3.屋敷の襲撃
出遅れた。
敵の行動に対しても、第一に動いたハヴェルに対しても。
私は廊下を駆けだす。身軽が取り柄なので、先に行った騎士の最後尾には直ぐに追いつき、追い抜かした。
先を急ぐ。
私は何をすべきか。なによりも優先すべきはハヴェルを守ることだろう。だが、それは騎士が考えていない訳なく、敵の捜索をしてもよい。
ひとまず現場に駆け付け、状況を確認する。
階下に向けて思いっきりジャンプして踊り場で着地、くるりと方向転換をしてもう一度ジャンプして時間を短縮する。
進むにつれて廊下に煙が充満している。躊躇わずに進み続け、息を止めた。呼吸するときは服の袖を口にあてておく。そのまま煙を吸うよりましだろう。
火事はとまることなく燃え広がっている。火よりも先に、騎士が慌ただしく動いているのが見えた。使用人にこの先は燃え広がっているため、別の道を示して避難誘導している。私はようやくとまり、そこらへんにいる騎士の一人を捕まえる。
「ひっ!?」
「現状はどうなっている。ハヴェルは? 犯人は?」
「っ、ハヴェル様は逃げ遅れているものの救助に。犯人はまだ捕まったと聞いていません」
「そうか」
迷いは短く、避難誘導されている道と反対に進む。騎士の声や使用人の悲鳴が飛び交っており、駆けながらも耳を傾ける。
こちらは危険です。この子、腰を抜かしてしまって。交代します、共に行きましょう。なんでこんなことに。焦らず、押さないでください。逃げる時間はあります。誰かいませんか、逃げ遅れている方は。死にたくない。もうこちら側は見てきました、誰もいません。よし次の場所だ。まだ上に人が。私、先に行ってと言われて。助けてあげてください。分かった。
「上、か」
微かで、だが聞き逃さなかった。声をした方に駆ける。
間違いなく、ハヴェルの声だった。
嫌な直感があった。
ハヴェルの元に犯人はくる。そのために屋敷に火をつけている。屋敷内を混乱に陥れて、ハヴェルを殺しやすくするために。
全速で駆けると流石に息が乱れる。構わず意識を集中し、感覚を鋭くした。どんな些細な情報を見逃さないように。
上と思われる場所に来た。この階には音が一切ない。おかしい。
ヒュン、と空気が切れる音。頭を下げて、音の正体を見る。投げナイフだ。第二、第三のナイフが向かってきているのを見て、身を転がして避ける。
「女か」
綺麗な顔立ちの女だ。長髪で身長は私と同じぐらい、メイド服を着ている。屋敷のものと同一のものだ。メイドとして実際に雇われていたか、予備をかっさらったか、身ぐるみを剥いだか。
投げナイフの他に、武器は持っていないか。懐に不自然なふくらみがあり、隠し持っている可能性が高い。スカート内も警戒しておく。
「ハヴェルはどこにいる」
「殺した」
標準的な女性の声の高さだった。声は喜色で染まっている。
踏み込むのは同時。私は短剣を、女はナイフを持って、交差することになる。攻撃の重さはほぼ拮抗。速さは……私がわずかに上か。五度刃が重なり、離れる。
周辺にはハヴェルの死体がないが、殺された可能性は高いものとして戦う。
この場合、私がすべきことは敵を倒すことではない。情報収集だ。倒しても死に戻りが起これば意味がなくなる。女は余裕のある態度で、その理由はハヴェルを殺したこと、もし自身がどうなろうとも死に戻りで意味をなさなくなることが考えられる。
「なぜハヴェルを殺す?」
「かの御方がお喜びになるから」
「かの御方とは?」
「教えるとでも?」
それはそうだ。
もう一度交差が始まる。早く制圧し、情報を聞き出したいところだ。だんまりをきめこむことなく、多少のお喋りには応じる相手だ。まだ聞き出せそうな情報はあるだろう。
焦ることはしない。打ち合ってみて、実力はほぼ同じだ。焦ったら私がやられる。
駆け引きで勝つ。刃が合わさった瞬間、力を入れて角度を変えそのまま相手のナイフを持つ腕を掻き切る。なかなか深く刺さった。私も無理をしたことで、相手の苦し紛れの攻撃を食らったが頬だ。目玉には届いていない、かすり傷である。
「お前……!」
余裕が崩れ、表情が怒りに染まる。感情型らしい。
私と同じ裏社会の者かと思ったが、このような性格ではそれは怪しくなってきた。裏社会では直ぐに淘汰される人間だ。
女が思い出したかのように怒りを心に隠し、言う。
「お前があの雇われていた暗殺者か。ハヴェルを何度も殺していただけはある」
「……」
「だが、私も殺せた。お前だけ英雄を殺せるのではない」
「そうか」
「……腹に立つ態度だ!」
何に苛ついたのかは分からない。ただ否定もせず、相槌を打っただけだ。
女は左腕を体の後ろに隠していた。警戒はしていたから、避けることはできた。
手のひらよりひとまわり大きな火球が手にあり、投げられる。投げナイフよりは範囲が大きく、弾く選択肢はなく大きく避けることになった。
それで終わるはずはなかった。女は魔法と共に走り出している。
迎えうとうとして、ぴりっとした痛みが体を巡る。考えられる原因は―――
「毒か?」
「いまさら気付いても遅い!」
動くことはできる。即効性だとしてもナイフに塗られたかすり傷の頬の少量であるし、完全には効きが回っていない状態だろう。私が毒の耐性をつけていることもある。
体の遅れ、異常を見越して動く。隠し玉の魔法まで使ってきたここが正念場だ。
右側からのナイフの繰り出し。短剣で弾く。左手からの投げナイフ。これも短剣で弾く。狙う先は女へ。女は体をずらして避けて、一息。私も右腕の位置を戻して、一息。
直後に上下左右、隙なく短剣で切り刻む。女も負けじと応じる。速度は毒のせいで落ちることがあって、女は応じることができている。
そこに私は体術を繰り交ぜた。足で女の足を蹴りつける。入った。女が衝撃で顔が苦痛に歪む。私は女の懐に入り込み、左肩を突き刺す。
その前に。
「時戻り……」
視界が歪む。毒のせいでない。明らかに目の前の世界がぐにゃりとねじ曲がっている。
「次は、負けないッ」
女は言葉を置き去りに消えた。世界は切り替わり、私は宿のベッドで寝転がっていた状態から起き上がる。
「惜しいな」
時間切れだった。あと少しあれば、女を制圧できていた。
はあ、と溜息をつき身支度を整える。
今度は敵に出遅れることなく動かなくてはならない。今度こそハヴェルを死なせないようにしないといけない。
女はメイドに扮して逃げ遅れたことにして、助けにきたハヴェルを奇襲して殺したのだろう。ハヴェルが人助けをすることを利用した。
「何度繰り返す羽目になるのだろうな」
何度ハヴェルは死ぬことになるだろう。英雄なのだから、そう簡単に死なないでほしい。
二度の溜息を吐いてから、宿から出る。死に戻り直後で覚醒しているのは私ぐらいで、夜明けはまだだった。