第三話 イレギュラー
次の日、オフィスビルの一室。
克己と智流は、珍しく互いに難しい顔をして話し合いをしていた。
「はぁ……。じゃあ、どうすりゃエラーの出てくる場所がわかるってんだ」
克己は先日の取材結果を受けて、先行きが見えないとばかりにぼやいていた。
「俺に訊かれてもな……。結局、ぶっちゃけ犠牲覚悟で人が多い場所で待ち伏せるのが一番手っ取り早いんじゃないか?」
「バカ言うなよ。そんなことしたら、俺らの腕前じゃ誰かしら巻き込んじゃうに決まってんだろうが」
智流もまた途方に暮れて、いつもの切れのいい皮肉を披露しつつ、克己に指摘されても悪びれた節もなく肩を竦めた。
「わかってるとも、冗談に決まっている」
「お前の皮肉は割と冗談に聞こえねぇから性質が悪ぃんだよ……」
*****
二人が事務所を出て数歩目に差し掛かった時。
突如、周りに纏わりつく大気圏の感触が重苦しい粘着質に変わり、人一倍熱血な代わりに人一倍過敏な克己は智流より僅かに先にその変化を知覚した。
「……ッ!」
智流の感覚もすぐさま追従し、知覚済みの克己に向けて司令官も真っ青になる迅速な指示を飛ばした。
「克己! 訓練通りだ。すぐに手元に炎を集めて自分の周りに撒け!」
「あぁ、わかってるよ!」
これまでの人生で、発現以来の人生の殆どを能力のインターンに費やしてきた克己と智流だからこそ、初動における能力の発動スピードの重要性は身に染みていた。克己は智流に言われた通りすぐに、手元から摂氏千度の赤い炎を出現させて円形にまとめると、縄張りを示すかのように地面に向かって炎の渦を飛ばした。エラーが発生する座標は先の重苦しい粘着質の感触より既にセンチメートル単位で知覚できていたので、克己は感じた場所に能力を飛ばすだけの簡単な動作であった。智流の能力は転移系の能力で、それ単体では戦闘向きの能力ではないので、直接手を下すのは自動的に克己になっていた。これが初戦闘だった二人、特に克己にとってもそれはわかりきっていたことのようで、自分だけがエラーと正面から対峙することへの文句も一切なしに、克己は普段の熱血さが戦闘狂染みた習性に昇華されたかのように、もうすぐ発生するエラーを待ち受けていた。
そして、その時はやってきた。
克己が待機しているとき、「克己! 後ろだ!」と智流から声を掛けられ振り向くと、もうそこにはエラーが発生していた。
克己は想定してなかった不測の事態に動揺しつつも、テリトリーを示す炎の境目にエラーを誘導し、それから某サッカー兎のような炎球を出して、エラーに叩きつけた。
しかし、克己が炎球を出して「決まった!」と思った矢先にはもう、その座標からエラーは消失して、テリトリーの中央に移っていた。
「克己! なぜかは知らないが、そのエラーはお前の狙いを読んでいる。もう下手な作戦で詰めるより物理で押し込んだ方が確実なんじゃないか?」
その言葉を聞いた克己は、即座に方針を変え、出力を上げて蒼炎を纏い、エラーが知性を帯びているという歪な現象に怒りを覚え、そのエネルギーを炎に入れてエラーをぶん殴った。
「んな賢しさ、エラーにゃ要らねぇんだよ!」
そして炎のフィルターのようなものでエラーの形態を梱包し、智流に呼びかけた。
「智流!」
「あぁ、わかってるさ」
智流はそれを受けとると、自身の能力でエラーを北の華神山地に飛ばすと、克己も炎のテリトリーを消去し、智流と共にその場に座り込んだ。
「はぁ、はぁ」
先の戦闘でだいぶエネルギーを消耗したらしい智流は肩で息をしていた。
「っと、だいぶいきなりのエラーだったな」
克己がそう感想を唱えると、智流は追加情報を投げてきた。
「あぁ、聞いたところによると、本来は空間の狭間みたいなゲートが開くらしいんだが」
その新情報を耳にした克己は、怪訝と驚愕が入り混じったような貌を浮かべ、
「そうなのか!? でも今は何の変化もなしに振り向いたらもうそこにあったぞ」
「あぁ、だから変だと言ったんだが」
「あ、ん?」
戦闘終了後は相変わらずの鈍麻を発揮した克己を一瞥しつつ、智流は呆れた顔をして克己に呼びかけた。
「ほら、さっさと取材に行くぞ」
*****
「すみません、最近近くでエラーってありましたか?」
その後、智流は今日も今日とて克己と共に繁華街でエラーの発生調査をしていた。今回ターゲットとなったのは二十代半ば頃に見える都会風の女性だった。
「エラーですか? 知らないんですか。ついさっき、商店街の路地裏で罹災者が出たんですよ。遺体の類いが見つからなかったので、多分行方不明扱いにされてると思います」
女性のタイムリーな情報に智流は驚きつつ、適度に感情を自制して女性に続けざまに問いかけた。
「ついさっき!? 具体的にはどれほど?」
「ええと、四時間ほど前だったと思います」
「規模のほどは?」
「さほど大きくはなかった、と発表はされてるんですが、普通の人はエラーになんて遭ったことがないので、規模を知らされたところで絶望するだけですよ」
なかなか鋭い女性の意見を耳にした智流は、出来立てほやほやの情報と公式発表を基に脳内で予定変更を組みながら、適当に目の前にいる女性に向かって相槌を打っていた。
「まぁ、それもそうですね」
と、取材が終わる気配を感じ取り、続けて智流は女性に今度こそ本心から感謝をした。
「情報提供ありがとうございます」
「いえいえ、エラーを追っていらっしゃるなら頑張ってください。必ずこの星からエラーという存在を駆逐してくださいね!」
女性の言葉に発破をかけられたのか、克己が女性に向かって一言言い放った。
「おう、言われずともそうするぜ」
女性は突然声を発した克己の存在に一瞬驚きつつも、元来の性格が善いのか、別れの言葉を放ち、そのまま会釈をして街中の雑踏へと戻っていった。
*****
数時間後。
克己と智流は件の商店街にいた。
「さて、今まで取材ばかりやってたから慣れないかもしれないが、今日はいよいよ実戦だ」
「おう、今の今まで取材に興じてた甲斐もあるってもんだ」
智流は克己とそう言い合い、エラーの調査に向けて一歩踏み出した。
「先ほどの女性の話によれば、さほど規模は大きくないらしいが、万が一のこともある。既に被害者が出ている以上、駆除を怠るわけにはいかない。気を引き締めていこう」
そして数十分後。
二人を待ち受けていたのは、途轍もなく大きなエラーの前兆だった。
「おい……」
「あぁ……。皆まで言わなくていい」
その前兆は、まるでファンタジー映画に出てくるような紫色の雲が空に澱み集まり、地面からは粉塵が舞っているというもので、そこだけ見れば非道く非現実的な、それでいて世界の終末を思わせるような光景が広がっていた。
「さっきの女の言葉は嘘だったのか?」
克己は先の情報提供者を真っ先に疑っていた。しかし、智流はそこについては疑っていなかった。
「いや、恐らくあれは事実だ。実際、あの後最近のエラー情報を調べたところ、簡潔にここの商店街の名前と具体的な座標、そして規模が大きくなかったということが報じられていた。ちなみに、被害者の名前やその他の情報については一切不明だった」
智流は事前に調査を済ませていた。初めて入手したまともな情報とはいえ、その真偽は確かめておく必要があると考えた智流は、その明晰で敏捷な頭脳と行動力を以て一瞬で調査しておいたのである。だからこそ、智流にしてみれば、先の情報と全く一致しないこんな大規模な前兆には首を傾げるばかりだった。
その話を聴いた克己は考え込んだ。
「なんかきな臭ぇな。あえて特定しようとしてない感じがするぜ」
その鋭い指摘に、智流は目を見開いた。
「珍しく理解が早いじゃないか、克己。聞くところによると、数々の自衛のためにエラーを狩猟している団体からの情報だが、同一個体と思しきエラーが近辺に連続で出現することはあり得ないらしい。が、これはエラーを研究しているごく一部の人間しか知らない情報だ。さっきの女性がこのことを知っていたとは考え難いな。だから別にあの女性が悪意を持って偽情報を掴ませたとかではないだろう」
「一言余計だっつーの。あぁ、わかってるさ。それはともかく、ってことは今ここに表れてるこの冗談みてぇな前兆は、さっき聞いた件のエラーとは別のもんってことだろ?」
克己は素早い洞察を見せ、智流と瞬時に意気投合した。
「そういうことになる。とりあえず、この前兆の規模を見るに、相当に大規模なエラーであろうことは間違いないだろう。克己、戦闘態勢に移行しろ」
「言われなくてもそうしてるって」
そして、息の合った二人は、普段の生活のごとく、言葉を介さずして戦闘の準備を終わらせていた。
「くるぞ!」
智流はそう号令し、克己もそれに反応して空を見上げた。
克己もそれに続いて空を見上げ、唖然とした表情を浮かべた。
「なんだ……あれは」
智流は気の抜けたような声色でそう呟くと、迅速に気合を入れ直し、克己の行動もまたそれと同値であった。
そのエラーは、なんと人型の、全身が黒ずんでいる中に数本の赤銅色の線が走っている奇妙な、まるでヒーローもののアクション映画に悪役として出てきそうなビジュアルをしていた。そして、人型ながら四足歩行で這いつくばり、二人の方をまるで獣の威嚇のように血走った目のようなもので睨みつけていた。本体の表面には体毛らしき物体が生えていて、まるで人間社会に適応できない類人猿のようだった。これまで二人が認知していた、あるいは対峙してきたエラーとは性質が違い過ぎて、二人は心の底から当惑した。
そして、克己は何も考えられず、いつものように炎のテリトリーを張り、エラーを誘導した。エラーは一瞬光に反応して克己が張ったテリトリーに近づいた。その刹那の隙を突いて克己は、炎球を畳みかけるようにエラーにぶつけ、ダメージこそ与えられなくても怯むくらいはするだろう、と考えた。しかし、そのエラーはわざと炎球に当たりにくるような動きを見せた後、全くの無傷で最初の位置に舞い戻った。
「クソッ! なんでこいつが全く通じねぇんだ!?」
克己はエラーに対し意味のない悪態を吐いた。そこにすかさず智流はフォローを入れる。
「何もかもがイレギュラーだ。今までに培ってきたスキルが何も通用しない。頭を使うんだ、従来の方法が通用しないのなら、この場で新しいやり方を創り出してしまえばいい」
「何か考えがあるのか!?」
克己がそう絶叫し、智流は目を伏せて遺憾そうに克己に伝えた。
「いや、そんな大層なものがものの二分強で出てくるわけないだろう。まずは表面の体毛に攻撃してみたらどうだ? 俺らが認知している単純な毛なら、皮膚の表面を焼くよりは断然燃えやすいはずだ」
すると克己は即座にその言葉を実行に移した。
「了解だ!」
そして克己は、今までに出したこともないほどに巨大な炎球を発生させ、商店街に直接的な被害が生じないよう、上空五十メートルほどまで炎球を持ち上げた。出力もかなり増大しているようで、紅色の炎球にところどころ蒼炎が入り混じっているほどであった。半径二十メートルほどの炎球は、幸いにして高層ビルのなかった商店街の近くに被害は及ばなかった。そのことを確認した智流は、ゴーサインを出し、克己はそれを認めるとたちまちエラーに向けて熱源を思いきり叩きつけた。
エラーは今度も自ら当たりに来たかのように成す術もなく炎球を食らっていた。燃やすものと燃やさないものを取捨選択できる克己の炎から発された熱が周囲の構造を破壊するようなことはなかった。しかし、その衝撃で当分の間エラーの姿は視認できなくなっていた。
「なぁなぁ、今のすごくなかったか!?」
克己は興奮した様子で、自らの肯定的な成長を嬉々として智流に自慢した。
「あぁ、お前からは未だかつて見たこともない威力だった」
そして、炎が晴れると、エラーの全体像を再び視認できるようになっていた。そして、
「克己、あれを見ろ」
「なんだよ? うぉっ!? なんであれ消えてないんだ!? 史上最高記録更新だったってのに……」
「わからない。しかし、お前の過去最大威力の必殺技でさえ、あれにとっちゃ致命傷にはなり得ないということがはっきりした」
その言葉を耳にした克己は、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、炎を地面に向けて発射しながら言った。
「クソッ! それじゃ勝てねぇってことじゃねぇか!」
智流もそんな克己の怒りとやるせなさを受け、しかし冷静に状況を把握して現実を口にした。
「少なくとも、俺ら二人だけの力量と戦力では絶対に消滅させることはできないな」
「ちくしょう、ここまでなのか……」
克己と智流が悲観的にさせられながら今後の展開について逡巡していると、エラーがまた動きを見せた。
しかし、それは極めて妙なものであった。
エラーは、二人から逃げるように距離を取り、異様な姿勢を取りながら後ろ側に歩き、何かの構えのような姿勢を取り始めた。
「おい!」
それを認め、すぐに智流は克己に呼びかけた。
「どうしたんだよ、急に、ってあぁ? エラーが、遠ざかっていく……?」
克己の言葉を聞いて、智流は確りと肯いた。
「あぁ、何かの大きな攻撃の予兆かもしれない。構えろ」
智流は克己にそう言った後、いつでも自身と克己を安全圏に転移させられるよう準備をした。
そして、エラーは遠く離れ、藍色の霧を放ち、二人の視界は閉ざされた。
「くるぞ!」
克己は再三そう叫び、警戒を続ける。
「………………」
「………………」
が、藍色の霧が直接二人に影響することはなく、智流は一瞬警戒を解きかけたが、陽動の可能性に思い至り、すぐに取り消した。
(過度に警戒して損はないだろう)
そして、藍色の霧が晴れ、視界が鮮明になると、克己は上空を指差した。
「おい、智流! 空が……」
克己の指の向こうには、いつも通りの夕焼けが広がり、エラーの前兆として見られた空は既になくなっていた。
「エラーが……消えた? 本当に? いや、そんなことが……」
智流は今までの記録や理論から全く考えられない現象が発生したことに困惑し、逡巡したが、現実に向き直った。
「おい、智流。取り逃がしちまったみたいだ」
克己は智流の困惑を相棒としてすぐに見抜き、智流に話しかけた。
「あ、あぁ……」
克己の動きに、智流も逡巡から脱し、やるべきことを思い出した。
「おい、イレギュラーなエラーが発生して混乱してるのもわかるが、ここで突っ立っててもしょうがねぇだろ。とりあえず、他に人が来ないうちにさっさと帰るぞ」
克己にそう諭され、智流は自身の役割を思い出し、克己と二人で事務所に帰還した。
*****
その夜。
智流はデスクライトを点けっぱなしにして、机の上に突っ伏したまま爆睡していた。
その様子を見た克己は、智流に布団を掛け、視界に入った智流の日記帳の内容を読んだ。
(ま、せいぜい頑張れよ。俺らの無念と恨みを晴らすためにもな)
そうして、彼らの夜は更けていった……。