063・骸蟲
コツ コツ
足音を響かせ、廃坑内を進む。
その道中、分岐を過ぎるたびに、僕は後ろを振り返った。
(ん……)
また、前を向く。
すると、
「何か気になるのですか、ククリ君?」
と、ティアさんが小首をかしげた。
すぐ後ろを歩いているので、僕の行動が気になったらしい。
会話が聞こえたのか、先頭を行くシュレイラさんも肩越しに、僕ら2人に視線を向けてきた。
(あ、うん)
僕は言う。
「大したことじゃないよ。ただ、景色を記憶してただけ」
「景色を?」
「うん」
不思議そうな彼女に、僕は頷く。
もう1度、後ろを見て、
「ほら、進む方向が逆になると、見える景色が全然違うでしょ?」
「はい」
「だから、分岐の景色を覚えておいて、もしもの時に、地図を見なくても地上に帰れるようにしておこうと思ってね」
「まぁ……」
僕の説明に、彼女は目を丸くする。
すると、
「もしもの時ってのは……案内役のアタシに何かあったらってことかい?」
と、赤毛の美女が聞いてくる。
(え……?)
あ、そっか。
言われてみれば、そうなっちゃうのか。
僕は、少し慌てる。
でも、シュレイラさんは笑った。
「いいね」
「え?」
「そういう用心深さは大事だよ、ククリ」
「あ、う、うん」
「アタシ1人に頼らないで、自分にできる備えをしておく心構えはとても大事さ。ほんと、見所があるね」
「あ、ありがと」
まさかの褒められた。
少しびっくり。
(でも、嬉しい)
赤毛のお姉さんも優しい表情である。
と、彼女の隻眼がティアさんを見る。
そして、
「ティアも見習いな?」
「む……」
「お姉ちゃんなんだから、しっかり者の弟ばかりにやらせるんじゃないよ」
「い、言われなくても」
黒髪のお姉さんは、不満そうに頬を膨らませる。
シュレイラさんは、
「そうかい」
と、肩を竦める。
(あらら……)
2人のやり取りに、僕は困ったように笑う。
それから僕は、
「ティアさん」
「あ、はい」
「僕らは役目を分担してるだけだよね」
「え……」
「僕は、自分が弱いのを知ってる。だから、魔物との戦いの時には、ティアさんを凄く頼りにしてるんだ」
「あ……」
「だから、その時はお願いします」
「は、はい! お任せを」
彼女は紅い瞳を輝かせると、
ポムン
右手を握って、自分の大きな胸を叩いた。
(うん)
僕も笑って、頷く。
僕は、僕にできることを。
そして、ティアさんには、ティアさんにしかできないことを……。
きっと、それでいいのだ。
彼女の笑顔に、改めてそう思う。
赤毛の美女は、その金色の隻眼で僕らを眺める。
小さく嘆息し、
「やれやれ……ククリは本当、しっかり者だね」
と、苦笑した。
◇◇◇◇◇◇◇
30分ほど、廃坑内を歩く。
真っ暗な闇の中、視界を保つ光源は、3羽の『炎の小鳥』と2つのランタン、『炎龍の槍』の穂先の炎のみだ。
見えるのは、岩肌の坑道。
所々に木枠があり、時に壊れている物もある。
足元に、水溜りがある場所もあった。
コツン コツン
廃坑内に、僕ら3人の足音だけが響く。
と、その時、
「――む」
唐突に、先頭を歩くシュレイラさんが急停止した。
拍子に、赤毛の髪が踊る。
(わ?)
思わず、背中に衝突しそうになった。
ティアさんも、たたらを踏む。
彼女は不満そうに、
「シュレイラ?」
と、名を呼んだ。
でも、赤毛の美女は答えない。
彼女の視線は、前方だけを見つめて鋭く細められている。
(……?)
その真剣な様子に、僕らも気づく。
僕は、
「……どうかしたの?」
もう1度、小声で聞いた。
今度は、シュレイラさんも答えてくれた。
「――糸だ」
「え?」
「見えるかい? ここに糸があるんだよ」
糸……?
僕らは驚き、目を凝らす。
(あ……本当だ)
彼女のすぐ正面、廃坑の壁と壁の間に、半透明の髪の毛みたいに細い糸が1本、ピンと張られていた。
……何これ?
僕は、困惑する。
でも、
(いや……これ、1本じゃないぞ)
すぐに気づく。
進路上の廃坑の壁、天井、床に、半透明の糸が何本も、何本も、縦横に張り巡らされていた。
まるで、蜘蛛の巣だ。
ティアさんも、
「……これは」
と、驚きの表情だ。
真っ先に気づいた赤毛の女冒険者は、言う。
「骸蟲の糸だね」
「骸蟲の……?」
「ああ……侵入者を捉えるため、獲物を狩るための罠を作ったんだよ。要するに、ここから先は、奴の巣なのさ」
「…………」
魔物の……巣……。
その不吉な響きに、
ゴクッ
思わず、唾を飲む。
黒髪のお姉さんも、見え難い糸の罠にその美貌をしかめている。
僕は、言う。
「前回、戻ってよかったかも……」
「ん?」
「今、これだけ明るくて、ようやく見える。前はランタンしか灯りがなかったから、気づけなかったと思う」
「ああ……そうだろうね」
赤毛の炎姫様は、頷いた。
僕を見て、
「本当、いい判断だったよ」
「…………」
「暗闇が多く狭い空間で、更に何の知識もなければ、骸蟲は本当に厄介な魔物なのさ」
「うん」
僕は頷く。
ティアさんも、
「ククリ君の判断のおかげで、私も命拾いしたのですね」
と、微笑んだ。
……どうかな?
僕も彼女に、曖昧に微笑む。
そんな僕らの前で、シュレイラさんは『炎龍の槍』の燃える穂先を半透明な糸に近づける。
ボ……ッ ボボボッ
糸に、炎が燃え移る。
何本もの糸が炎を走らせるように燃えていき、暗闇を照らす。
(う、わぁ……)
廃坑内が一瞬、昼間みたいに明るくなった。
でも、糸が燃え散り、炎も消える。
すぐに闇が濃くなった。
元々の光源は変わらない……なのに、今の明るさのせいか、妙に心細く感じてしまう。
カツン
炎姫様が、槍の石突で地面を叩く。
前を見据えて、
「罠の糸があった以上、奴も近いよ」
「…………」
「…………」
「さぁ、2人とも、ここからは今まで以上に気を引き締めていくよ」
「うん」
「はい」
彼女の言葉に、僕らは頷く。
再び廃坑内を歩きだす。
…………。
程なくして、炎姫様の予言通り、僕ら廃坑の奥にある遺跡で骸蟲と対峙することになった。
◇◇◇◇◇◇◇
僕らは、時折ある罠の糸を燃やしながら、先に進む。
地下へ、地下へ。
砕けた壁の瓦礫を避け、分岐を過ぎ、傾斜を下り……やがて、突然、広い空間に飛び出した。
(え……)
僕は、驚く。
灯りに照らし出されたのは、楕円形の広場だ。
かなり広く、奥まで灯りが届かない。
天井は高く、卵型のドーム状になっているみたいだ。
広場の周囲は、高い壁。
その上には……え、座席?
僕は驚き、
「……古代闘技場?」
と、呟く。
赤毛のお姉さんも興味深そうに周囲を眺める。
頷いて、
「そうだね。多分、600年以上前の物だろうさ」
「へぇ……」
600年……。
村の近くに、こんな遺跡があるなんて……今更だけど、凄いことだと思う。
僕は、少し呆然としてしまう。
と、その時、
「――何かいます」
ティアさんの警戒した声がした。
(はっ)
僕は、我に返る。
そうだ。
ここが廃坑の終点。
なら、この古代闘技場の遺跡には、奴が……骸蟲がいるはずだ。
(でも、どこに……?)
広い空間。
なのに、見える範囲には何もいない。
炎姫様も警戒した表情で、
ジャリ
と、慎重に前に進む。
黒髪のお姉さんは『氷雪の魔法大剣』を抜き、僕を庇うような位置に立った。
紅い視線が周囲を見る。
姿は見えない。
だけど、気配だけは感じている。
そんな表情だ。
炎の小鳥を伴いながら、シュレイラさんは広場の中央まで進む。
灯りの範囲内には、何もいない。
その時、
ズルッ
(あれ……?)
彼女の頭上の闇が、不意に動いた気がした。
まさか……。
僕は慌てて、
「――天井!」
と、叫んだ。
赤毛の美女が「!」と反応し、後方へと素早く跳躍する。
直後、
ヒュッ ボバァアン
空中から何かが落ち、直前まで彼女のいた場所が爆発した。
(うわっ?)
爆風が、僕らの服と髪を揺らす。
炎姫様は「ちっ」と舌打ち。
手にした『炎龍の槍』を振るうと、そこから新しい3羽の『炎の小鳥』が生まれ、天井へと飛翔した。
光が広がり、
「!」
そこに――いた。
ドーム型の天井に張りつく、巨大な蟲だ。
体長は約7メード。
細長く蟷螂みたいな胴体で、大きな鎌と複数の長い足がある。
でも、その頭部は、
(人……?)
まるで、人間の上半身みたいになっていた。
女性なのか、乳房もある。
ただ、腕は左右に2本ずつ、計4本。
しかも、1本1本の長さが2メード程と、異常に長く伸びている。
手も大きく、指も妙に長い。
その頭部は、人間と昆虫を融合した感じ。
複眼の目。
額からは、長い触覚が生えている。
ギチギチ
人の口から強引に生えた、虫の牙が音を鳴らす。
あれが、
「……骸蟲?」
僕は呟く。
黒髪のお姉さんも警戒した表情だ。
僕を背中に庇いながら『氷雪の魔法大剣』の剣先を魔物に向けている。
骸蟲の足元。
天井の石材には、無数の糸が張られている。
あの魔物は、器用にその糸に足を絡め、天井に逆さまに張りついているみたいだ。
でも、あれだけの巨体を支えるなんて、
(……頑丈な糸だね)
絡まったら、抜け出せない気がする。
と、炎姫様が言う。
「あの個体、成体のなりかけだね」
「え……?」
「遺跡に溜まった魔素を吸収して、幼生体から成長している。けど、まだ背中に翅が生えてない。あれは、空を飛べない不完全な状態さ」
「…………」
「完全体じゃないのは運がいい。――今の内に仕留めるよ!」
ボボォン
言葉と同時に『炎龍の槍』の穂先に灯る炎の火力が上がった。
彼女の周囲を、炎が舞う。
(うん!)
僕も頷く。
ティアさんも「わかりました」と頷き、大剣を構え直した。
と、その時、
カパッ
骸蟲の人型の口が、大きく開いた。
人間には不可能な、限界を超えた開口――その正面の空中に、青白い球体が生まれる。
次の瞬間、
パシュッ
それが僕ら3人へと吐き出された。
同時に、炎姫様も槍を振るう。
炎の塊が飛び出して、
ドパァアン
落ちてきた球体とぶつかり、先程みたいな爆発が空中で巻き起こった。
(う、わ……っ!?)
熱波の風が吹き荒れる。
「ククリ君っ」
ギュッ
僕を庇い、ティアさんが僕の身体を抱きしめる。
火の粉が激しく舞い散り、古代闘技場内を明るく照らした。
炎姫様は、
「くはっ……やるじゃないか」
と、獰猛な笑みだ。
ギチギチ
呼応するように、骸蟲も牙を鳴らす。
炎の作る陰影の世界で、その魔物は、糸の張り巡らされた天井をゆっくりと動きだした。