表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

70/97

069・白蛸

 夜の闇に、炎は目立つ。


 炎姫様の到来を、きっと多くの人が目撃しただろう。


(……うん)


 彼女は、もう逃げられないかも……。


 幸か、不幸か。


 あの人にとってはわからないけれど、僕らには幸運なのかもしれない。


 やがて、1時間後。


 コンコン


 宿の部屋の扉がノックされる。


 僕が「どうぞ」と声をかけると、


 ガチャ


「おう、来たぞぉ」


 と、笑顔のシュレイラさんが登場だ。


 途端、


「炎姫様ぁ!」


「うおっ!?」


 彼女のお腹に、水色髪の少女が勢いよく抱き着いた。


 炎姫様は、隻眼の瞳を瞬く。


 僕らを見るので、


「いらっしゃい、シュレイラさん」


「どうも」


 と、僕は笑顔で、ティアさんは澄まして挨拶する。


 彼女は、少し不思議そうな顔。


 でも、すぐに気を取り直したように、抱き着くポポの頭を軽く叩きながら、


「ああ、無事に合流できたね」


「うん」


「そうですね」


 笑う彼女に、僕らは頷く。


 それから、ふと、


「でも、どうやってこの宿屋に僕らがいるってわかったの?」


 と、聞いてみた。


 ルクセン町に、宿屋は複数ある。


 まさか、全宿屋に聞き込みした訳でもないと思うけど……。


 僕の疑問に、赤毛の美女は笑う。


 僕の隣のティアさんを指差し、


「ティアの魔力を追ったのさ」


「魔力?」


「私の?」


「ああ。魔力は人それぞれ、独特の波長があるからね。特にティアの魔力は濃いから、わかり易いんだよ」


「へぇ……」


「そんなことができるのですね」


「これでも第1級冒険者だよ、アタシは。それぐらいの芸当はできるさ」


 と、得意げに言う。


(そっか)


 やっぱり凄いね、シュレイラさんは。


 僕も、笑顔で頷いた。


 グリグリ


 その間も、少女は炎姫様のお腹に額を押しつけている。


 炎姫様は、


「……で?」


 と、困ったように少女を見て、それから再び僕らを見る。


 怪訝そうに、


「実は、さっき町に入ってから町の連中の反応も変でね」 


「…………」


「来てくれたんですね、とか、お願いします、とか、妙に期待してるような目で見られたんだけど……何かあったのかい?」


「ああ……うん」


 僕らは苦笑する。


(やっぱりか)


 現在、町の苦境の真っ只中。


 そこに、王国の英雄・炎姫様がやって来れば……うん、皆、勘違いするよね。


 僕は頷き、


「実はね――」


 と、彼女に現在の町の状況を教えた。


 …………。


 …………。


 …………。


 3分後、


「……マジかい」


 説明を聞き終えた赤毛のお姉さんは、顔に手を当て、天を仰いだ。


 僕は「マジです」と頷く。


 彼女のお腹で、ポポは縋るように、


「炎姫様ぁ」


 と、涙目で見つめた。


 僕らの視線に、シュレイラさんは難しい表情を見せる。


 ため息1つ。


「アタシは、休暇のつもりで来たんだけどねぇ」


「うん……」


「今日のために、必死に仕事してスケジュール空けたのに……結局、ここでも働くのかい?」


「…………」


「参ったねぇ」


 と、ぼやかれる。


 そう言われると、申し訳ない気持ち。


 でも、ティアさんが、


「ですが、このままでは虹煌魚が食べれませんよ?」


「む……?」


「ククリ君の作る最高の手料理が」


「むむ……」


 黒髪のお姉さんの言葉に、彼女は悩ましげな顔になる。


 僕らは、彼女を見つめる。


 少し考え、僕は聞く。


「あの、シュレイラさん」


「ん?」


「今回の『悪夢の白蛸』を討伐するのって、シュレイラさんでも難しいの?」


「あ~……」


 彼女は、微妙な声を漏らす。


 言葉を選ぶように、


「白蛸の前の活動期は、アタシが生まれる前なんだよね。だから、推測だけだけど……」


「うん」


「多分、単純な強さは、アタシが上だ」


「そうなの?」


「多分ね」


「…………」


「ただ、問題は環境だね」


「環境?」


「戦う場所が湖だ。炎と水は相性が悪い。アタシの炎は半減させられ、水の魔物である奴は強くなる。結果、負けなくとも倒し切れる自信もない」


「そう……」


 僕は、頷いた。


(なるほど)


 戦場が、魔物にとって有利、シュレイラさんにとって不利な条件なのか。


 更に、彼女は言う。


「加えて、足場がない」


「…………」


「ククリは知らないかもしれないけど、『武技』ってのはね、基本、地面があっての技なのさ。水の上には立てないし、不安定な船でも同様さ」


「うん……」


「これまで数多くの王国軍、冒険者が負けた最大の要因だね」


「でも」


「ああ、アタシは空を飛べるよ」


「…………」


「でも、足場がなければ、振るう槍の威力も出せないし技も限定される。そこも厳しい点だね」


「そっか」


 敵は水の中にいる。


(戦場が湖であることが、最大の問題点か)


 確かに、泳ぎながらは戦えない。


 金属鎧なら、重量で溺れてしまう。


 水の抵抗で、剣の威力も落ちる。


 動きも遅くなる。


 …………。


 考えたら、相当、理不尽な条件だね。


 ポポは、


「炎姫様でも無理なんですか……?」


 と、再びの涙目だ。


 赤毛のお姉さんは困った顔だ。


 チラッ


 ティアさんを見て、


「難しいけど……まぁ、ティアの力を借りれば何とかなるのかねぇ?」


 と、疑問形で言う。


 僕らの視線が、黒髪のお姉さんに集まる。


 ティアさんは驚き、


「力を貸すのは、やぶさかではありませんよ」


「そうかい?」


「はい。ククリ君と友人のためなら協力は惜しみません。何をすればよいですか?」


 と、聞く。


 炎姫様は「う~ん」と腕組みして考え込む。


 と、その時、


 コンコン


(ん?)


 再び、僕らの部屋の扉がノックされた。


 誰だろう?


「はい、どうぞ」


 と、僕は声をかける。 


 カチャ


 皆の視線が注目する中、扉が開く。


 その向こうにいたのは、宿屋の従業員だった。


 彼女は恐縮した様子で、


「夜分遅くにすみません……。実は、ルクセン町長の使いの方がいらして、至急、炎姫様にお会いしたいとのことで……」


「アタシに?」


「は、はい」


「そうかい……」


 結ばれた赤毛を揺らし、大きなため息。


(やっぱり)


 炎姫様の来訪を、多くの人が目撃した。


 きっと、町長も。


 そうなれば、当然……ね?


 緊張している従業員に「わかった。すぐ行くよ」と微笑む炎姫様。


 従業員は安心した様子で、一礼し、去っていく。


 シュレイラさんは、


「こりゃあ、断れないね……」


「うん」


 僕は頷く。


 可哀相だけど、休暇はなし、決定だ。


 僕は両手を握り、


「白蛸のこと何とかできたら、僕、魚料理、がんばって作るから」


 と、伝える。


 彼女は苦笑し、すぐに頷く。


「わかった。楽しみにしてるよ、ククリ」


「うん」


「うし、じゃあ行ってくるか」


 パン


 両手で腰を叩き、赤毛のお姉さんは言う。


 僕らは、


「がんばって」


「いってらっしゃい」


「お、お願いします、炎姫様」


「おう」


 こちらに背を向けたまま片手をあげ、彼女は行ってしまう。


 僕らは、それを見送る。


 …………。


 約1時間後、彼女は宿に戻る。


 予想通り、町長からの正式な依頼の嘆願だったそうで。


 そして、その『悪夢の白蛸』の討伐作戦は、明日、行われることが決定したんだ。



 ◇◇◇◇◇◇◇



 翌朝、町長名義で貸し出された小型船に、僕らは乗り込んだ。


 ザパァン


 美しい大湖の水面に、大勢の町民、商人、旅人に見守られながら、魔力帆を広げて発進する。


 空は快晴で、波も穏やか。


 本来なら絶好の漁日和だろう。


 でも、始まるのは、命懸けの魔物狩りだ。


(ま、それはいい)


 いいけど……。


「けど、なぜ僕も乗船してるんだろう……?」


 と、遠い目だ。


 見習い商人のポポは、


「がんばってね~、炎姫様、ティア姉さん、薬草少年~!」


 ブンブン


 湖岸で、他の人と一緒に大きく手を振っている。


(本来、ただの村人の僕は、あっち側にいるべきではないだろうか?)


 なんて思うんだけど。


 僕の呟きに、


「仕方ないだろ。今回の依頼は、アタシと弟子2人でやるって契約にしたんだから」


「弟子……?」


「そうだよ」


 自信満々に頷く炎姫様。


 僕は、唖然。


 ティアさんは不満そうに、


「私は、貴方の弟子になった覚えはありませんよ」


「阿呆」


「……は?」


「元勇者の力は目立つんだ。建前だけでもそうしとけば、アタシが防波堤になれるんだよ」


「…………」


 建前の弟子は、それ以上、何も言えなくなる。


 代わりに、僕が、


「あの……じゃあ、僕は?」


「単純に育てたい」


「……へ?」


「才能あるよ、ククリは。頭の回転も速いし、度胸もある。冒険者として大成すると思うんだよね」


「いや、僕、薬草採取が本業で……」


「まぁ、いいじゃないか」


 ポン


 爽やかな笑顔で、肩を叩かれる。


(ええ……?)


 この赤毛のお姉さん、意外と強引だ。


 ティアさんは、僕が褒められたので微妙に嬉しそうでもある。


 炎姫様は苦笑し、


「今後も、ティアと一緒にいたいだろ?」


「え……」


「なら、こういう荒事も経験しといて損はないよ。いや、むしろ必要になるさ」


「…………」


「な?」


「うん」


 僕は、頷いた。


 確かに、勇者だった過去が何か悪いことを引き寄せる時が来るかもしれない。


 多くの人が今も、勇者を探してる。


 色々な思惑で。


 もしもの時に、その悪いことを跳ね返せないと、ティアさんと一緒にはいられないんだ。


 僕の表情の変化に、


「ああ、本当に育てがいがあるね」


 ポン ポン


 炎姫様は嬉しそうに、僕の頭を軽く叩いた。



 ◇◇◇◇◇◇◇



 小型船は、湖面に波を生みながら進む。


 その船上で、


「さて、作戦を説明するよ」


「あ、うん」


「はい」


 赤毛の美女の言葉に、僕らは頷く。


 彼女は、金色の隻眼で僕らを見る。


 そして、言う。


「まず『悪夢の白蛸』の特徴だ。最大の脅威は、何よりその100メードの触腕だよ」


「うん」


「はい」


「叩きつけ、薙ぎ払い、絡みつきなどを仕掛けてくる。単純に物理的重量の威力もあるし、特に吸盤のある足に捕まったら抜け出せず、握り潰されて、即、圧死だ」


「……うん」


「なるほど」


「そして、水面に波を起こす」


「波……?」


「ですか?」


「ああ、巨大な触腕でザパンとね。過去、王国軍や冒険者の船の多くが転覆させられたらしいよ」


「…………」


「…………」


 ザパン……。


 その波は、いったいどれほどの高さだったのか?


 水に落ちれば、水中は奴の領域。


(…………)


 何が起きるかは、想像に難くないよね。


 僕は顔色を悪くし、ティアさんも警戒した少し険しい表情である。


「あとね」


 炎姫様は続ける。


「奴は、水魔法も使う」


「水魔法」


「ほう……?」


「触腕の先に巨大な水球を生み出し、ぶつけてくる。当たれば水圧で吹っ飛ぶよ。流れ弾に当たった家屋とか、粉々になってるらしいからね」


「…………」


「では、人体では耐えられませんね」


 ……ですね。


 僕は、心の中で涙目だ。


(この船に当たっても、船体がバラバラになるよ)


 130メードの大きさだけで反則なのに、魔法までって……酷くない?


 僕は聞く。


「……勝てるの?」


「そのための作戦さ」


 赤毛のお姉さんは、頼もしく笑う。


 それから表情を戻して、


「まず、アタシが囮になって湖面付近で奴を引き付ける」


「囮……」


「…………」


「そうしたらティア、お前は全力で水面を凍らせ、白蛸を潜らせないようにするんだ。今回は『神紋』も使っていい」


「神紋を?」


「よろしいのですか?」


 勇者の力の源の紋章だ。


 シュレイラさんは、頷く。


「湖岸からは距離もあるからね、見物してる連中に見られる心配もないよ。とにかく全力だ」


「わかりました」


 黒髪を揺らし、ティアさんも頷いた。


 炎姫様は、


 ガシャ


 僕らに『炎龍の槍』を見せながら言う。


「奴の水魔法は、アタシが抑える」 


「…………」


「…………」


「奴が自分を封じる氷を割ったり、高波を起こした時には、ティアが対処するんだ。すぐに氷雪の力で何とかしな」


 ジロッ


 金色の隻眼が、強く彼女を見る。


「失敗すれば、船ごとククリが死んじまうよ」


「……っ」


 ティアさんは、短く息を飲む。


 すぐに、


「そのようなこと、させませんよ」


「ああ」


 赤毛の美女も、大きく頷く。


 そして彼女は、僕を見る。


「さて、奴の動きと魔法は、アタシとティアが封じる。最後はククリ、お前の役目だよ」


「僕の役目?」


「そうさ。奴にとどめを刺しな」


「えっ?」


 とどめって……、


(僕が?)


 どうやって……?


 青い目を見開く僕の眉間の下を、炎姫様の人差し指がトンと触る。



「――ここが急所だ」



 急所……?


(白蛸の?)


 僕の視線を受け、彼女は言う。


「蛸系の魔物ってのは、ここに重要な神経が集中してるのさ。動きが止まった奴の弱点に、正確に魔法弓の矢をぶち込むんだよ」


「…………」


「大丈夫さ、ククリの弓の腕ならね」


 と、笑った。


 信頼の眼差しだ。


(……ん)


 僕は深呼吸。


 再び彼女を見て、


「わかった」


 と、答えた。


 黒髪のお姉さんも僕の肩に触れて微笑み、頷く。


 僕も笑った。


 シュレイラさんも微笑む。


 でも、すぐに真面目な顔になり、


「もし失敗したら、警戒した奴は湖面には出てこない。あとは手の出せない水中から、一方的にやられてしまう。――2度目はないよ」


「うん」


「はい」


 その忠告に、僕らも真剣に頷いた。



 ◇◇◇◇◇◇◇



 小型船は、クルチオン大湖の中心部に到達する。


 魔力帆を畳み、湖上に停まる。


(……綺麗だな)


 水は澄み、風に静かな波紋が広がる。


 青い空の景色が、鏡みたいに反射している。


 遠くには、もはや人々が判別できないほど小さなルクセンの町が見えていた。 


 チチチッ


 小鳥の囀りが聞こえる。


 その湖上で、僕らは船の中から大量の魚の切り身の詰まった袋を取り出し、湖へとばら蒔いた。 


 ボチャ ボチャン


 何度も水音が響く。


 生臭い臭いがする。


 袋から血と肉がこぼれて広がり、静かに水中に沈んでいく。


 3人で20分ほど、撒き餌作業をする。


 少し暑い。


(あ……)


 水中の奥に、何匹もの魚影が見えた。


 大小様々。


 小魚から、体長2~3メードぐらいの大物まで集まっている。


 撒き餌に群がっている。


 そして、



 ―――突然、その魚影の向こう側が暗くなった。



(!)


 息を飲む。


 あまりに広範囲で、すぐにわからなかった。


 でも、気づく。


 この広大なクルチオン大湖の中で、僕らの乗る小型船の周囲の水中だけが暗い闇に染まっている。


 僕らの真下に、


(巨大な何かが……いる!)


 ゾクッ


 背筋が震えた。


 その巨大な影は、ゆっくりと動く。


 そして、暗い闇は浮上するにつれ、薄く白い色を見せ始めた。


 ……間違いない。


 お互いの顔を見て、3人で頷き合う。


 水の奥で、あまりに長く太い蛇のような存在が何本もうねっている。


 やがて、白い何かが急接近。


(ぶつかる……!?)


 僕は焦り、


 ゴポッ ゴポポ……ザバァア


 湖面の一部が小山のように盛り上がり、小型船はその表面を滑るように流れ落ちた。


 水飛沫が散る。


 僕らは、船体に必死にしがみついた。


 ザパパァン


 太陽の光を反射する水煙。


 その向こう側に、巨大な白い山が霞むようにそびえている。


 表皮には、無数の傷。


 金色の巨大な目玉。


 吸盤の付いた8本の触腕は、水面を踊るように上下し、四方へと伸ばされる。


 圧倒的な威圧感。


 そして、存在感。


 生物としての格が違うと、本能でわかる。


 炎姫様が、獰猛に笑う。


 元勇者の美女は、黒髪をなびかせながら静かに見つめる。


 ゴクン


 小心な村人の僕は、唾を飲む。


 …………。


 数十年ぶりの活動期に入った『悪夢の白蛸』が、ついに僕らの目の前に姿を現した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ