058・北西の廃坑
翌日、僕らは北西の山を目指した。
村長に言われた『廃坑』内を確認するためだ。
僕とティアさんは、森の木々の中、草と土の斜面を黙々と登っていく。
(……足跡、か)
野生動物なら構わない。
もしかしたら、廃坑内に入っていない場合も問題ない。
でも、魔物が中にいるなら……。
(――うん)
これは、かなり危険な役目だと思う。
だけど、赤猿の事件以来、ティアさんは『村の用心棒』的な立場で、毎月、その分の金銭ももらっている。
要するに、これも仕事なのだ。
チラッ
彼女の横顔を窺う。
気負いもなく、緊張もない。
毎日の薬草集めの時と同じ表情に見える。
僕の視線に気づき、
ニコッ
「がんばりましょうね」
と、微笑んだ。
村人の1人として、当たり前の責任を果たそうとしているだけ……そんな感じだ。
その笑顔に、僕も「うん」と笑う。
…………。
やがて、5時間ほど山の中を歩き、僕らは目的の『廃坑』に辿り着いた。
◇◇◇◇◇◇◇
「ここですか」
「うん」
黒髪のお姉さんが呟き、僕は頷いた。
僕らの目の前には、急斜面の岩肌の崖があり、そこに直径5メードほどの大穴が開いていた。
50年前の坑道だ。
坑道の入り口は、けれど今、半分ぐらいの高さまで土砂が流れ込んでいる。
周囲には、砕けた木板が散乱していた。
カラン
木板の破片を1つ、拾う。
きっと、これが入り口を封鎖していた木板だろう。
(……なるほど)
本当に、入り口が開いてる。
普段は、こんな山の奥まで薬草採取に来ない。
だから見るのも数年ぶりなんだけど、当時は確かに、何枚もの木板で入り口が塞がれていた。
僕らは、入り口に近づく。
周辺の地面を調べ、
「……足跡、よくわからないね」
「きっと、長雨で流されたのでしょう」
「そっか」
「中に入りますか?」
「うん」
僕は頷く。
ランタンを用意し、廃坑内へ。
土砂は、6~7メードほど内部に流れている。
(ん……?)
僕は、足を止めた。
しゃがんで、地面を確かめる。
「ククリ君?」
不思議そうなティアさんも隣に屈む。
僕は、地面を触る。
ランタンの灯りの中、そこは確かに凹んでいる。
(これか、足跡)
廃坑内は、雨の影響も少なかったのだろう。
おかげで、足跡らしきものが点々と続いているのが、暗闇の中でも確認できた。
ティアさんも気づき、
「これは、蹄……でしょうか?」
「多分」
「大きいですね」
「うん」
多分、体長3メードはある。
僕は言う。
「もしかしたら、青毛大鹿かも」
「鹿ですか?」
「うん。それぐらい大型の鹿なんだ」
「まぁ……」
「僕も狩人じゃないからはっきり言えないけど、きっと間違ってないと思う」
「そうですか」
彼女は息を吐いた。
大型の鹿。
だけど、野生動物で魔物じゃない。
最悪の事態ではなかったのだと思い、ティアさんは安心した様子だった。
でも、
(……これは何だろう?)
僕は、また地面を触る。
「ククリ君?」
僕の表情に、彼女も気づいた。
僕は、言う。
「ここ……変な跡がある」
「え?」
「何だろう……? 何か大きなものが引き摺られたような、這ったような感じに土が沈んでる」
「…………」
「蹄の跡も、少し変なんだ」
「……何がでしょう?」
「ずっと走ってる。慌てた様子で……何かから逃げてるみたい」
「逃げて……?」
彼女も怪訝な顔だ。
カシャッ
僕は、手にしたランタンをかざす。
真っ暗な廃坑の奥の闇へと、蹄と何かの這ったような跡は続いている。
「…………」
「…………」
僕らは、沈黙。
やがて僕は、ランタンを腰ベルトに固定する。
リュックに括ってあった『魔法弓』を外し、空いた両手に握った。
それを見て、
グッ
ティアさんの右手も『氷雪の魔法大剣』の柄を握る。
いつでも抜ける態勢。
僕は言う。
「もう少し奥まで確認してみよう」
「はい、ククリ君」
黒髪のお姉さんも頷く。
1度、深呼吸。
湿った土の臭いと淀んだ空気を感じながら、僕らは廃坑の暗闇の中を進んだ。
◇◇◇◇◇◇◇
坑道内には、崩落防止の木枠が所々に設置されている。
天井には、たまに小さな穴がある。
窒息防止の空気穴だ。
地上まで通じているため、ポタポタと水滴が落ちて、真下には水溜りができている。
パシャ
それを踏みしめ、僕らは奥に進む。
(…………)
ランタンの視界は狭い。
小さな灯りの外は全て、真っ暗だ。
足元を確かめる。
地層が変わり、地面は固い岩盤になっている。
蹄の足跡は、もう判別できない。
何かを引き摺ったような、這ったような跡も同様に……。
その時、
「あ……」
坑道の先が二股に分かれていた。
分かれ道だ。
ティアさんが僕を見る。
「どうします?」
「うん……ちょっと待ってね」
ガサゴソ
僕は、リュックから1括りの紙束を取り出した。
坑道の地図だ。
出発前に、村長が渡してくれた物だった。
ただ、50年以上も昔の地図なので、絵や文字が少々掠れている。
(えっと……)
今、ここかな?
黒髪のお姉さんも、白い手で長い髪を押さえながら覗き込む。
「広いですね」
「うん」
「分岐も多く、まるで迷路です。最奥まで2千メードはあるでしょうか」
「そうだね」
昔は、採掘が村の財政を支えていたと聞く。
掘り進めた規模も相当だ。
しかも、多階層になっているため、掘った距離の総延長は数万メードにもなるとか。
(現在地だけは、見失わないようにしないと……)
奥で迷ったら、多分、出られない。
光源もそう。
もし失ったら大変だ。
(ランタン、予備も持ってくればよかったかな)
少し後悔。
その気持ちを飲み込み、僕は言う。
「こっちが行き止まりだから、先にここを確認する。何もなかったら戻って別の道を行こう」
「はい、わかりました」
黒髪を揺らして、彼女も頷く。
僕も頷き、地図をしまう。
そして、また坑道の闇を歩きだした。
…………。
10分ほど歩き、行き止まり。
特に何もなし。
(ふぅ)
安堵と落胆。
僕らは分岐まで戻り、もう1つの道を行く。
ピチョン ピチョン
空気穴から落ちる水滴が弾け、小さな音が反響している。
(あ……)
また分岐だ。
僕は地図を出そうとして、
「ククリ君」
ティアさんの声が、その動きを止めさせた。
(ん?)
彼女は、分岐前の地面を示す。
そこに、
(――血だ)
赤い液体が点々と落ちていた。
その血痕は、片方の暗闇の道へと続いている。
しばし、その闇を見つめる。
やがて、僕らは頷き合い、血痕の残る道へと進んでいった。
…………。
更に、分岐を2つ越える。
しばらく進み、
「……血の臭いが強くなりました」
と、ティアさんが美貌をしかめた。
言われて、
クンクン
僕も空気を嗅ぐ。
確かに、鉄のような臭いがかすかにする。
「私が先に」
黒髪のお姉さんは、拒絶を許さぬ声で言うと、僕の前に立って歩きだした。
僕も、素直に従う。
更に奥へ、5分ほど。
唐突に、ティアさんが足を止めた。
(?)
横にずれ、前を見る。
「あ……」
思わず、声が出た。
ランタンの灯りに照らされる範囲内に、真っ赤な血溜りがある。
そこに、肉片が散らばっていた。
……血の臭いも強烈だ。
僕らは前に進む。
元勇者のお姉さんが、周囲を警戒する間、僕は肉片を調べる。
頷いて、
「やっぱり、青毛大鹿だよ」
と、断定した。
蹄のある肉片や、折れた角の破片も落ちている。
でも、内臓や肉が少ない。
だから、わかる。
「何かに食べられてる」
「何か……ですか」
「うん。多分だけど、坑道内に赤猿クラスの魔物がいるんだ」
その魔物から、鹿は逃げていた。
そして、坑道内へ。
でも、魔物も追いかけて……ここで、食べられた。
なら、
(その魔物はどこへ?)
答えを思い、僕らは自然と坑道の奥の闇を見つめてしまう。
…………。
僕は、考える。
そして、決断する。
「1度、戻ろう」
「え?」
「まず、村長たちに魔物の存在を伝えないと。ここで万が一、僕らに何かあったら、村は何も知らないままで危険だから」
「あ、はい」
僕の判断に、彼女も頷く。
続けて僕は、
「可能なら、プロの冒険者を雇った方がいい気がする」
「冒険者を……?」
「うん」
ティアさんは強い。
それは、知ってる。
でも、この坑道はとても狭い空間で戦い辛く、不確定要素も多そう。
何より、
(2人で対応するには探索範囲が広すぎる)
僕も、山歩きは得意。
だけど、こういう探索は勝手がわからない。
冒険者は、探索のプロだ。
安全、確実を考えるなら、ここは多少、金銭を支払っても冒険者を頼った方がいいと思えた。
ティアさんは、少し複雑そうだ。
腕に自信もある。
村の用心棒としての矜持もあると思う。
だけど、
「わかりました」
「ティアさん……」
「私は、ククリ君の判断を信じます」
と、葛藤を飲み込み、微笑んでくれた。
(うん)
その信頼に、僕も頷いた。
その時、
シャアア……
坑道奥の暗闇から、何か奇妙な物音がかすかに聞こえてきた。
反響して、距離も位置もわからない。
でも、
「…………」
「…………」
僕らは、その闇を見つめる。
やがて、そちらに背を向けると、坑道の出口を目指して歩きだしたんだ。