16.救済
目覚めは最悪だった。死に戻り前の苦痛が襲い掛かる。腹が、腕が、肩が、頬が、爪が、とにかく全身が痛い。冷や汗が背中を流れる。奥歯を噛みしめて、それもそれで痛みが蘇るのだが、この痛みは幻覚だと必死に脳に叩き込み―――痛みがなくなる。
はあと息を漏らし、その動きで苦痛も蘇るが、この状態まで落ち着いたなら動ける。ミフェルのいるアジトに向かう。
今回はミフェルの元まで通されることはなかった。私一人に対して過剰なぐらいの人数と警戒に囲まれ、目隠しと手枷までされながらなんども曲がる。下り階段と地下に続く道を経て到着したのは牢の中だ。目隠しを外されて早々告げられる。
「逃げるなよ」
そのようなことを言われても、毛頭するつもりはない。母を人質に取られた状態で脱走などするか。
そう考えた私は甘かった。
薄暗く空間を照らす蝋燭の火を反射していた。相手の体によって巧妙に隠されていた鉈は、私の右腕に振り下ろされる。
「あ゛ああああああッ!」
突然の避けられない痛みだった。避けてもならない痛みだった。
「もう一度」
愉悦で歪む口元。今度は覚悟を決められた。奥歯を噛みしめる。
「〜〜ッ」
鉈は同じ右腕に振り下ろした。右腕が切断される。おそらくこれが目的だった。
「手当しろ」
今回は私を生かすが、抵抗はさせないらしい。私の暗殺力を必要としないことも読み取る。
考えている間にも血は流れ続れる。まともに手当ができる人材を連れていないらしい。薄れゆく意識を保つ意味は見いだせず、あっさりと意識を手放す。
牢生活が始まる。無意味かもしれない時間をただただ過ごす。
右腕を切断され血を失った以上に容態が悪くなることはなかった。清潔といえない牢でもたもたとした処置だったが、感染症にならなかったのはまめに包帯を変え、一日二食とはいえ食事を与えてくれたからだろう。
ただ私を生かして、何の利があるのか。
暗殺者として生かすなら分かるが、利き手の右腕を切断した。左手でも短剣は扱えるが、力と精度は格段に下がる。
分からない。分からないことは不安だが、どうでもいいとも思う。分かったところでどうにもならない。母を人質にとられて、一人逃げ出すことなどできないのだから。
ただ暗殺者としての矜持がわずかばかりといえど残っていたので、日数だけは数える。太陽の光が一切入らない地下の牢だ。狂った体感時間で数えて、一か月は経った頃。
「惨めだな」
懐かしい声だ。のそりと頭を上げる。
開錠の音が重々しく鳴り響く。
「ついてこい」
ミフェルは私を振り返ることなく、先に進んでいってしまう。
母は生きているのか?
母は自由なのか?
久しぶりに発声したため、声は掠れ消える。
唐突に目が潤っていく。感情が追いつかない。理由なんて分からないまま勝手に涙を流そうとする体を懸命にとめる。無配慮に遠ざかっていく背中を追いかけようとして転ぶ。これまでの人生の癖が出て右腕で起き上がろうとし、なくなったのだと思い出してもたついていると、ぐっと視界が高くなる。ミフェルがわざわざ戻ってきて、私の上衣を掴んで無理やり立たせた。
「待たせるな」
今度こそミフェルは先に進んでいってしまう。無理やりとはいえ私を立つ手助けをしたことに物珍しく思う。ふらつくため壁を支えにしながら、急いでついていく。
無防備な背中だ。私が害すると思っていないのか。……思っていないのだろうな。
傲慢な背中だ。自身の考えを間違っていると恐れることなく堂々と実行できる。そんな男だから、裏社会のボスにまで君臨でき、ついていく者がいる。
階段を越えた先にある扉を開けるとすぐに部屋があった。牢にまでは届いていなかった騒然さが聞こえる。この部屋は無人だったので別の場所からか、と考えている内に向かい側にあった扉が蹴破られる。現れたのは想像もしていなかった人物で。
「は、ゔぇる」
ハヴェルは私を訝しげに見遣り、瞠目する。
「ロマ……か?」
私は見知っているが、ハヴェルにとっては初対面だと思い至る。だが、なぜ私がロマだと知っている? そもそもなぜこのような場所にいる?
「ロマ」
ミフェルが言う。はっきりと聞き間違える余地なく、容赦なく、
「殺せ」
と言う。
無理だ。
冗談だろうと乾いた笑いにもならずに、は、と息が漏れる。こんな右腕でどうしろと。
だが、本当に無理とは言えない。無理だとしても、逆らえない。殺しに挑まなければならない。
武器はミフェルが渡してくる。使い慣れた私の短剣だ。左手で、牢にいて体力の落ちた体で殺さなくてはならない。
「戦う意志はない。ロマを救いに来たんだ」
ハヴェルは慌てたようにそんなことを言う。
「私を救いたい……?」
なら、母を救ってくれ。
ハヴェルは私の名を知っていても、私のことを分かっていない。やるせない激情を短剣でもって叩き込む。全ての動きは鈍く、力もない。短剣は軽々しくハヴェルのもつ剣に弾かれる。
「なぜ……っ」
「今のお前が、言えることじゃないっ」
私が明かした少しの昔話すらもなくした癖に。私へ好意を持っていたハヴェルではない癖に。
なぜ軽々しくも私を救おうとする。なぜそんなにも苦しげな表情をする。自身を殺そうとするよりも、右腕のない状態に。
激情のまま短剣で突きを放つ。ハヴェルは剣で弾き返すことも避けることもしなかった。剣を手放し、私の左腕を掴んでとめる。
力を込めても揺るぎもしない。ならば、と右足で蹴りを放つと、呻き声のみで終わった。
それでもまだ諦めない。
賭けに出る。初対面のはずのハヴェルの、私へ抱く感情を利用する。
掴まれたままの左腕の力を抜き、短剣を落とす。抵抗をやめたふり。そして、全身の力を抜き、倒れ込むふり。
賭けは勝った。
ハヴェルは私を支えようとする。私はハヴェルを引き寄せると、まんまと一緒に倒れ込んでくれる。
死ね、ハヴェル。死んで、私を救え。
爆発が起こる。私ではハヴェルを殺せない。なら好機を作れば、ミフェルが手ずから殺しにかかるだろう。爆発の勢いで吹き飛ばされる。
「ぅ……」
予想以上にダメージが少ない。私も一緒に殺されるものだと思ったが。
起き上がろうとして、ハヴェルに抱きしめられていると気付く。
私を庇ったのか。
言い表せないぐちゃぐちゃの感情のまま、ハヴェルから脱出を図る。固く抱きしめる腕が動いた。
「もう、大丈夫だ」
「っ!?」
生きている。この威力の爆発で、受け身しかとれていないのに。
ハヴェルは私を自由にして座らせる。私が再び殺しにかかろうとすると思っていないようで、私でなく別の場所に視線を送る。その態度から私はひとまずその視線を辿り、見つけた。
「なぜ……」
この場所に母がいる。
ベランジェールやヨルクといった知った顔の騎士たちに囲まれて、やせ細った体ではあるが自力で立っている。
「ロマっ!」
声も、駆け寄って抱きしめられるぬくもりも嘘ではない。母が生きていて救われていたことに、私は涙で頬を濡らした。




