036・滅炎の森林
「え……後退?」
8日目の早朝、冒険者ギルドから指示が出た。
雪羽虫を駆除しながら、少しずつ包囲網を前方に押しあげていた中、突然の『後方に戻れ』との指示だった。
(何で……?)
僕らは、唖然である。
だけど、ギルドの指示には逆らえない。
結局、僕らは初日の草原の丘まで下がることになった。
…………。
草原の丘には、王国兵、冒険者が集まっていた。
この人数……まさか、全員が?
僕らと同様、彼らの表情にも、不満、疑念の感情が滲んでいる。
ギルド職員に食ってかかる冒険者もいた。
(そりゃそうだ)
せっかく包囲網を縮め、押し込んでいる最中だったのに……これでは、また雪羽虫の群れが広がってしまう。
この指示は、何なんだろう?
そう思っていた時、
「あ……」
ティアさんが小さく声をあげた。
(ん?)
彼女の視線を追う。
すると、僕らのいる丘の遠くに、王国騎士と冒険者ギルドの偉い人たちが集まっているのが見えた。
その中心にいるのは、赤毛の美女。
(……シュレイラさんだ)
僕は気づく。
彼女は、集まった人たちと何事かを話している。
やがて集団から離れると、丘から見下ろす草原に向かって1人ポツンと歩いていく。
その姿に、丘に集まった皆も気づいた。
ザワザワ
ざわめきが広がり、やがて、静まっていく。
草原に吹く風が、彼女の結ばれた赤毛の髪を長くたなびかせる。
その歩みが止まる。
彼女の手には『炎龍の槍』がある。
ボッ
独特の形状をした穂先が輝き、真っ赤な炎が生まれた。
(……何をする気?)
僕は、興味津々だ。
その隻眼の金の瞳が、森を見つめる。
駆除で数を減らしたとはいえ、森の木々にはまだ数千万匹の白い綿毛の魔物が蠢いていた。
ジジ……ッ
槍の炎がうねる。
まるで生き物みたいに。
言葉にできない圧力が、その場に広がっていく。
誰1人、何も喋らない。
赤毛の美女は、ゆっくりと『炎龍の槍』を振り被った。
ヒュッ
槍が振り落ちて、
(あ……)
次の瞬間、槍の炎が爆発的に広がり、噴き出して、森全体を飲み込む業火の渦となった。
赤い輝きが、世界を染める。
ボパァアン
熱波が広がり、僕らの肌を焦がす。
「――――」
言葉が出ない。
広大な森林が全て、炎に飲み込まれていた。
その灼熱の中で、数千万匹の魔物の群れは焼かれ、真っ赤な炎の中で黒い影になりながら崩れていく。
何……これ?
目の前の光景が、現実とは思えない。
村のみんなも、同じ表情だ。
王国兵や他の冒険者も全員、唖然としている。
僕の隣のティアさんも、
「…………」
唇を結んで、炎に包まれる森を見つめた。
…………。
これが……世界に100人ほどしかいない『第1級冒険者』の実力なのか。
なるほど。
(全員、後退させる訳だよ……)
もう文句も出ない。
さっきギルド職員に怒鳴っていた人たちも大人しくなっている。
…………。
やがて、炎が消える。
指向性のある魔法の炎だったらしく、森の木々は燃えていない。
ただ、魔物の黒焦げの死骸が大量に、今朝まで僕らもいた森の地面の上に積もっていた。
(あ……)
遠い赤毛の美女が息を吐く。
さすがに、疲れた様子。
額には汗が滲み、でも、表情は凛と強いままだ。
僕らを振り返り、
バッ
彼女は、勝気な笑顔で『炎龍の槍』高く掲げた。
途端、
オオオオオッ
感極まった王国兵、冒険者が歓声を上げた。
村のみんなも同じく。
全員、興奮した表情だ。
(凄いなぁ)
僕も、尊敬と憧れの視線で見てしまう。
ティアさんも、
「……見事ですね」
と、静かに呟く。
凄まじい炎の力。
それに驚き、興奮する僕らに対して、彼女は冷静に受け止めている感じ。
その紅い瞳を細め、赤毛の美女を見ている。
…………。
やがて、冒険者ギルドからの指示があり、僕らは『雪羽虫の生き残りの駆除』を命じられて、再び森に入ることになった。
◇◇◇◇◇◇◇
森の地面は、真っ黒だ。
焦げた雪羽虫の残骸が、あちこちに散らばっている。
踏むと、
ポキュッ
軽い音と共に砕ける。
(…………)
シュレイラさんの炎の魔法の威力を、改めて思い知る。
王都の冒険者には実力者も多いだろうけど、その中でも彼女はやはり、頭1つどころか、3つ、4つは抜けている気がする。
第1級冒険者……か。
もしかしたら、彼女1人で小さな街ぐらい制圧できるんじゃないかな?
…………。
葉のない木々と黒い地面の森を、僕らは歩く。
時折、周囲を見回す。
だけど、
「……雪羽虫、1匹もいないね」
「はい」
呟く僕に、頷くティアさん。
見える範囲に、生きている雪羽虫は確認できなかった。
村のみんなも困った顔。
「こりゃ駄目だ」
「全部、焼け死んどるわ」
「かぁ~、今日の稼ぎはなしかぁ?」
「んだなぁ」
と、ため息をこぼす。
正直、僕も残念だ。
雪羽虫がいない以上、もう昨日までみたいには稼げない。
この黒焦げの死骸を持っていっても、さすがに冒険者ギルドも報酬を認めてくれないだろう。
今回は、
(3000万で終了かな?)
と、諦める。
でも、仕方ない。
王国軍や冒険者ギルドにとっては、駆除できるかどうかが重要なのだ。
僕らの稼ぎは、二の次。
大事なのは、王都と人々を守ること。
だから、シュレイラさんも森全体の魔物を炎で焼き払った。
実際、昨日までも、お金に余裕のある上級冒険者たちは、換金するための倒し方よりも、駆除そのものを優先していたように思う。
ある意味、僕らの方が不純なのだ。
想像したらわかる。
もし、これが王都でなく、マパルト村の危機だったら?
(……うん)
僕も、お金より駆除を優先する。
つまり、そういうことなんだ。
それからもしばらく、僕らは森を歩いていく。
たまに生き残った白い雪羽虫を2~3匹見かけるけど、酷く弱っている。
バシュッ
簡単に、弓で射落とせる。
その後、2時間ほどで、計112匹。
これで、報酬1万1200リオンか……。
(……少ないね?)
思わず、苦笑いしてしまう。
そんな僕に、
「ククリ君……」
と、黒髪のお姉さんは心配そうな顔をする。
村のみんなも、
「どうする?」
「今日は帰るか?」
「もしくは、森の奥へ行くかだべ」
「森の奥かぁ」
と、少し悩んでいる。
この森は広い。
確かに、あの凄まじい魔法の炎も、森の奥までは届いていないかもしれない。
まだ、多くの雪羽虫がいる可能性もある。
だけど、
(本隊の集団から離れてしまうんだよね)
その分、少し危険なんだ。
特に、軍とギルドの合同本部からも遠くなる。
本部には、軍の予備兵力もある。
また支援物資や情報も集まり、何かあれば、今朝の後退時のように全体への緊急指示も発せられる。
でも、森の奥まで行くと、そうした支援や指示も届かない。
僕らは、孤立状態になる。
(う~ん?)
お金と危機管理のバランスの問題だ。
僕らと同じように、今、森に入っている冒険者の中には、森の奥まで行く者もいるだろう。
さて、僕らはどうするか?
考えていると、
グイッ
(ん、わっ?)
隣のお姉さんに、突然、服の袖を引かれた。
思ったより、強い力。
驚く僕に、
「――ククリ君、駄目です」
「……え?」
「森の奥へ行っては駄目です」
と、言われた。
その表情は、真剣だ。
思わず、こちらが息を飲むほどに。
彼女は言う。
「嫌な予感がします」
「…………」
「言葉ではうまく説明できません。ですが、絶対に森の奥に行っては駄目です」
「…………」
「お願いです、ククリ君」
紅い瞳には、懇願するような光があった。
僕は、それを見つめる。
そして、
「うん、わかった」
と、頷いた。
黒髪のお姉さんは、少し驚いた顔をする。
僕は笑って、
「ティアさんを信じるよ」
「ククリ君……」
「考えたら、お金で命は買えないもんね。うん、安全を優先しよう」
「はい」
彼女は、嬉しそうに頷いた。
そして僕は、村のみんなも説得する。
ティアさんの言葉には半信半疑だったけど、すでに例年の何倍も稼げている現状と今日までの疲労蓄積もあり、皆、受け入れてくれた。
「ありがと、みんな」
「ありがとうございます」
僕ら2人は、頭を下げる。
村のみんなは笑って、
「ええって」
「慎重なんも大事だべ」
「欲かくのもいけんもんなぁ」
「んだんだ」
と、言ってくれた。
そのあとは、しばらく周辺の森だけを見回る。
やはり、雪羽虫は少ない。
そして、特に何事もないまま、1日が終わる。
――結果として、ティアさんの言葉とその判断で、この日、僕らは命拾いをした。