
――うん、夢じゃない。
今更ながら、確信する。
同時に、顔が熱くなる。
(ティアさんと、キス……しちゃった)
しかも、自分から。
それも、2度も。
その時は正しいと思ったけど、今思うと、ずいぶんと思い切った行動だと思う。
…………。
いや、いいのだ。
だって、ティアさんを思う気持ちに嘘はないのだから。
(うん、そうだよ)
心の中で、自分に言い聞かせる。
ちなみに、あのあと一緒に眠ってしまったけど、特に何もありません。
だって、僕、未成年だし。
成人は来年だし。
その、もし男女の何かがあったら、成人のティアさんが法的に捕まっちゃう。
もしくは、白い目で見られちゃう。
なので、我慢なのだ。
ただ、ティアさん自身は、眠る前、とても熱っぽい視線と期待した表情を見せてたけどね。
(…………)
可愛かった。
綺麗で可愛いお姉さん。
僕は、来年まで我慢できるでしょうか?
って、
(何を考えてるんだ、僕)
パンパン
頬を叩く。
するとその時、
「ん……ぅ」
(あ)
音が大きかったのか、ティアさんが目を覚ました。
柔らかく黒髪をたわませながら身体が動き、紅い瞳がゆっくりと開く。
仰向けになり、
ポヨン
シャツの下の大きな胸が重そうに揺れた。
目が合う。
数秒、ぼんやりした瞳に光が宿り、彼女は優しく微笑んだ。
「……おはようございます、ククリ君」
「うん、おはよう、ティアさん」
僕も、笑顔を返す。
彼女も嬉しそうだ。
(……夜のこと、覚えているのかな?)
少し気になる。
と、黒髪のお姉さんは、僕を見つめたまま、両手を伸ばしてきた。
頬と髪を撫でられる。
そのまま頭を押さえられ、引き寄せられる。
「ん……」
チュッ
(わっ?)
キス……された。
顔が離れると、彼女の美貌がほんのり赤く染まっていた。
どこか艶っぽい。
たった今、触れた唇が動き、
「……昨日のこと、夢じゃない、ですよね?」
と、聞かれた。
少し不安そうな声。
年上のお姉さんなのに、何だか庇護欲をそそる表情だ。
僕は頷き、
「うん、夢じゃないよ」
と、微笑んだ。
それに、彼女は安心したように笑う。
意外と情熱的なんだな、ティアさんって……。
少し……いや、かなりドキドキした。
…………。
差し込む太陽の光の中で、僕らはそんな朝の目覚めを迎えたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
朝のお祈り、水汲みなど、いつも通りに行う。
そして、朝食の時間。
ちなみにメニューは、ほかほかの白米と焼いた魚の干物、葉物野菜のお浸し、ジャガイモと玉葱、人参のお味噌汁だ。
(うん、いい味)
料理の出来に満足。
モグモグ
そんな朝食を食べながら、今後のことを話す。
「えっと……」
「はい」
「僕とティアさんは今日から、その……こ、恋人同士ってことでいいのかな?」
「――はい」
彼女は、嬉しそうに頷く。
でも、頬も赤くて、少し恥ずかしそう。
(う……)
僕も、顔が熱いや。
そっか、恋人か……っ。
嬉しくて、くすぐったくて、安心できて、ドキドキして、何だか大変な感情だよ。
ティアさんは、はにかむ。
「こんな私ですが、よろしくお願いします」
ペコッ
黒髪をこぼし、頭を下げる。
僕は慌てて、
「こちらこそ」
と、頭を下げ返した。
2人とも顔をあげ、目が合うと笑ってしまう。
(あはは……)
何をしてるんだか。
でも、嫌な気持ちじゃなくて、何だか楽しい。
ティアさんも微笑んでいる。
僕は、居住まいを正す。
「あの、ですね」
「? はい」
「来年、僕は成人します」
「はい」
「でも、今は未成年で……だけど、僕はティアさんとのお付き合いは真剣だから。だから、その、将来のことも考えてて……」
「…………」
「その、結婚を前提に、今は『婚約』ということでもいいですか?」
「婚約?」
「うん」
「…………」
「……ティアさん?」
「…………」
「…………」
「あ……」
突然、彼女の頬が真っ赤になった。
(え?)
今までお姉さんらしい余裕があったのに、それが消えた感じで表情に驚きがある。
見開いた紅い瞳が、僕を見つめる。
大きな胸の前で、
ギュッ
両手を握る。
何かを飲み込むように、きつく目を閉じ、深呼吸。
やがて、再び目が開く。
瞳は熱く潤んでいる。
そして、言う。
「ククリ君は……」
「…………」
「ククリ君は、私を幸せで殺す気ですか?」
「え?」
「嬉しくて、驚き過ぎて、幸せで……私は死んでしまいそうです。そこまで考えてくれるのですね、私との将来を」
「…………」
「はい、ククリ君」
彼女は頷く。
僕を見つめたまま、
「――このティアの未来を、全て貴方に捧げます」
と、宣誓する。
その言い方に、僕の方も驚いてしまう。
(でも……)
やっぱり、嬉しい。
そして、きちんと婚約できたことに安心する。
僕も頷く。
顔が熱いけど、
「うん、幸せにします」
「はい」
「ティアさんがいてくれたら、僕も幸せだから。この先も、ずっと一緒に、幸せになろうね」
「――はい」
僕の言葉に、彼女は嬉しそうに泣きながら笑った。
僕も真っ赤な顔のまま、笑う。
…………。
いつもと同じ朝食の時間。
だけど、今朝はいつもと違う、少し特別な時間となったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
朝食のあと、僕らは家を出る。
目指すのは、村長の家だ。
別に義務ではないんだけど、婚約の件を村のまとめ役である彼に報告しておこうと思ったんだ。
で、高台の村長宅に到着し、村長に伝える。
すると、
「ほうか、ようやくか」
と、村長は頷いた。
特に驚いた様子もなく、淡々と。
(えっと……)
ようやくって、何?
僕の反応に、
「そりゃ、いつかこうなると思ってたけんな」
「……え」
「むしろ、遅いんだわ」
「…………」
僕は唖然。
隣の黒髪のお姉さんも、紅い目を丸くしている。
村長は、
「ま、おめでとさん」
と、笑って祝福してくれた。
…………。
…………。
…………。
小さな村だ。
その日の内に、僕らの婚約は村中に知れ渡った。
(ま、想定内)
なんだけど、
「何だ、ようやくか」
「遅いべ」
「んだな」
「ティア、待たせ過ぎだべ」
「2人とも、奥手なんだわ」
「見てるこっちが、ヤキモキしてたべよ」
「んだんだ」
なんて、村長と同じようなことを言われてしまった。
(…………)
そ、そっか。
村のみんなからは、僕ら、そんな感じに見えてたんだ。
いや、でも確かに。
思い返せば、皆、ティアさんのことを『ククリの嫁』と呼んでいたっけ。
ただの冗談だと思ってたけど。
でも、実は……?
将来、そうなると予感してたとか?
ちなみに、ティアさんの婚約を知って、村の若い男衆には泣いている人もいた。
「うう……」
「わ、わかってたべ」
「小さな希望も消えたべか……」
「ククリめ、羨ましかぁ」
「今夜は、皆で自棄酒だべ!」
「おう!」
グスン
と、肩を組みながら行ってしまう。
(う、う~ん)
僕からは、何も言えない。
その一方で、ご近所さんの奥様方は、黒髪のお姉さんを囲み、
「いやぁ、ようやくけ」
「んで……どっちから告白したん?」
「ほう、ティアから?」
「しっかりもんだけど、ククリも若いから」
「年上のティアが引っ張ってやらんとね」
「んだな」
「でも、これでやっと、本物の『ククリの嫁』になったべ」
「だべさ」
「姐さん女房の魅力で、しっかり虜にしとくんだよ」
「ティアなら大丈夫だべ」
「そだな」
「ともあれ、本当におめでとさん」
パンパン
と、背中を叩かれる。
ティアさんは恥ずかしそうな、嬉しそうな表情である。
(あはは……)
興味や好奇心も強そうだけど、でも、皆の笑顔からはきちんと祝福の気持ちも伝わる。
だからティアさんも、
「皆さん、ありがとうございます」
と、微笑み、黒髪を肩からこぼしながら頭を下げていた。
そのあと、お祝いにたくさんの食材をもらってしまう。
(…………)
なんか、精のつくものが多い。
いやいや、まだ駄目だから。
来年だから。
なんて思ってると、
「ククリは真面目だべ……」
と、村の人たちに呆れた顔をされてしまった。
なぜ……っ?
そんな僕らに、ティアさんは少し困ったように、頬を赤くしながら笑っていた。
◇◇◇◇◇◇◇
そんな風にして、僕とティアさんは婚約した。
でも、特に日々は変わらない。
ずっと同居してたし。
その……時々、キスしたりするけれど、それ以外は今までと同じ日々だ。
薬草を集め、納品する。
今日も、最後の選別作業が終わる。
そして、お風呂の時間。
チャポン
「…………」
僕は今、風呂場にいる。
だけど、その僕の後ろには、なぜかタオルで胸と股間を隠した黒髪のお姉さんもいらっしゃる。
彼女は恥ずかしそうに、
「お背中、流します」
と、僕のすぐあとに入ってきたのだ。
(なぜ……?)
と思い、
(あ……ご近所さんの入れ知恵か)
と、真相に気づいた。
きっと、正式な結婚までに浮気されないように、とか何とか。
それを、生真面目なティアさんは真に受けて……。
確認すると、
「ど、どうしてわかったのですか?」
と、驚かれる。
やっぱり……。
だけど、
「確かに、助言は受けましたが……」
「…………」
「ですが、それを実行したいと思ったのは、私なんです。その……私自身の望みなんです」
と、恥ずかしそうな告白。
うぐ……っ。
そんな風に言われたら、僕も真っ赤だよ。
そして、断れないままに、背中を流される。
タオルで擦られるんだけど、たまに、彼女自身の白い手や指が触れてくる。
(うう……)
無心になれ、ククリ。
やがて、一緒の湯船に。
チャポッ
上気した白くたわわなティアさんの胸がお湯に浮かぶ。
濡れた長い黒髪は頭の後ろでお団子に……だけど、後れ毛が数本、白く滑らかなうなじに張りつき、とても色っぽい。
「は、ふぅ……」
と、甘い吐息がこぼれる。
そのふっくらした紅色の唇は、かすかに半開きだ。
端正な美貌も、耳までほんのり赤い。
チラッ
時折、視線が隣の僕に向く。
そして、お湯の中で、
キュッ
(!)
彼女の手が、僕の手を握った。
しかも、指の1本1本が交差する、恋人繋ぎで。
熱い……。
色んな意味で、のぼせそうだ。
彼女は言う。
「はしたなくて……ごめんなさい」
「…………」
「ですが……ククリ君の心を自分に繋ぎ止めたくて、私のことを感じて、ずっと考えて欲しくて……」
「……うん」
もう、頭から離れません。
嬉しいし、幸せだけど、
(でも、忍耐を試される1年になりそう……)
と、僕は思う。
我慢、しなきゃ。
その耳元に、
「――大好きですよ、ククリ君」
と、黒髪のお姉さんが顔を寄せ、甘く囁いた。
…………。
…………。
…………。
た、耐えられるかなぁ……?
ご覧頂き、ありがとうございました。
次回は、12日に小説家になろう様のメンテナンスもあるため、1日早い明後日、5月11日の日曜日、18~19時頃に更新いたします。
どうぞ、よろしくお願いします。