075・白濁の闇
「――はっ」
黒髪の元勇者は、手にした『氷雪の魔法大剣』を真横に振り抜く。
バシュッ
黒い影の1人が斬られ、黒煙のような外套がまるで煙を切ったように千切れる――けれど、その姿は数メード後方で再生した。
ティアさんの紅い瞳に動揺はない。
ヒュオッ バヒュン
2度、3度、周囲の黒い人影を斬っていく。
けれど、連中は死なずに再生を繰り返す。
――死の息吹。
レオバルト帝国の皇帝直属の暗殺組織の人間は、まるで人外の存在みたいだ。
と、その1人が手を伸ばす。
ジュルッ
枯れ枝のような手指の爪が1メード程の長さに伸び、ティアさんに襲いかかる。
その爪は、まるで鋭い刃物のよう。
ヒュン ヒヒュン
黒髪をなびかせ、彼女は華麗にかわす。
同じように、2人目、3人目も加わるけれど、彼女の肉体には届かない。
逆に、
バヒュン
再び青白い大剣に斬り裂かれ、後方へと追いやられてしまう。
僕は、その戦いを見つめる。
(――うん)
彼女を信じ、あちらは任せよう。
僕は、僕にできることを。
チャポ
手の中の小瓶を手に、僕は、ポポの隣に座る。
「う……くっ……」
苦しげな表情。
すぐ助けるから……!
僕は、傷口を塞いだ包帯と布を外していく。
布は、赤黒い。
多少なりとも、周辺の毒に侵された血を吸ってくれただろうか……?
再び『浄化の魔石』で綺麗にした水筒の水で、傷を洗う。
傷の周辺は、紫色に変色している。
毒の影響だ。
刺さった矢は、肋骨で止まっていた。
肺までは届いていない。
だけど、血を吐いていたし、多分、毒の炎症で周辺の組織、肺や気管、食道がやられてる。
(焦るな)
解毒薬は有限。
慎重に、無駄にしないように。
傷口に、ゆっくり流し込む。
トロッ
魔力を含んだ薬草の蜜を素材に作られた液体だ。
流れた途端、
「あ……熱いっ……」
ポポが呻いた。
純粋な魔法薬ほどではないけれど魔力を含んだ薬だから、即、体内の毒に反応したんだ。
痛みに耐えるように、彼女の手が僕の腕を掴む。
プツッ
その爪が皮膚を裂く。
痛い……けど、それを無視して、ただ慎重に薬を使う。
半分残し、小瓶に蓋をする。
彼女の小ぶりな乳房に広がっていた紫色の変色は、最初より減少していた。
(ん、効いてる)
それを確認し、僕は頷く。
傷口に止血の薬を再度、塗布し、当て布と包帯を巻く。
それから、彼女の頭を抱える。
「ポポ、飲んで」
少女の口に小瓶を当て、薬を飲ませる。
唇の間に薬が流れ、
「ん、ぅ」
ゴク
その白い喉が動く。
小瓶の残り全てを飲ませ、再び床に寝かせる。
(……うん)
苦しげだった表情は、今、少しだけ和らいでいる。
毒の症状が治まったんだ。
やられた組織は、すぐには治らないけど、時間が解決してくれるだろう。
もしもの時は、ティアさんの回復魔法もある。
峠は越えた。
そう確信し、僕は息を吐いた。
…………。
いや、安心するのは早い。
まだ戦っている最中だ。
安全な状況になるまでは、油断するな。
(外は……?)
確認しようと、幌馬車の荷台から前を覗く。
瞬間、
ボボォン
(うわっ!?)
目の前を、紅蓮の炎が放射状に噴き抜けた。
チリッ
熱波が肌と前髪を焼く。
驚く僕に、
「それ以上、顔を出すんじゃないよ、ククリ!」
炎姫様の警告が飛ぶ。
彼女は、幌馬車の前で『炎龍の槍』を構え、何度も周囲に炎を飛ばしていた。
それで気づく。
僕がポポを治療中、彼女が馬車を守ってくれていたのだ。
だから今、僕とポポは無事でいる。
見れば、
ジュオッ
炎に焼かれ、細い糸のような物が何本も燃え散っていた。
更に、周囲には再び霧が広がっている。
赤毛を振り乱しながら、彼女は言う。
「いいかい! 連中はお前らを捕まえ、またティアに言うことを聞かせようとしてるんだ。絶対、外に出るんじゃないよ!」
「! う、うん!」
僕は頷き、
ボバォッ
その目の前で、彼女は再び炎の渦を周囲に放った。
濃霧の中、黒い影が跳躍して炎を回避する姿が見え、そして、奥の白い闇に消えていく。
僕は周囲を見る。
「ティアさんは!?」
「奥で戦ってるよ!」
炎姫様は答え、そして、笑う。
「はっ、安心しな」
「…………」
「ティアなら負けないさ。しかも、連中、アイツを『記憶の欠けた勇者』と侮って今だ逃げもしない」
「…………」
「叩き潰すなら、今さ」
獰猛な笑み。
叩き潰す……。
確かに、ここで逃げられて、また襲われるよりは今の内に潰したい。
最悪でも、数を減らせれば、
(今後の平穏に、少しでも繋がるはず……)
僕は頷く。
「うん、潰そう」
そう答えた。
……本音を言えば、僕も少し怒っている。
ポポを傷つけた。
ティアさんと僕の平穏な時間を壊そうとした。
(許したくない)
いや、許さない。
死の息吹でも、帝国の人間でも関係ない。
その時、
ガシュ パキィン
白い霧の奥で、青白い光が明滅し、金属音が連続して木霊した。
ティアさん!
あそこで戦っているのか。
僕は、目を凝らす。
でも……見えない。
ただ、赤毛の美女はわかるようで、少し表情をしかめた。
「手こずってるね……」
「…………」
「やっぱ、この霧が邪魔なんだ。視力も、聴力も、嗅覚も、平衡感覚も奪われる」
「うん……」
「こりゃ、術者を何とかしたいね」
「術者?」
僕は聞き、
ボバァン
彼女は三度、周囲に炎の波を撒く。
炎の先で黒い影が散り、白い霧に飲み込まれる。
それを見届け、彼女は答えてくれる。
「この霧は、魔法で創り出されてるのさ」
「魔法……」
「ああ。その術者は奥にいる。けど、ティアは気づいてないし、アタシもこの場を動けない」
「…………」
「炎も微妙に届かないし……ったく、嫌な位置だよ」
唇を尖らせる。
どうも、ストレスが溜まってる感じ。
(…………)
僕は考え、聞く。
「場所は、わかってるんだよね」
「ああ」
「なら、僕が狙うよ」
「え?」
カチャ
荷物に括られていた緑色の『魔法弓』を握り、彼女に見せる。
僕だって、
(――連中にやり返したい)
そう思ってる。
覚悟と怒り、意思と感情を込めて、シュレイラさんを見る。
彼女は驚いた顔。
でも、すぐに笑い、
「そうかい。なら、やってみようか」
◇◇◇◇◇◇◇
濃密な白い霧の奥で、青白い閃光が何度も光る。
あの人が戦っている。
(ティアさん……)
僕は、唇を噛む。
そんな僕に、赤毛のお姉さんは言う。
「いいかい、ククリ」
「…………」
「この魔力の霧は、アタシとティアの魔法の威力も減衰させる。それは、お前の魔法の矢も同様だよ」
「そうなの?」
「ああ」
頷く、シュレイラさん。
(なるほど、だからか)
森一帯を焼いたり、湖を凍らせたりするほどの2人が苦戦しているのは。
魔力の霧。
本当に厄介な魔法のようだ。
それを指摘して、炎姫様は言う。
「だから、こうするよ」
「…………」
「まず、アタシが炎で霧を焼く」
「霧を?」
「そうだよ。けど、すぐに霧に炎はかき消される。視界が晴れるのは、約2秒だろうね」
「2秒……」
「その2秒で、術者を射な」
強い眼差し。
それを受け止め、
「――うん、わかった」
僕は頷いた。
それに、赤毛の美女も満足そうに頷く。
それから、
「狙いは、仮面だよ」
「仮面?」
「連中の外套は『闇の陽炎』って魔法装具でね。斬っても意味がないのさ。だから、仮面を射るんだよ」
「うん」
「よし」
炎姫様は頷き、
ボボォン
周囲から迫る糸を、また炎で焼く。
赤毛の髪が、風圧で舞う。
僕を見て、
「じゃあ、やるよ! 準備はいいね」
「うん!」
僕は頷いた。
ヒィン
魔力の弦を引き、魔法の矢を生みだし、備える。
(ふぅ)
息を吐き、集中。
それを見て、彼女も頷く。
次の瞬間、手にした『炎龍の槍』を一際高く振り上げ、穂先の炎を盛大に燃やす。
そして、
「うおりゃああ!」
ボバァアアアン
振り下ろしたと同時、眼前の白い霧を焼くように炎の奔流が噴き出した。
視界が赤く染まる。
熱波が荒れ、肌を焼く。
(……っ)
歯を食い縛り、僕は耐える。
凄まじい真っ赤な炎は、白い闇を払い、幌馬車の右斜め前方2~300メードの視界を開けさせた。
(――今だ)
青い目を凝らす。
1秒。
久しぶりに見た森の景色。
その木々の奥に、不思議な白煙を噴く香炉をぶら提げた仮面の黒い人影がいる。
(――見つけた)
2秒。
魔法弓を構え、狙いを定める。
白い霧が、再び、見えた人影を隠していく。
集中しているからかな?
この間の、白蛸を射た時のように周囲が遅く感じる。
奴の姿が消えきる前に、
クッ
光る弦を離しかけ、
(!)
瞬間、奴が横に動くのが見えた。
狙われてるの気づき、霧に隠れて、位置を変えようとしたのだ。
危ない。
そのまま射れば、外していた。
でも、ほんの一瞬。
ほんの僅か、動き出しが早く、その初動があった。
白濁した霧が、奴を隠す。
だけど、
――見たぞ。
パシュン
僕は弓を横に滑らせ、魔法の矢を放つ。
いつもと同じ。
相手の動く速度から位置を予測し、矢の速度も計算して偏差射撃を行う。
射た瞬間、
(……あ)
なぜか、当たると確信する。
まだ薄い霧を裂き、輝く矢は飛翔する。
そして、
ボフッ
白い闇の彼方で、かすかに音がした。
同時に、周囲に満ちていた霧が薄くなっていく。
視界が開ける。
約270メード先の地面に、黒い外套を羽織った人影が倒れていた。
周囲には、砕けた仮面が散っている。
そして、赤い血も……。
香炉も転がり、けれど、もう白い煙は噴いていない。
(――やった)
僕は、小さな右手を握る。
赤毛の美女も、
「よくやった、ククリ!」
と、喝采をあげた。
ほぼ同時に、
ギキィィイン
高く澄んだ音色が響き渡り、見れば、森の奥に氷の柱が乱立していた。
全ての先端が鋭く尖っている。
陽光に美しく反射し、
(あ……)
その内の何本かの先で、黒い人影たちが串刺しになっていた。
全員、仮面も砕けている。
その根元の地面には、
リィン
美しい『神紋』を額に光らせ、輝く『氷雪の魔法大剣』を手にする黒髪の美女が立っていた。
怜悧な美貌。
切れ長の紅玉の瞳は、静かに串刺しとなった者たちを見つめる。
カハッ
男の1人が、血を吐いた。
(…………)
その顔面に、驚く
眼球は白く濁り、鼻は削ぎ落とされ、皮膚もなく、眉やまつ毛、頭髪などの体毛も一切ない。
人間……だよね?
その恐ろしい顔面は、全員が同じ。
炎姫様が呟く。
「なるほど……他国などに潜入する際、変装のために頭部の特徴を削り落としてるんだね」
「…………」
「もはや人間ではなく、自らの存在を道具としているのか」
「…………」
そんな……馬鹿な……。
(そこまでするの?)
その皇帝直属の暗殺組織の姿は、まさにレオバルト帝国の闇を象徴しているように感じてしまう。
男たちの傷から血が垂れる。
ポタ ポタタ
それは、ティアさんの美貌に点々と降りかかった。
でも、彼女は表情を変えない。
顔のない男は、笑った。
「くく……負けました、勇者よ」
「…………」
「記憶を失い、全盛期には及ばぬ力……なのに、我らでは届かない。……誠、恐ろしい存在です」
ブルル
震えるその手が、彼女に伸ばされる。
黒髪の美女は動かない。
ただ、その姿を見つめ、男は言う。
「帝国に……戻りませんか?」
「…………」
「その力を振るい、世界を統べましょう……。偉大なる皇帝陛下の御代を生み、恒久の……平和な時代を……」
「いいえ」
黒髪を揺らし、彼女は首を振る。
静かに、
「――私はティア。私の居場所は、すでにこの地にあるのです」
と、告げる。
瀕死の男は、沈黙する。
やがて、苦しげにクックッと笑い、
「……残念です」
と、皮肉げに呟いた。
伸ばされた手が、力なくダラリと落ちる。
その瞬間、
ドパァアン
男の身体が爆発を起こした。
ティアさんを巻き込み、爆炎が広がる。
(!?)
自爆っ!?
命を失った瞬間、発動する仕掛けがあったのか。
「ティアさん!」
僕は叫ぶ。
シュレイラさんも驚き、険しい表情になる。
けれど、
(……あ)
爆炎が消える。
そこには、魔法の『氷の華』を前面に展開させた彼女がいた。
静かな表情。
動じた様子もなく、美しい黒髪がなびいている。
無傷みたい……。
(よ、よかった)
僕は、その場にへたり込む。
赤毛の美女は、ホッと息を吐く。
黒髪のお姉さんは、何かを噛み締めるように虚空を見上げ、その瞳を閉じる。
…………。
やがて、紅い瞳が開く。
その美貌が、こちらを振り返った。
(あ……)
目が合った。
僕は笑った。
心から。
それを見た彼女は、酷く驚いた顔をする。
数秒後、彼女は表情を崩し、一瞬、泣くのかと思ったけれど、微笑んで……。
「ククリ君……っ」
僕の名を呼び、
タッ
黒髪をなびかせ、僕の方へと駆けだした。