012・ティアの今
――月日の流れは早いもの。
気づけば、ティアさんとの出会いから1ヶ月が過ぎていた。
今日も僕らは山にいる。
そして、僕の隣を歩く黒髪のお姉さんは、
「あ……」
ピタッ
ふと、足を止めた。
彼女は、前方の茂みを指差して、
「ククリ君。あそこに生えているのは、ミレト赤草ではないですか?」
と、聞く。
僕も、白い指の先を見る。
たくさんの草の中、1本だけ、葉の先端がほんのり赤い草がある。
僕は頷いた。
「うん、本当だ」
「やはり」
「ティアさん、よく見つけたね」
そう笑いかける。
彼女も嬉しそうにはにかみ、
「この1ヶ月、ククリ君に色々と教えてもらいましたから」
と、答えた。
確かに教えたけど。
でも、薬草の種類はたくさんあるし、見分け方も単純ではない。
(それを覚えたのは、彼女の努力だよね)
僕は、そう思う。
彼女は、ナイフを抜き、
サクッ
手慣れた動きで茎を切る。
採取した薬草は、丁寧に布袋にしまう。
そして、潰れないようリュックに入れ、背負い直す。
一連の作業に、
(……うん)
と、僕は頷く。
ティアさん、もう1人前の薬草採取の人だね。
何だか、僕も嬉しい。
彼女は立ち上がり、
「次の薬草、探しましょうか」
「うん、ティアさん」
僕も笑って、頷いた。
…………。
…………。
…………。
この1ヶ月で、ティアさんもだいぶ村の暮らしに慣れたように思う。
毎日の薬草採取。
村の人との交流。
少しずつだけど、馴染んでいる感じ。
(うんうん)
もちろん、それは彼女自身が馴染む努力をしたからこそで。
だから、周りも受け入れてくれる。
見守っていた僕としても、嬉しい。
それに安心もしてる。
最近は、そんな彼女に、村の人もよく声をかけていた。
特に、若い男たち。
……うん。
(ティアさん、美人だしね)
気持ちはわかる。
田舎は、嫁のなり手も少ないしね。
多分、ティアさんは、自分が話しかけられる理由まではわかってないと思う。
でも、いつか気づくかな?
(…………)
選択するのは、彼女自身だ。
今は、僕の家に居候しているけど。
でも、いつの日か、出ていきたいと言われた時には、ちゃんと受け入れるつもり。
少し……ううん、かなり寂しいけど、ね。
コホン
ま、僕のことは置いておいて。
そんな風に、今の彼女は、村の男の人から注目を集めている。
その状況を、村の女の人たちがどう思うか、実は僕は、内心で少し心配していたんだ。
女の人同士の関係って、色々難しいって聞くしね。
(大丈夫かな?)
もしもの時は、僕が盾になるつもりだった。
でも、杞憂でした。
村の女の人たちは、意外と黒髪のお姉さんのことを好いていた。
(え……?)
と、正直、思った。
でも、何となくだけど理解した。
ティアさんは、美形なんだ。
村の男の誰よりも。
女の人としては背も高く、凛とした美貌の持ち主である。
しかも、田舎の村では珍しいぐらいに礼儀正しく、1つ1つの所作が洗練されている。
更に服装も、普段から動き易い男物。
腰には、剣も提げている。
まるで、都会の物語に出てくる『男装の麗人』そのままなんだ。
(そっかぁ)
あの黒髪のお姉さんは、知らず、村の女の人たちも虜にしてしまっていたのである。
さすがだね。
男女問わず、魅了するお姉さん。
マパルト村で密かに人気の美女。
ただ、本人だけは何も知らないんだけど……。
…………。
…………。
…………。
そして今、そんな黒髪のお姉さんは、
サクッ
また、別の薬草を見つけて採取する。
こちらを振り返り、
「ククリ君、また1本、集まりました」
と、薬草を手に、笑顔をこぼした。
(……うん)
僕は、青い瞳を細める。
そんな彼女の表情は、出会った時よりずっと明るくなったように見えたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
我が家に帰り、薬草の選別をする。
白い布の上で、
(ヨシ、ヨシ、ヨシ、ダメ、ヨシ……)
と、1枚1枚、薬草の葉を確認していく。
ティアさんも、僕ほどの早さではないけれど、手慣れた様子で作業する。
でも、慣れても、作業自体は丁寧だ。
間違えないのが大事――それをわかってる。
(うん、さすが)
僕も、もう安心して任せられる。
やがて、作業も終わる。
最後に、合格の葉を布袋に入れながら、
「そういえば、ティアさん」
「はい」
「記憶喪失の方は、あれから何か変化ある?」
と、ふと聞いてみた。
彼女は、手を止める。
僕を見て、
「いいえ」
と、首を横に振った。
サラサラと綺麗な黒髪も揺れる。
紅い瞳を伏せ、
「何度か思い出そうとはしたのですが……すみません」
「あ、ううん」
謝られて、僕は慌てた。
両手を左右に振り、
「思い出せなくても、別にいいんだ。ただ、ティアさんが不安だったりしないか、少し心配になってさ」
「ククリ君……」
「ごめんね、変なこと聞いて」
「いいえ」
また首を振る。
そして、彼女は僕を見つめた。
「ククリ君のおかげで、何も不安はありません」
「そ、そう」
「いえ……むしろ、記憶が戻らないのなら、それでも良いかとも思っています」
「えっ?」
僕は、目を丸くする。
(いいの?)
記憶、戻らなくて……平気なの?
その思いが表情に出ていたのか、黒髪のお姉さんは、僕に優しく微笑む。
胸に両手を当て、
「大切なのは、今、ですから」
と、言った。
「記憶は大事です。経験は、生きていく上での未来の参考になりますし、心の支えにもなります」
「う、うん……」
「ですが、過去ですから」
「…………」
「私は過去ではなく、今を生きています」
「……うん」
「今をどう生きるか? それこそが1番大事だと思うのです」
「そっか」
僕は頷いた。
父さん、母さんを失った記憶。
それは忘れられない。
でも、僕は今を生きている……確かにそうかもしれない。
彼女は笑って、
「そう思えるようになったのも、ククリ君のおかげなのですよ?」
「え? 僕?」
なんで?
キョトンとする僕に、彼女はクスクス笑う。
そして、
「はい。袋詰め、終わりました」
「え、あ、うん」
「では、村長さんのお宅に行きませんか?」
「う、うん」
頷く僕に、お姉さんは楽しそうだ。
(……ま、いいか)
不安がったり、悲しんだりしてるよりは、全然いいもの。
僕も笑った。
…………。
やがて、僕らは、薬草の布袋を抱え、村長の家に納品に向かったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「ほい、預かったよ」
納品した布袋を、村長は受け取った。
僕は笑顔で、
「うん、お願いします」
ペコッ
と会釈。
隣のお姉さんは、
「よろしくお願いします」
と、礼儀正しく深々と頭を下げていた。
そんな僕らに、村長は目を細める。
そして、聞く。
「2人とも、何も困ったことはねぇかの?」
「うん」
「はい、ククリ君のおかげで」
僕らはお互いの顔を見る。
そして、2人で、少し照れたように笑った。
村長も頷く。
「ほうか、ならよかったわ」
と、優しい声だ。
村の責任者だし、やっぱり色々と気にしてくれてたみたい。
ティアさんを見て、
「まぁ、役所には連絡したけん。何かわかったら教えるけな」
「はい」
彼女は頷く。
落ち着いた表情だ。
さっき話していた通り、焦りはないみたい。
村長も頷き、
「んで、ククリ」
「うん」
「明日から、村の東の山さ、立入禁止な」
「……へ?」
突然の言葉に、僕は驚く。
ティアさんも紅い目を丸くしている。
(え……立入禁止?)
何で?
びっくりしている僕らに、村長は言う。
「今、村の連中全員に言っとるんだけどな」
「うん」
「今日、東側の山さ入った村の狩人がよ、青毛大鹿の死体を見つけたのよ」
「そうなの?」
「んだ」
頷く村長。
青毛大鹿とは、体長3メード近い大鹿だ。
僕よりずっと大きい。
村長は言う。
「でな、そん鹿、食われてたらしくてな」
「え……」
あの大鹿が?
(珍しい……)
そして、村長は、
「そん近くに、でっけえ足跡あったんだと」
「でっけえ足跡?」
「んだ」
と、頷く。
彼は、僕ら2人を見る。
静かな口調で、
「久しぶりに、東の山に魔物さやって来たかもしんねぇ」