068・ルクセン町
クルチオン大湖。
アークライト王国で1番大きな湖だ。
直径1万2000メードのほぼ円形で、学者によれば、大昔に天の星が落ちた跡なのだとか。
水産物は豊富。
特に、王国の南端しか海に面していないこの国では、遠方の海の魚を食べれる国民は少なくて、この大湖の魚を食べる国民がほとんどだ。
有名なのは、やはり虹煌魚。
名前の通り、虹色の魚だ。
このクルチオン大湖にしか生息しておらず、その美味で国民に愛されている。
産卵期の今は、特に脂の乗りもいい。
そして、湖の周りには、虹煌魚を始めとした漁業で生計を立てる町と村が点在する。
僕らの目的地も、その1つ。
名前は、ルクセン町。
大湖周辺では、1番大きな港町らしい。
…………。
幌馬車が小山を登る。
頂上を越えると、
「見えたわよ」
御者席のポポが言った。
僕とティアさんも、荷台から身を乗り出す。
眼下には、広大な緑の山々に囲まれた美しい湖が存在し、その湖面に空の青さを反射していた。
「わぁ……」
「大きいですね」
僕らは、目を輝かせる。
対岸は、遥か遠くだ。
天の星がぶつかった影響か、100メード近い反り返った崖が何箇所にも見える。
凄く雄大な景色。
小山近くの湖の畔には、船の停泊する町がある。
(あれが、目的のルクセンかな?)
湖の反対側には、半円状の石壁がそびえている。
建物も多く、かなり大きい町だ。
しばらく眺め、
「よし、あと少し。さ、行くわよ!」
「うん」
「はい」
見習い商人の少女の号令に、僕らは頷く。
ゴトトン
幌馬車が再び動き出す。
やがて1時間ほど小山を下り、僕らはルクセン町に到着した。
◇◇◇◇◇◇◇
(わ……行列だ)
町の門前には、旅人、行商人などの馬車が渋滞していた。
1台1台、入町受付している様子。
ティアさんは、
「これは時間がかかりそうですね……」
「うん、そうだね」
少し困ったような表情で呟き、僕も頷く。
ポポも苦笑し、
「この時期は、行商人が多く来るから」
「僕らみたいな?」
「そ」
彼女は、皮肉っぽく笑う。
眺めれば、確かに行商人の馬車の割合は、列全体の7割ぐらいと多い気がする。
また、同じように町から出てくる馬車も多い。
こちらは、もう魚を入手した行商人かな?
(……あれ?)
その時、気づく。
僕の様子に、
「? ククリ君?」
「…………」
「あの馬車が、どうかしましたか?」
「うん……。気のせいかもしれないけど、御者席の商人がため息をついてたんだよ」
「え?」
「せっかく大湖で魚を手に入れたのに、浮かない表情なのが不思議でね」
「…………」
「あ……ほら、あの馬車も」
僕は、すれ違う馬車を見る。
やはり、その馬車に乗る商人も、どこか暗い表情に見えた。
ティアさんも、
「本当ですね」
と、怪訝そうに呟く。
(……何だろう?)
僕は、首をかしげる。
と、その時、馬車が動き、僕らの受付の番が来た。
ポポが、門番と話す。
商業ギルドの登録証を示し、入町の理由などを説明する。
同行の僕らも、身分証として『冒険者証』の金属カードを提示した。
門番は、魔道具で確認する。
もちろん、問題なし。
入町許可が下り、僕らの幌馬車は門を潜る。
でも、その際、
「折角、この町まで来てくれたのにすまんな……」
と、門番さんが呟いた。
え……?
僕ら3人は、キョトン。
でも、次の順番の馬車が待っているので、意味がわからぬまま町の中へ。
門の向こうに、町の景色が広がる。
目の前は、大通り。
たくさんの店舗が並び、宿屋や魚料理の食堂などが見える。
それなりに人も多い。
王都ほどではないけど、立派な町だ。
だけど、
「思ったより、人がいないわね?」
「え?」
「例年だと、この時期、商人とか食通の旅人とかが町に溢れてるのよ。でも、今年は……」
ポポの呟きに、僕も周囲を見る。
確かに、
「そうでもないね」
「ええ」
水色の髪を揺らし、ポポも頷く。
ティアさんも、
「何かあったのでしょうか?」
と、不思議そうに呟く。
よく見たら、食堂の中には、閉店中の看板を提げている所もあった。
今、昼間なのに……。
少し物足りない活気の大通りを、幌馬車は進む。
やがて、建物が開け、ふと港が見えた。
同時に、広い湖も見える。
(……え?)
僕は、思わず青い目を瞬いた。
ティアさんが僕の様子に気づく。
「どうしました、ククリ君?」
「船が……」
「船?」
「うん。船が全然、湖に出てない」
「え?」
僕の言葉に、女性陣2人も湖を見る。
けれど、やはり湖面には1隻も漁船がなく、近場の水域にちらほらいるばかりで。
むしろ、港に停泊している船の方が多い。
え、この時期に?
特産の『虹煌魚』が1番売れる、このかき入れ時に……?
(何で……?)
町を出る商人の表情。
門番の言葉。
町の景色と目の前の湖の船の様子。
……やはり、おかしい。
見習い商人の少女も、少し呆然とした表情だ。
やがて、
「……この町にも商業ギルドの支店があるから、そこで情報、集めましょ」
と、硬い声で言う。
僕らも「うん」「はい」と頷いた。
ゴトゴト
石畳の通りを、幌馬車は進む。
やがて、商業ギルドに到着。
そこで沈痛な表情のギルド職員から、僕らは思わぬ話を聞かされることになったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「魔物の活動期って……そんなの聞いてないわよぉ!」
パシパシ
宿屋のベッドに突っ伏して枕を叩きながら、涙目のポポが嘆く。
僕とティアさんは、その様子を見守る。
お互い困った表情だ。
でも、かける言葉が見つからない。
(どうしたものか……)
数時間前、商業ギルドで教えられたのは『現在、魔物の活動期で漁ができない』という町の現状だった。
魔物の名前は、『悪夢の白蛸』。
そう、蛸の魔物だ。
ただし、体長は足含めて130メードの大型種。
クルチオン大湖には、自然の水生生物以外にも、魔物が複数種類、生息しているとか。
けど、大抵は小型で弱く、漁の邪魔にはならない。
たまに人的被害もあるけど、年数回程度らしい。
でも、『悪夢の白蛸』は違う。
大湖の水深は深い所で500メードもあり、白蛸は普段、そこで休眠しているという。
ただ、20~30年に1度、活動期がある。
湖の魚などを大量に食べ、そして、再び長い眠りにつくのだとか。
その短い活動期。
数十年に1度のそれに、
(まさか、ちょうど当たってしまうなんて……)
不運としか、言いようがない。
シクシク
見習い商人の少女は、水色の髪をシーツにこぼして泣いている。
胸が痛い。
(それはそうだよ)
今回の旅も無料じゃない。
僕らの護衛料含め、宿代、食事代、運搬用の道具代、馬の餌代、馬車の整備代、その他色々かかってる。
もし『虹煌魚』が手に入らなければ、それ全部、赤字。
大損だ。
下手したら、商人廃業である。
少女の雇い主のジムさんがようやく店を構え、これからという時期に……だ。
ティアさんが僕を見る。
「……どうしたものでしょうか?」
「う、う~ん」
僕も答えが出ない。
実は『悪夢の白蛸』を駆除する計画も、過去に何度かあったらしい。
けど、計画は全て失敗。
王国軍、冒険者、共に壊滅し、死者は150人以上も出ているとか……。
以来、白蛸には手を出さず、活動期も短いので静観し、再び休眠に入るのを待つのが習わしになっているらしい。
でも、
(その年の漁は、完全に終わるみたいなんだよね)
まさに、悪夢の年。
そして、僕らはその年に当たってしまったのだ。
グシュ
「こんなのって、ないわよぉ……」
持ち上がったポポの顔は、涙と鼻水でグシャグシャだ。
(ポポ……)
ティアさんは隣に寄り添い、ハンカチで優しく少女の顔を拭いてやる。
でも、涙は止まらない。
悲しい。
悔しい。
そんな苦しさが、表情から伝わる。
門前ですれ違った商人たちや門番の顔も、皆、同じような表情だったのを思い出す。
ルクセン町の活気のなさも、当然だ。
(…………)
漁をするなら、魔物を駆除するしかない。
でも、難しい。
何しろ、相手は湖の中にいるのだ。
地上の相手とは勝手が違うし、船の上で戦うのなら、結局、過去と同じ結果になる気がする。
チラッ
少女のそばにいる、黒髪のお姉さんを見る。
例え、
(元勇者様でも厳しい……よね)
と、思う。
あまりに危険。
それに、ようやく平穏を手に入れた彼女に、そんな危険なことをさせたくない。
だけど、
「よしよし、ポポ……どうか泣きやんで……」
「ううぅ……」
彼女は、泣きじゃくる少女の水色髪を優しく撫でている。
その表情は、まさに女神様みたいで……。
(…………)
どうしたものか。
本当に『悪夢の白蛸』を倒すことはできないのだろうか?
何か、いい方法は……?
色々な可能性を考えながら、僕は、姉妹のように寄り添う2人の様子を眺めていた。
◇◇◇◇◇◇◇
日が暮れ、夜が来る。
食堂で夕食を食べたけれど、気落ちしたポポはあまり食べれず、僕も味はいいとわかるのにあまり美味しく感じなかった。
普段はよく食べるティアさんも、遠慮したのか、今夜はおかわりなし。
ただ、胃に少し入って落ち着いたのか、
「……決断、しなくちゃね」
部屋に戻ると、ポポは呟いた。
決断……。
(つまり、諦めるということ、だね)
僕らは、彼女を見る。
少女は、さばさばした様子で、
「滞在するだけでお金、かかるしさ。虹煌魚が手に入らないなら、さっさと町を出て帰らないと」
と、無理に笑う。
でも、泣いた目元は腫れたままだ。
ティアさんは「ポポ……」と痛ましげに彼女を見つめる。
苦しい判断だ。
だけど、現実は非常で、少女はそれを受け入れることにしたのだろう。
彼女は僕らに、
「2人ともごめんね、せっかく来てもらったのに」
「…………」
「…………」
「まさか、こんな結果になっちゃうなんてさ。ああ……私って日頃の行い、悪いのかなぁ?」
と、謝り、自嘲気味に苦笑する。
黒髪のお姉さんは「そんな」と首を振る。
動きに合わせ、長い黒髪が揺れる。
ポポは、悲しげに笑ったまま。
(…………)
僕は、息を吐く。
そして、
「帰るのは、もう少し待たない?」
「え?」
「ククリ君?」
僕の言葉に、2人がこちらを見る。
可能性は低いけど……。
でも、
(もしかしたら、何とかできるかもしれない)
僕らには、無理。
だけど、元勇者様の力は凄まじくて、不可能を可能にしそうで。
そして、そのためには――。
その時だった。
部屋の窓の外、夜空に赤い光が見えた。
月ではない。
星でもない。
赤く、燃え盛る炎のような輝きだ。
それは、真っ暗な夜空を飛翔し、湖の上空に留まると、炎を翼のように羽ばたかせながら降下する。
(……うん)
そのタイミングの良さに、僕は笑った。
2人も見つけ、
「え……」
「あれは」
と、驚きの表情だ。
もし、魔物に詳しく、戦いの知識と経験が豊富な人物が協力してくれたなら。
元勇者のティアさんの力を引き出し、有効に活用してくれたなら。
かつ、本人も凄く強かったら。
もしかすると……もしかする気がしない?
遠く見える、小さな炎の翼。
それが見える窓を背に、僕は2人を振り返る。
笑って、
「――うん、希望の炎の到着だ」
補足
1万2000メード=訳12キロメートル
です。