016・家族
「も、大丈夫だ」
村長は、安堵の息を吐いた。
彼の前には、ベッドに寝ている大男――レレンガさんがいる。
彼のお腹には、包帯が巻かれていた。
そして、悪かった顔色は、村長が飲ませた薬で少しずつ血色を取り戻していた。
(ほっ……)
よかった。
僕も安堵する。
…………。
赤爪の大猿を倒した僕らは、無事、村に戻った。
時刻は、完全な夜だ。
手に入れたアカレマ魔草を渡すと、村長は、村の薬師と共にすぐ調薬を開始した。
この時点で、僕らはお役御免。
ティアさんの消耗も激しくて、僕らは村長の家の客室を借り、休ませてもらえることになった。
5時間後、解毒薬が完成。
すぐに、村長宅で寝かされていたレレンガさんに飲まされる。
あとは、彼の体力次第。
結果が気になった僕らは、村長の家で1泊する。
そして、翌日の朝、
「も、大丈夫だ」
と、彼の容態を診て、村長が呟いたのだ。
…………。
…………。
…………。
チュンチュン
小鳥の鳴き声がする。
窓からは太陽の光が差し込み、室内を照らす。
そこでは、目を覚ましたレレンガさんと、彼の奥さん、娘さんが泣きながら笑っている光景があった。
「…………」
「…………」
僕とティアさんは、それを眺めた。
親子3人、笑顔でいる。
家族は誰1人、欠けていない。
それは3年前、当時の僕が望んでも得られなかったもの。
(……ん)
喜びと切なさ。
何とも言えない気持ちだ。
だけど、
「皆、いい笑顔ですね」
「うん」
「ククリ君が守った笑顔ですよ」
と、彼女が笑った。
僕は困ったように笑い返す。
首を振り、
「ティアさんのおかげだよ」
と、答えた。
彼女がいなければ、赤爪の大猿に、僕は殺されていた。
アカレマ魔草も持ち帰れなかった。
功労者は、このお姉さんだ。
でも、
「いいえ」
黒髪を揺らし、彼女は否定する。
紅い瞳が僕を見て、
「私は手伝っただけ。行動を起こしたのは、ククリ君、貴方です。私はただ、それに引っ張られただけ」
「…………」
「貴方のその勇気に、敬意を」
「ティアさん……」
胸に拳を当て、彼女は頭を下げる。
まるで騎士みたい。
そこまでのことか、よくわからない。
でも、
(父さん、母さん……)
僕も、少しは胸を張っていいのかな。
目の前では、3人の親子が笑っている。
その光景に、青い瞳を細める。
…………。
やがて、僕はティアさんと一緒に、太陽の光の眩しい部屋をあとにしたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
その日、僕の家は、大賑わいとなった。
「すげな、ククリ、ティア!」
「赤猿、倒せっとはなぁ」
「ほんに助かったわ」
「これで安心して、山さ入れっとよ」
「素材回収は、皆でしたっけよ」
「お礼、置いとくけ」
「2人でいっぱい食っとくれよ」
ドサドサ
大勢の村の人が押しかけ、大量の差し入れを置いていく。
(あれまぁ)
僕は唖然。
ティアさんも目を丸くしていた。
ただ、気持ちもわかる。
今回の『赤爪の大猿』の襲来には、村の皆が戦々恐々としていたのだ。
山に入れない。
それは、村全体の機能停止。
食材だって取れないし、生命維持にも関わる事態なのだ。
いや、本当に。
しかも、それが何日続くかわからない。
最悪、冬の蓄えもできず、今冬に死人の出る可能性もあったんだ。
実際、昨夜、死人が出そうになったしさ。
もっと言えば、赤猿にマパルト村自体が襲撃され、壊滅することだって考えられた。
そうした不安を、村の皆が抱えていたのである。
だけど、
(ティアさんのおかげで、その元凶が消えたんだ)
そりゃ、みんな、喜ぶよね。
黒髪のお姉さんは、村の人たちに囲まれ、
「ありがとね、ティア」
「ほんま、すげなぁ」
「もう、ずっと村にいろ?」
「そだそだ。ククリ、くれてやっからよ」
「働きもんの若ぇ男だぞ?」
「お買い得だぁ」
「い、いえ、あの、私は……」
と、皆に言われ、背中をパシパシ叩かれて、目を白黒させていた。
(あはは……)
僕は、苦笑してしまう。
でも……うん。
みんなの笑顔の中心にいるティアさんが、何だか僕は嬉しかった。
…………。
…………。
…………。
興奮も一段落して、皆も引き上げる。
(ふぅ、やれやれ)
ようやく落ち着いたね。
息を吐く僕とお姉さん。
ふと、お互いの顔を見ると、
クスッ
2人で苦笑いしてしまう。
そのあと、僕らは、玄関に残された差し入れの品を家の奥へと運び入れることにした。
ほとんど、食材だ。
肉、魚、野菜、食用油、砂糖、焼き菓子……。
(う~ん)
食べ切れるかな?
ま、保存できる物は保存して、あとはがんばって食べよう。
幸い、この黒髪のお姉さんは、意外と食べてくれる人だし大丈夫でしょう。
と、彼女は、
「こんなにもらって、良いのでしょうか?」
荷物を抱えながら、呟く。
少し困惑した表情だ。
僕は、笑って言う。
「いいんだよ」
「ですが……」
「実際、これだけの差し入れしても、村のみんな、それ以上に儲かってるんだから」
「儲かってる……ですか?」
彼女は、キョトンとした。
僕は、説明する。
今回、倒した『赤爪の大猿』は、貴重な収穫物なんだ。
肉、骨、毛皮、牙、内臓、毒爪……そうした素材全て、様々な用途で活用できる。
肉は、村の食用に。
骨、毛皮、牙は、加工品の材料に。
内臓、毒爪は、薬の原料に。
余った物は、売却する。
特に、
「魔石は高く売れるよ」
「魔石、ですか」
「うん」
正式名称・魔力結晶石。
魔物の体内から採れる魔力の塊の石だ。
しかも、小型の魔物と違い、赤猿の魔石は大きくて、蓄積された魔力量も多い。
その分、高額取引される。
(多分、30万リオン以上するかな?)
もちろん、赤猿を倒したのはティアさんだし、僕らでその利益を独占することもできたけど……。
でも、
(小さな村は、助け合い精神だ)
だから、こういう利益は、村全体で分配してもらう。
別に惜しいとも思わない。
だって、両親を失った幼い僕やティアさんも、そうした村の精神に助けられたのだから。
今度は、僕らの番ってだけ。
それだけのことだ。
ティアさんも、
「なるほど、そういうことでしたら」
と、頷いた。
抱えた差し入れ品を見て、優しい表情である。
(うんうん)
村人の1人として、僕も微笑んでしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
本日の夕食は、差し入れの鶏肉と食用油を使うことにする。
(ずばり、唐揚げだ)
僕も大好き。
ということで、早速、台所へ。
まずは食べ易いサイズに、鶏肉を切り分ける。
酒、砂糖、醤油と一欠片のニンニクで調味料を作り、鶏肉を浸して揉み込む。
モミモミ
ここ、しっかりと。
浸したまま放置し、片栗粉を用意。
鍋に油を入れ、火にかける。
鶏肉の余計な水分を拭き、片栗粉をまぶして、油に投入。
ジュワァア
(いい音)
でも、火傷に注意。
1~2分したら、ひっくり返す。
そのあと、3~4分、たまに転がしながら揚げ、完成だ。
あとは、炊きたての白米。
それと、新鮮野菜のサラダにカットフルーツだ。
塩とレモンも用意。
(お好みでどうぞ)
完成した料理の食卓を、ティアさんと囲む。
パクッ
「ん……!」
「んん、美味しいです」
お姉さんは、手で口を押さえながら笑う。
(うん)
僕も頷いた。
外はカリカリ、中はジュワッと。
しっかり揉んだ分、味も沁みてる。
本当は、一晩、調味料に浸けた方がいいんだけど……今回は、時短しました。
でも、悪くない。
味変で、塩やレモンも使いながら、食事を楽しむ。
「はふ、はふ」
ティアさんも、満足そうな顔。
その様子を微笑ましく眺め、
(…………)
ふと、昨夜の勇ましい姿を思い出した。
僕は何の気なしに、
「ティアさんって、あんなに強かったんだね?」
と、聞いた。
彼女の食事の手が止まる。
僕を見て、
「そうですね、自分でも驚きました」
と、困ったように微笑んだ。
彼女は、自分の手を見る。
昨夜は、その手の握っていた剣が赤猿を倒したのだ。
お姉さんは言う。
「確信はありませんでした。ただ、何となく、勝てそうな気がしたんです」
「うん」
「ただ最初は、違和感が強くて……」
「…………」
「ですが、剣を振る内に、色々と戦い方がわかってきて……最後は、その感覚に任せて剣を振るいました」
「そっか」
僕は頷き、
「最後の剣、凄かったよ」
と、称賛する。
白い光の剣閃が、赤猿を両断した。
びっくりしたよ。
(あんなの、初めて見た)
彼女も頷き、
「あれは多分、魔力の刃『魔刃』を飛ばしたんです」
と、言った。
(魔刃?)
僕は、目を瞬く。
「そういう剣技です」
「…………」
「はっきり思い出した訳ではないですが、何となく、その技を身体が覚えていました」
「そうなんだ」
「はい」
彼女は、頷く。
それから、少し間を空け、
「その時、少しだけ記憶が蘇りました」
と、言った。
「え……」
僕は驚く。
彼女は、紅い瞳を伏せ、
「記憶を失う前の私は、どうやら、数え切れないほどの数の魔物と戦っていたみたいです」
「魔物と?」
「はい。その映像が、頭に浮かんで……」
「…………」
「ただ、残念ながら、それ以外は何もわからないのですが」
「……そっか」
「すみません」
謝るお姉さん。
僕は「ううん」と首を横に振る。
そして、
「もしかしたら、ティアさん、冒険者だったのかもね」
と、笑った。
彼女は、目を見開く。
「冒険者……」
「うん。だって、ほら、魔物と戦ったりする仕事だし」
「…………」
「可能性はあるかなって」
僕は笑う。
しかも、赤猿を1人で倒してしまうし、
(実は、凄腕だったとか……?)
なんて想像する。
考え込むお姉さん。
だけど、その表情は、あまりしっくり来てない様子。
……違うのかな?
彼女は息を吐き、
「ごめんなさい……やはり、わかりません」
「そっか」
「はい……」
「でも、少しでも記憶が戻ったのは、よかったね」
「はい」
頷くお姉さん。
綺麗な黒髪も、サラリと揺れる。
僕も頷き、
「でも、その……もしも全部の記憶が戻っても、できれば、この家にいてくれたら嬉しいなぁ……なんて」
と、本音を呟いた。
ティアさんは、目を丸くする。
「ククリ君……」
少し驚いた声。
(あはは……)
僕は恥ずかしくなり、つい誤魔化し笑いだ。
彼女の視線を感じる。
やがて、
「ありがとうございます、ククリ君」
「…………」
「その、私も、ご両親の代わりに、ククリ君の家族になれたら……そう願っています」
「ティアさん……」
「ふふっ、何だか、恥ずかしいですね」
と、彼女は笑った。
その頬は、ほんのりと赤い。
(……う)
なんか、胸が苦しい。
2人して、黙り込む。
何だか落ち着かない空気。
でも、このままでいたいような不思議な感覚だ。
(ど、どうしよう?)
戸惑う僕。
ティアさんも、白い指先で自分の黒髪を触っている。
チラッ
目線を上げると、
「あ……」
「あ……」
全く同時に、視線が合った。
また、2人で赤くなる。
すると、
「そ、そう言えば、ククリ君のご両親はどんな方たちだったんですか?」
と、彼女が質問した。
(え……あ)
話題の転換か。
僕は、慌てて答える。
「えと、2人とも薬草採取の名人だったよ。村で1番、薬草に詳しかったしね」
「まぁ、そうなのですね」
「うん」
「では、ククリ君の知識も2人から?」
「そうだね、色々教わったよ」
僕は頷いた。
それから、
「母さんからは、料理も教わったかな」
「お母様から?」
「うん。あと護身の弓は、父さんから」
「まぁ」
「庭の木の枝に的を吊るして、たくさん練習したんだ。それを2人が見守ったりしててね」
「はい」
「それで――」
僕は、たくさん話した。
自分のこと、両親のこと……他にも色々と。
彼女は、ずっと聞いてくれた。
時に相槌を打ちながら、ただ静かに、優しい表情で受け止めてくれたんだ。
――もし本当に姉がいたら、こんな感じなのかな?
なんて思ったり。
その日の夕食の団欒は楽しくて、僕らはずっと笑顔で話し続けていた。