8話 後悔
何年前だっただろうか。その時の俺はまだ幼虫であり今の様に茶色い髪ではなく白っぽい色の髪だった。ツノはおろか翅も無かった。体も今の様に丈夫ではなく並の人と同じくらい脆かった。ただ武術と剣術だけは習っていたので戦闘だけは自信があった。
この国のエリート、もとい貴族に生まれた俺は幼い頃から幾度も腐りきった政府に対する反乱を見てきた。正直「共和国」という国号は見せかけだったと思う。実態は執政官一家の制する独裁国家だ。皮肉なことに、共和国のくせに君主が存在するという矛盾がこの国にあった。それで反乱が起きる度に俺達貴族も巻き込まれる。
その年の反乱は俺が見てきた中でも最も激しかった。以前と違って反乱軍は猟銃だけでなく大砲や火薬を使い始めたからだ。政府側の軍隊との衝突により戦況はさらに悪化し都に住む何千人もの一般人が犠牲になる程度であった。都の状況はと言えば瓦礫と腐敗しかけている死体だらけで”都”と呼ぶべきか迷う程だった。一般人が嘆き悶えるなか、執政官一家と俺達貴族は全員、都からの逃亡を余儀なくされた。
…とは言ったものの俺、そして他数名の俺と共に貴族専用の修辞学校に通っていた同級生たちは皆逃亡に2時間ぐらい遅れた。学校で授業を受けていた時に爆撃され、瓦礫の山をかき分けながらやっとの思いで外へと脱出出来た。学校は半壊したが死人が出なかった以上幸運だった。
「畜生!なんでこんな目に遭わなきゃいけねェんだよ!」
「全部反乱軍のせいだ!あいつらさえ居なきゃこんな事にはならなかったのによ!」
自分の事は棚に上げてひたすらに反乱軍を罵る貴族の子供たち。見ていて反吐が出そうだった。
俺は特に何も言う事無く政府側の軍隊の指示通り反乱軍を避けながら港の方へ向かって皆と共に走った。
銃声、そして爆風と共に崩れ落ち、人々の煩悶が響き渡る都は”地獄”という言葉以外に相応しい例えがなかった。5マイル程走り続けた俺は何度もその光景を見てきた。親の死体にしがみつきながら泣き喚く子供。あるいはその逆で自身の子供の死体を抱えながら啜り泣く親たち。家族はおろか誰も隣に寄り添う事なく逝った哀れな者たちの遺体。俺と共に逃げている連中は見て見ぬふりをしてひたすらに助かろうと港を目指した。
俺は違う。俺のじいちゃんは貴族にしては珍しく「憐れみ」という感情を持っていた。それが遺伝したのか、嘆き悶える人々を見て俺はこのまま走り続けるわけにはいかなかった。
遂に都の郊外へ着き始めた時、俺は隙をついて瓦礫の陰に隠れ、全員立ち去るまでそこで待機した。やがて全員立ち去り、辺り一帯は静けさに満ちた空間となった。振り向く事なく逃げ続ける者たちを後に俺は都へ戻った。
都へ戻ると、町が如何に惨めなのがわかる。空は夕焼けで赤く染まっていた。火薬の匂いと黒く雲のように舞い上がる煙も相まってその日の黄昏は見るに堪えたものではなかった。
けが人が何人かいた。殆どが軽症者だった。納得のいくことだ。重症者は殆ど死んだからな。
だが全ての重症者が死んだ訳ではない。まだ息はあるものの、手や足を失った者だっていた。文字通り、「虫の息」だ。
少しでも助けてやりたいと、すかさず俺は自分の服から布をちぎり、包帯代わりにする事で彼らの血を止める事が出来た。布が足りなくなった時は他人の服を借りて包帯を作った。大怪我した時の為に少し学んだ医学が役に立った。
貴族専用に作られた非常食の乾パンをバッグから取り出す。今にも餓死しそうな者たちを優先して与えた。幸いにも川の水はまだ綺麗だった為、飲水には困らないだろう。
数十人しか重症者がいなかった故、日がくれ始めた時に俺はなんとか重症者を全て処置することが出来た。死者は崩れかけている墓地へと埋めてやった。
やっと全て片付いた時には多くの泣き声が聞こえた。家族と団欒して嬉し泣きする者もいれば、大切な人を失って泣く者もいた。瓦礫の山に腰を掛けながら硝煙で汚れた夕焼けを俺は眺める。そんな中、頭に包帯を巻いたボロボロの服を着た少女が俺に話しかけてきた。
「…君はなんで私たちを助けるの?」
俺が最後に救出した、瓦礫の山の下敷きになりかけていた同い年ぐらいの少女だ。弟と思わしき小さな男児を連れている。
「どこかの軍に属している訳じゃなさそうだし、医者でもなさそうだし、これは君なりの正義なの?」
火薬の匂いをそよ風が運んできた。俺と同じ色の髪を靡かせる少女に俺は言う。
「…『正義』じゃない。これは俺たちの『責任』だ。」
「え?」
驚嘆とした顔の少女。彼女の弟はさっきから黙り込んでいる。俺は話を続ける。
「…俺は貴族だ。もともとこの反乱は執政官をはじめとした政治家や俺たち貴族が原因で起こったんだろう?」
少し悩んだ様な顔で少女は頷く。
「…他の連中は己の責任に目を背け、逃げていった。この国の権力者たちはどれだけ腐っているのかは貴族の俺でもわかる。だから俺は残った。責任から逃げちゃあ、貴族はおろか人としてお終いだ。」
日はどんどん沈む。星が光り始めた。
「ところで、名前はなんて言うんだ?」
気が差したのか、俺は少女と男児に聞いた。
「アリオッサ。種族は確か、アカアシオオアオカミキリだったと思う。そしてこっちはヒメマルカツオブシムシのエルバーソン。生まれつき耳の聞こえない弟なの。」
「家族はいないのか?」
「3年前の反乱で、みんな死んじゃった。」
その言葉を聞いて俺は黙りこくった。体を前の方へと曲げ、頭を抱える。俺がやったことでもないのに、深い罪悪感が頭をよぎる。
まだ建物としての原型が残っている大きな教会の中で、被害者たちは眠る。俺と他数名の夜行性昆虫は敵が来ないかを見張る為に焚火を起こしながら座り込む。その夜、俺たちは話し合った。家族から聞いたおとぎ話とか、思い出とか、ありったけの話を持ち出しては皆に聞かせ、そして皆の話を聞く。そんな風に話を続けていく内に、俺たちは反乱の最中という現実から段々と離れて行っているような感覚もした。
ドーン ドーン
2発の銃声が聞こえた瞬間に俺たちは皆現実へと引き戻される。
反乱軍か、それとも政府軍か。いずれにせよどちらも民の敵であることに違いはない。明かりを消す為に一人が静かに焚火に水をかける。物音を立てず、焚火の残煙から遠ざかる。門の陰に隠れ、俺は壁に耳を当て目を凝らしながら外に誰がいるのかを確かめる。
「…政府軍の連中はここにはいない様だな。」
「ああ。だが煙の臭いはある。ここに誰かが居る、或いは居たって事は間違いないだろう。」
「政府軍なら弾を何発ばかりかぶち込んでやりたいところだったな。」
「一般人なら…人質にでもするか。」
猟銃を持った若い青年と中年近い男性がそこにいた。緑の十字が刷られた白いマントを羽織っていることから反乱軍である事は確かだ。
「…あの執政官と貴族どもの連中に、人質を助けてやろうなんて情が残っていると思うか?」
「そうだな…」
足で瓦礫をかき分けながら進む二人組。「反乱軍だ」という合図で俺は避難者に伝わるよう左手を挙げる。例え民を苦しめてきた政府の敵と言えど、反乱軍の起こした争いで人々が犠牲になった事に変わりはない。このまま二人が通り過ぎるのを、俺たちは待つ。何もかも上手くいくとその時までは信じていた。
無慈悲にも現実は俺たちを見捨てた。生まれつきの聴覚障害が災いしたのか、スタスタという瓦礫を蹴るような足音と共にエルバーソンが教会へ戻っていくのが見えた。もちろん反乱軍の二人組にも。
俺たちは大きな見落としをしていたんだと、その瞬間に思い出した。俺たちがまだ焚火を囲っている時に、エルバーソンが小便をしようと起き上がり、教会から立ち去った事を忘れていたのだ。
戻ってきた瞬間に銃を持った男性二人が目の前に現れたら誰もが驚嘆するだろう。特に、エルバーソンのようなまだ幼い男児にとっては、少々青ざめた顔で、目を大きく開けながら顎を震えさせるほどだった。
「…ガキ一人、か…」
「ということはこの近くに一般人がいる、ということだな…」
中年近い男性は教会の方へ目を向ける。
最悪の場合、ここにいる全員が銃殺されるかもしれない。血みどろの光景が頭をよぎるなか、俺は何も考えずすぐさま教会の外へ飛び出し、エルバーソンを庇うような形で反乱軍に向かって叫ぶ。
「やめろ!撃つなら俺を撃て!」
突然の出現、そして言葉に反乱軍の二人組は驚いたような顔をする。教会の中にいる避難者たちも、エルバーソンも例外ではない。構わず俺は続ける。
「アンタら反乱軍の敵は貴族どもなんだろう!?俺も貴族だ!ルビート家の貴族だ!だから…ここにいる避難民全員分の命、そして他の貴族どもの罪と引き換えに…俺の首一つで…勘弁してくれないか…?」
慈悲なんて求めてなかった。間違いなく俺は殺される。そう覚悟した時に中年近い方の男性が俺に聞いてきた。
「…おまえ…いくつだ?」
「…9。」
「…俺たち反乱軍にとって、貴族たちは老若男女問わず全員捕虜の対象となっている。もちろん、お前も例外ではない。」
特に恐怖など感じていなかった。捕虜にされるからといって死ぬ事が確定した訳でもない。何せ死に対する恐怖など抱いてなかった。
突然、男は目を瞑り、首を振りながらこう言う。
「…やはりお前は例外だ。」
首を傾げそうになった。
「…俺が今まで貴族に会ったときも全く同じ様な事を言ってきた。奴らはどう返したと思う?」
「『金でもなんでもやるから命だけは勘弁してくれ』だろう?」
あいつらなら絶対そう言うだろう。長らく修辞学校で共に過ごしてきた俺にはわかる。
「全くその通りだ。俺は今まで貴族というのは『欲望に溺れた小物』としか見ていなかったが、お前の様な民を思う者は初めてみた。お前の様な奴を捕虜にするのは勿体ない。お前だけは特別に見逃してやるよ。」
運が良かったのか否か、俺は反乱軍と和解できた。
エルバーソンはと言えば、耳が聞こえない故に「何言ってんだこいつら」みたいな顔をしていた。
俺と眠りについた避難民たち、そして反乱軍の二人組は焚火を囲う。冬が始まったばかりだが、かなり寒い。
このままどう呼べばいいのかわからず、俺は中年男性に名前を聞いた。彼は「フェトライヒ」と名乗った。種族はカマドウマとのこと。
「…なあ。」
今にも眠りにつきそうな目で俺に聞くフェトライヒ。
「お前、生きていて楽しいか?」
何を聞くのかと思えば、彼はあたかも心理学者かのような質問をしてきた。
「…何故そんな質問を?」
質問を質問で返すのはよくないという事は理解している。だがそんな事をなんの突拍子もなしで聞かれたら流石に疑問を抱かずにはいられない。
「…普通、自分の命を張って誰かを守ろうとする奴は、覚悟を決めたような強い目つきをしている。だがお前は違う。お前は生きることそのものを諦めたような目つきをしていた。」
あながち間違っていないかも知れない。どうせ死ぬ、という思想を持っていた俺は生きることが無意味にも感じていた。
「…いつかは死ぬんだ。例え意味のある生き方をしたとしても、死ぬという事実から免れることは出来ない。だから俺は生きる事に意味なんて見出してもいないし、求めてなんかもいない。生きることそのものを諦めた方がよっぽど楽だ。」
哲学者ぶったように俺は答える。
「…9歳の子供が言う様な言葉じゃないな…」
驚きながらも呆れたような顔で俺を見るフェトライヒ。
「…だが、このまま自分が生まれてきた理由も分からずに終わるのはあまりにも無念だとは思わないか?」
彼は焚火で葉巻に火をつける。
「何にだって生まれた意味がある。パンは食う為に作られるものだし、水は飲む為に生まれるものだ。俺は、生きる事と死ぬことにも意味があるんじゃないかって思っているんだ。」
口に咥えていた葉巻を一旦取り出し、そして灰色の煙を吐き出しては話を続ける。
「『夢』というものは『生きる理由』と同じようなものだ。生きる理由といっても人それぞれに見出す内容が異なってくる。幸せになる為に生きる奴もいれば、復讐の為に生きる奴もいる。お前にもきっとある筈だ。生きることを諦めるんじゃない。たった一度きりの人生だ。どうせ死ぬが何かを追い求める生き方より何もしない生き方の方がよっぽど無意味な生き方だと俺は考えている。」
「…」
その言葉を聞いて俺は黙りこくった。肉体的にも、精神的にも自分はなんて脆い奴なんだ、とひたすらに自責した。
「…アンタに生きる理由ってのはあるのか?」
試しに俺は聞いてみる。
「…あるさ。」
葉巻を加えたまま、男性は答えた。
「…この国を救う事だ。」
幼いながらになんて素晴らしい夢なんだ、と思ってたりもした。
「…私も。」
なんの突拍子もなしに、後ろの方から少女の声が聞こえてきた俺たちはびっくりして振り返る。そこに立っていたのはアリオッサとエルバーソンだった。
「…役者だったら、お前は幽霊役に相応しいな…」
「貶し言葉として受け入れるね。」
少し嫌味のある俺の言い方に嫌気がさしたような顔をするアリオッサ。
「…お前も俺と同じ夢を持つ、とでも言いたいのか?」
フェトライヒは葉巻を捨て、落ち着いた目つきでアリオッサに聞く。
「…はい。なので…」
小さな声で少女は答えた。そう思いきや、その瞬間に頭を下げ、アリオッサは大きな声を出した。
「私も反乱軍に入れてください!」
その声に起こされた者が何人かいた。
「私も反乱で家族を殺された身なんです!せめて、家族の仇と、私と同じ思いをする子がいなくなる為に、命を張ってこの国を変えたいです!」
たった9歳の少女の、その気迫に溢れた言葉に流石のフェトライヒも動揺せずにはいられなかった。
「よせ。」
アリオッサの声で起こされた反乱軍の青年は少し怒ったような口調で言う。
「反乱軍に入るってのは容易いことじゃねえ。死んだ仲間の数といったら、片手じゃ数え切れんほどだ。」
その言葉を聞いてアリオッサは真剣な顔をする。9歳の少女の表情とは思えないものだった。
「…だからと言って、このまま何もしない訳にはいきません。少しでも多くこの国を救う事が出来るなら、例え死んでも構いませんので、あなたたちと共に戦わせてください!」
幼い少女の熱意あるスピーチに流石の青年も驚きを隠せなかった。
「…」
フェトライヒは少しの間黙りこくった後、バッグから何かを取り出した。バッグの中から現れたのは、反乱軍の象徴でもある緑の十字架が刷られた白いマント二つ。
「…入隊おめでとう。」
フェトライヒは二つのマントを姉弟に与える。耳の聞こえないエルバーソンだったが、マントを渡されるや否や、姉と同じ喜んだ表情を見せた。
「…そういや、名前は聞いてなかったな。」
「アリオッサ・F・カーペックです。こっちは弟のエルバーソンです。生まれつき耳の聞こえない弟です。」
フェトライヒの問いに元気よく答えるアリオッサ。
「…お前たちの入隊を祝ってやりたいところだが、残念な事に昨日、『団長』からこの反乱は先延ばしするという手紙が届いた。」
その言葉を聞いて唖然とするアリオッサ。
「これ以上被害を拡大させたくないし、何より民を苦しめたくない。さらに俺たち反乱軍の戦力は政府軍よりかなり劣っている。このまま戦っても埒が明かないどころか、全滅する事は確かだろう。」
その言葉を聞いてアリオッサはがっかりした様子を見せる。
「だが、お前たちが入隊したという事実は取り消さん。シルフ半島に俺たちの総本部があるからお前たちはそこで生活させる。もう少し大きくなったら参戦させてやるから、せいぜいその時まで我慢しておけ。」
ついさっきまでがっかりしていたアリオッサの顔はもう一度にこやかな顔に戻った。フェトライヒに何度もお礼を言った後、俺に向かって彼女は言う。
「私が参戦する時までくれぐれも清廉さを保っておいておくんだよ。じゃなきゃ君も私の敵に回すから。」
「せいぜい修行しておけ。お前の敵がカブトムシである事を忘れるんじゃないぞ。」
割れた窓ガラスに黄色い光がさす。いつの間にか朝日が地平線を照らしていた。
あの反乱から3年近くが経った。その年から特に目立った反乱は起きなかった。いつの間にか白かった髪は茶色に変色し、翅とツノも生え、カブトムシ特有の丈夫な体になった。内乱で破壊されかけた都も建て直されるなか、執政官ことオーリュステル氏は貴族や聖職者たちを集め議会を開いた。議会の内容は簡潔に纏めると「内乱からみる今後の方針」と言ったものだ。遂にあの執政官も凝りて心を入れ替えたと思い、出席出来なかったじいちゃんの代わりにルビート家の代表として俺は12歳にして議会に出席した。
ザワザワと話し合う声は静まり、執政官は演説を始めようと咳払いした。貴族達も聖職者達も執政官の方に注目した。
「えー、今日は議会にご参加頂いて誠にありがとうございます。皆様もご存知の通り、あの内乱から丁度2年が経ちました。ですがその出来事の前から幾度も反乱が起き、武力を使って我々に抗う国民たちに苦しまれた方も多くいるでしょう。そこで私たちは2年費やして今後反乱が起きないよう我が国・ラヴォイデア共和国の新しい方針を立てました。」
年老いたのにも関わらず、自身の種族であるヨツメトビケラの特徴である黒く長い触角を揺らしながらオーリュステルは嗄れていながらはっきりとした声で語った。俺はかなり期待していた。あいつの口から民主改革、および憲法の改正などそんな綺麗事ばかりを妄想していた。
「その方針とは国中にいる反乱分子を徹底的に消すことです。」
…は?
「我々は反乱者たちを甘く見ていたのです。そんな風に奴らを自由に思想を行き渡らせ、自由に武器を扱わせる事によって反乱は起きました。すなわち、我々は反乱者たちを野放した事によって被害が出たのです。そこで以前の様に奴らを野放しにせずその代わり目をつける事、仮に反乱しようとする者がいれば軍隊が拘束し処刑および拷問する事によって反乱思想はあっという間になくなりやがて我が国は平和に…」
「ふざけるなァっ!!!!」
拳で机を思いっきり叩き、俺は叫んだ。その声といったら議会場全体に響くほど大きく、その場にいる全員が俺に目を向けた。
「結局お前は何も学べなかったか。自分の事は棚にあげてただひたすらに他人のせいにする…お前のそんなクソッタレな思想で何回反乱が起きて何人死んだと思うんだ…!!民の声には全く耳を向けず、己の欲望だけに目を向ける元首がいる国を『共和国』と呼べるのか…!!そんな事にすら目を向けず反省もしないお前に『執政官』の位が務まるのか…!!」
苛立った目で執政官の野郎は俺を見た。
「お前はそれでも一国の君主か!!!!」
俺は耐えに耐え続けていた憤怒を奴にぶつけた。議会上に響き渡るような大声で。
「…ルビート家のヤマトだな。つまみ出せ。」
やはり俺の言葉はそっちのけで野郎は数人の衛視を俺へと差し向けた。
あの時俺は何人殴っただろうか。まだ幼い貴族の身でありながら俺は政府直属の衛視を殴った。半分狂気に操られていたような感覚だったため、何人殴ったか数える暇も無かった。怒りの感情、そして自分の種族の特徴である頑丈な拳に任せてただひたすら殴り、殴り、殴り続け、悲鳴、そしてうめき声を上げながらバタバタと音を立てながら倒れゆく衛視を見ながら俺は思った。
「ああ、この国はもう救えないんだな…」、と。
ふと我に返ると眼の前には死体の様に倒れ込む衛視たち。そして俺が原因で起きた修羅場に怖がり逃げていった執政官と貴族たちが残したがらんと空いた議会場。恨んでも国はどうにもならない。そんな虚しさと共に俺は誰もいない議会場から出ようとした。そう上手くはいかず、俺は隠れていた衛視の一人に峰打ちされ結局捕まった。
留置所でしばらく過ごしたあと、俺は尋問室に呼ばれた。薄暗く錆びた金属の匂いが漂う部屋にはラック、アイアンメイデン、絞首台、そしてギロチンといった数々の拷問器具と処刑器具が並んでいる。国の軍に配属している騎士が尋問官として俺に幾つか質問し始めた。
「ルビートよ…国のトップである執政官にそういう口を利くのは非常に冒涜的な事である事は理解しているのか?」
「神じゃあるまいし冒涜でもなんでもないだろ」
「それに君は12歳、そのうえ貴族の身でありながら議会中に暴力を振るい議会を無茶苦茶にした事は間違っていると十分わかっているだろう!なぜそんな事をしたんだ!」
「十数人殴り倒した俺と何百人見殺しにしたお前ら。どっちが間違っているんだろうな。」
「…じゃあ、あれだけの事をしておきながら全く反省とか後悔とかいうものが無いのか…?」
「さっきから俺の回答を聞いてよくそんな質問が出来るもんだ。だが、一つ後悔があるとすれば『この国の貴族』に生まれた事が一番の後悔だ。」
尋問官はまるで死体を見るような目で俺を見つめた。たぶんあいつはこう思ったんだろう。
「こいつはもうダメだ」
貴族であったこと。そしてまだ幼かったこと。それが理由で俺はあんな事をしたのにも関わらず非人道的な刑罰を受けずに済んだ。俺に課せられた罰というのは爵位の剥奪と都からの追放だったが俺にとってそんなことはどうでもいい。都から出れば貴族の生活から開放されるから寧ろ俺にとっちゃあ都合の良いことだ。ただ家族に会えないのは少し物悲しかった。
「本当に行くのか…ヤマト」
憂色に包まれた表情で俺を見るじいちゃん。そしてその後ろで涙を堪えている様に俯く使用人のザミュエラさん。3年前の反乱ではじいちゃんは海外へ行っており、ザミュエラさんは俺の母の墓参りに行っていた。
「ああ。それに…もう遅いと思うけど、ごめん。あんな事をやって。」
幸いにも罪に問われたのは俺のみであって家族の方はなにも問題なかった。だが俺の起こした事によって貴族間でじいちゃんを含むルビート家の悪名が轟く事を考えるとやはり痛ましい。
「いいのだよ。お前のやった事は間違っていない。」
貴族の身でありながら俺の祖父は謙虚な人物だった。
「…それと、もう一つ聞きたい事があるんだが…新聞に俺の事は載ってないだろうな。」
「あの出来事からもう4日経っているのにも関わらず、ヤマト様に関する記事は見当たりません。恐らく隠蔽されたのでしょう。」
沈んだ表情で俺に答えるザミュエラさん。それもそうだろう。国民だけでなく貴族ですら国に反乱したと民間に知られば政府側にとって不都合な事だ。
じいちゃんとザミュエラさんに別れの挨拶をし、俺は都から去った。立ち去った後、向い先は俺の母親が幼少期を過ごしたディナスティナエ村に決めた。
村は遠かった。朝頃に飛んで行っても昼間に着くほどの距離だった。
都では相当見られないような広大な草原。青く澄んだ空に浮かぶ綿の様な雲と穏やかに輝く太陽。葉っぱをこちらへと運ぶように優しく吹くそよ風。都では絵画でしか見ることのない景色だった。
じいちゃんの話によれば母さんの家はこの村にあった筈だ。村中が憧れるほどの大きな屋敷だったそうだ。そしてその屋敷の庭は目を疑うほどの大きな大樹が立っているとのこと。その大樹には人が暮らせる様な大きな樹洞があり、母さんはそこをツリーハウスのノリでよく出入りしていたらしい。
試しに屋敷があったという場所へ行く。残念ながら屋敷は図書館に改装されていた。だがそのすぐ近くに例の大樹が立っていた。
何百年も生きてきたであろう大樹の根本には小さな墓があった。砂を払って現れたのはラテン文字で刻まれた文章。
"Anetia Wahte Lùbeat, Until We Meet Again.”
(アネティア・ヴァーテ・ルビート、再会の時まで。)
顔も、声も、名前も覚える前に命を落とした母親の墓だった。
供養用に持ってきた蜂蜜酒を母の墓にかける。顔すら覚えてないのになぜか悲しみを覚えた。
「…」
墓の前で短い祈りを終えたあと、俺は墓の隣へと腰を掛ける。3年前の出来事が何度も頭の中に映る。
誰だって何れは最後が来る。百年生きようが、千年余り生きようが、一万年生きようが。
人生というものはいつ、どこで、どうやって終わるのかが全く分からない。
そういう限られた時間だからこそ、死んでも後悔しない様に意味のある生き方を求める者もいれば、誇り高い死に様を求める者だっている。
それでも結局、死ぬという事実に変わりはない。
だから俺はこの目で見てみたい。どうせ死ぬのに何故生まれてきたのを。
結局その問いに答えというものは無いのかもしれない。
無くたっていい。探し求めて出てきた答えがそれだったとしても後悔はしない。
それが俺の生き方であっていたい。
…哲学者気取りはここまでにしておこう。これ以上考えるのも時間の無駄だ。長い間飛んでいたものだし、眠くなってきた。昼寝をしてからそこらへんの獣でも狩っておこう。ひとまずこれで生計はなんとかなった。
※このエピソードは主人公の過去編であり、現在進行形ではないです。