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015・赤爪の大猿

(まさか、本当に遭遇するなんて……)


 悪夢みたいな現実に、僕は茫然だ。


 赤爪の大猿は、


 ベキ パキン


 邪魔な森の枝を折りながら、僕らへと接近してくる。


 鋭い眼光。


 巨大な体躯。


 真っ赤な爪。


 その圧倒的な存在感は、恐ろしいほどだった。


(ああ……そうだ)


 3年前を思い出す。


 目の前のコイツは、父さん、母さんを殺したのとは別個体だろう。


 だけど……。


 だけど、



『――逃げろ、ククリ!』『――私たちのことはいいから、早く!』



 両親の最期が蘇る。


 僕のために魔物に立ち向かい、そして、無残に殺されたその姿を……。


 手足が、震える。


 ガチッ 


 歯を食い縛った。


(しっかりしろ、ククリ!)


 恐怖を堪え、自分を鼓舞する。


 震える手で短弓を握り、必死に構えた。 


 忘れるな。


 今の僕は、1人じゃない。


 僕の勝手な判断で、巻き込んでしまったお姉さんがいる。


 せめて、


(せめて、彼女だけでも逃がさなきゃ……!)


 それは、最後の意地だ。


 涙を堪え、


 キュッ


 短弓を引き絞る。


 魔物へと矢を構えながら、


「僕が引きつける」


「え?」


「だから、その間に逃げて、ティアさん」


「…………」


 僕の指示に、彼女は驚いた様子だ。


 ズシン


 赤爪の大猿の巨体が、重い足音と共に近づく。  


 残忍さの宿る眼球。


 赤い爪は、闇に妖しく光る。


(……っ)


 暴れる心を必死に抑える。 


 そして、


「――なぜですか?」


 不思議そうな声が聞こえた。


(……え?)


 思わず、振り返る。


 黒髪のお姉さんは、困ったように僕を見つめていた。


 彼女は言う。


「なぜ、私が、ククリ君を置いて逃げるのですか?」


「…………」


 白い手が動き、


 シュラン


 腰の長剣を、ゆっくりと鞘から引き抜いた。


 白刃が煌めく。


(ティア……さん?)


 僕は、困惑する。


 目の前に、恐ろしい魔物がいる。


 なのに、彼女の雰囲気は、まるでいつも通りで……。


 ニコッ


 ふと、優しく微笑む。


 そして、言う。


「大丈夫です」


「…………」


「なぜかわかりません。ですが、きっと何とかなる気がしますよ」


「……えと」


 咄嗟の返事に困った。


 その間に、彼女は前に出る。


 ヒュン


 正眼に、長剣を構えた。


 それは、とても美しい構えだった。


(…………)


 紅い瞳は、魔物を見据える。


 美しい黒髪が、夜風に柔らかくはらむ。


 その唇が動き、


「――ククリ君。貴方は、私が守ります」



 ◇◇◇◇◇◇◇



(ティアさん……)


 僕は、困惑した。


 恐怖のあまり、彼女は現実感を失ったのか……とも思った。


 だけど、


(目が違う)


 その輝きは、意思が宿る。


 何かわからない。


 けれど、目の前の黒髪の美女には、不思議な力強さが感じられたんだ。


 ……うん。


 それを、信じよう。


 なぜか、そう思った。


 そして、赤爪の大猿も、


『グギャ?』


 目の前の獲物――ティアさんを怪訝そうに見つめた。


 なぜ、逃げない?


 まさか、自分に立ち向かう気か?


 そんな感情が伝わる。


 戸惑い、苛立ち、怒り……魔物の表情が変化し、


『グギャア!』 


 その太い右腕を振り上げた。


 ブォン


 赤爪の手が振るわれる。


 ティアさんは、半歩後ろに引き、長剣を動かした。


 スパッ


 魔物の手が斬られた。


 紫色の鮮血が散る。


(――え?)


 僕は、目を見開く。


 彼女は、魔物の攻撃をかわし様、その進路上に剣の刃を置いて、逆に魔物の手の一部を斬り裂いていた。


 それは、確かな剣の技。


 赤猿は、


『グギャ!?』


 と、苦悶の声をあげる。


 すぐに憤怒の形相で、再び襲いかかった。


 ビュッ ガッ ブォン


 素早い突進から、両腕を振り回す。


 けれど、ティアさんは黒髪をなびかせながら、軽やかなステップで全てをかわす。


 バキィン


 赤い爪が近くの木を叩き、幹を粉砕した。


 木片が散る。


 ズズゥン


 木が倒れ、土煙が舞う。


 恐ろしい威力。


 1発でも当たれば、間違いなく、即死だろう。


 いや、掠るだけで死ぬ毒爪なのだ。


 なのに、


「…………」


 彼女の表情は、落ち着いていた。


 焦りも、恐怖もない。


 余裕さえ感じる。


(え……何、これ?)


 僕は、目の前の光景が信じられない。


 自分の倍以上ある魔物の猛攻に、けれど、彼女は冷静に回避し、時に長剣で爪を弾く。


 ガチィン


 衝突音と火花が散る。


 赤猿も驚いた顔だ。


 毒爪だけでなく、噛みつき、体当たり、蹴り、色々としかける。 


 なのに、


(当たらない……?)


 全て見切られる。


 むしろ、時折、置かれる剣の刃で、魔物の傷が増えていく。


『グギギ……!』


 赤猿は、怒りの表情だ。


 でも、


(傷は……浅い)


 僕は、気づく。


 分厚い魔物の筋肉と硬い毛、そして、皮下脂肪に阻まれて、結局、深手になっていない。


 このままだとまずい。


 魔物の持久力は、驚異的だ。


 今は、回避できている。


 でも、この先、ティアさんの体力が落ち、動きが鈍ったら……?


 ゾクッ


 その想像に、背筋が震える。


 彼女は、気づているのか?


「…………」


 黒髪のお姉さんは、少し困った表情をしている。


 違う……。


 こうじゃない……。


 何か、もっとこう……。


 自分の剣技に対して、そんな風に違和感を感じているように思えた。


(ティアさん?)


 そんなお姉さんに、僕も戸惑う。


 その時だ。


 バキン


 赤猿が、近くの木をへし折った。


 それを持ち上げ、


 ブォオン


 投げつけた。


 黒髪のお姉さんは、軽く踏み込み、


 ヒュパン


 剣を振った。


 空中で大木は2つに切断され、彼女の左右を抜ける。


(あ……)


 直後、大きな木に隠れて突進した赤猿の体当たりが、彼女に直撃した。


 吹き飛ぶお姉さん。


 ドサッ ゴロゴロ


 地面に落ち、転がる。


「ティアさん!」


 僕は叫んだ。


 彼女は剣を支えに、片膝をついて起き上がった。 


「……っ」


 唇の端に血が滲む。


(生きてる!)


 咄嗟に剣を盾にし、後ろに跳躍したらしい。


 でも、ダメージはある。


 その隙を、狡猾な赤爪の大猿は見逃さなかった。  


 ズドン


 大地を蹴り、彼女に迫る。


 体勢を崩して動けない獲物を、巨体の重量で押し潰して、確実に毒爪を当てる気だ。


(あ……)


 彼女の表情に、初めて焦りが滲む。


 瞬間、僕は短弓を構え、


 パシュッ


 反射的に、矢を放つ。


 父さん、母さんを失ってから、ずっと磨いてきた技。


 その矢は、


 バチッ


 赤猿の黄色い眼球に、見事、当たった。


 威力はない。


 けど、赤猿は驚き、たたらを踏む。 


「ティアさん!」


 僕は、叫んだ。


 自分にできる精一杯で、必死に。


「――――」


 彼女は、僕を見る。


 次の瞬間、白い額に紅い紋様・・が浮かぶ。


 魔法文字みたいな不思議な形。


 ヒィン


 それに、光が溢れる。


 真紅の瞳も輝き、彼女の持つ長剣の刃が白く発光した。


 純白の輝きが、森を照らす。


 美しい黒髪を空中に舞わせながら、彼女は立ち上がった。


 輝く長剣を構え、


 シュン


 斜めに斬り上げる。


 光が走り抜け、離れた赤爪の大猿の巨体をすり抜けた。


 数秒の間、


 パッ


 灰色の巨体が左右に分かれた。


 赤猿は、驚いた顔。


 そして、自分に何が起きたのか理解しないまま、絶命した。


 ズズン


 分かれた巨体が、地面に倒れる。


 紫色の血が広がる。


 お姉さんの紅い瞳から輝きが消えていった。


 額の紋様も。


 彼女は、


「……ああ、そうでした」 


 と、呟いた。


 何かに納得したような表情だった。


 ペタン


 そのまま、地面に座り込む。


(あ……)


 僕は、慌てて走った。 


「ティアさん!」


 倒れそうな彼女の背を支える。


 ティアさんの白い美貌は、汗びっしょりだった。


 僕を見て、


「……ククリ君」


 と、淡く微笑む。


 震える右手が持ち上がり、僕は慌てて自分の手を重ねた。


 ギュッ


 強く握られる。


 熱い手のひらだ。


(…………)


 何が何だか、わからない。


 ただはっきりしているのは、赤爪の大猿が死んだということ。


 このお姉さんが倒したのだ。


(こんなに強いなんて……)


 正直、びっくりだ。


 その強さは、まるで……そう、まるで噂の勇者様みたいで……。 


(いや……まさか、ね)


 僕は、首を振る。


 僕の腕の中で、


 ポフッ


 黒髪のお姉さんは甘えるように、僕の胸に頭を預けた。 


 安心したような表情。


 そのまま、紅い瞳を閉じる。


 お姉さんは静かに微笑み、


「は、ふぅ……」


 と、熱そうな吐息をこぼしたんだ。

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