1話 僕は生まれ変わった。
電車に触れた瞬間。
いや、とても速い電車の事だから左半身が潰れたあとだったかもしれない。
いづれにせよ、瞬きしてその痛みをぐっとこらえたその瞬間。
目の前には二人の日本人がいた。
その奥にはかつてテレビで見たような木製の天井があった。
今時珍しいと思った。
しかしこの時の記憶はことさら今後残ることはなかった。
心臓が張り裂けるような恐怖感と理解しかねる現在の状況をうまく表現する言葉はでてこなかった。事故死で初めて味わった大量の脳内麻薬はこの上ない幸福感を永遠に与え、ただただ思考を奪い続けた。
いずれ脳内麻薬は切れるので徐々にこの男は正常な状態に戻っていった。
次第に自分の意識が視覚や聴覚などへ向き、脳が正常な動作を開始した。
目の前の日本人を見つめた。
あの、何をしてらっしゃるのでしょうか。と言おうとしたもののうまく言葉にならなかった。その時に自分が事故死したことを思い出し、必死に喉を抑えた。
(僕は死んだんじゃ・・・。え、、生きてる!?)
驚きで目を開いたまま、冷静に、ゆっくりと日本人女性に視線を移した。
笑顔だった。なぜか、人生終了の不潔コミュ障男を見て笑っていた。
(えっ・・・。)
「・・・ーーー・・・」
「・・・ーーー・・・」
その笑顔は不快ではなかった。ムカついて自信を失う笑顔ではなかった。
おそらく悪意を感じる笑顔ではなかったからに違いない。
もっと反対の意味を持つ笑顔だった。
なぜか数時間が経って初めて気づく事があった。それは明らかに喋っている言葉が日本語ではないという事だった。その頃、その女性は謎の語りかけをしながら彼を抱きかかえていた。幸せそうな笑顔で彼の顔をのぞき込んでいた。死んだはずの30代後半の大人を軽々く抱きかかえて謎の語りかけをする女性。全てがこの男の理解の範疇を超えていた。
手足が事故死する前までの手足ではない事に気づき絶叫しさえもした。
この女性からは甘くていい香りがして幸せな気分になれた。美人とも可愛いともとれる好みの顔だった。しかし、すぐに隣にいたイケメンな男を見て驚いた。もちろん苦手なタイプの人間だった。
(えっと、美男美女カップルなのかな。カップルがニヤニヤしながらみつめてくるの純粋にいやだ。特に男性の方そのさすがにあいつらじゃないから大丈夫だとは思うけど、慣れれば大丈夫なんだろうけど無理)
「あーあーうーあーあ」
(こっちくんな!帰れ!おまえらが高校時代の仲間みたいに優しいやつだったとしても君たちのような陽キャは無理なんだ!性格関係なしに陽キャは無理なんだ!)
必死に手足を動かして追い払おうとするも無駄だった。
男は腕を腰に回して女性とくっつきながら見つめた。
(いちゃいちゃキモイ!そこからさらに俺をいじめるんだ。これは俺に対する冒とくだ!)
「・・・ーーー・・・」
「・・・ーーー・・・」
そして、女性は抵抗する男に顔を近づけた。
恥ずかしさと興奮と絶望が混じり絶叫するも声量は全くでず、無駄だった。
結果はこの男にとってのファーストキスだった。
(おいおい、可愛いからって調子のんなよ。触った感じ胸は良いがだいたい君みたいなやつは性格がゴミなんだよ。おい、男、女もそうだが見た目が高校生だな。クソ野郎め。)
彼はより一層必死に強がった。
人生全てにおいてなにかと拗らせた男の抵抗そのものだった。
そして顔をしかめて威嚇したものの、男は巨大な指で頬を散々に弄りだした。
(おいおいクズやめろ。俺にさわんな。やめろおおおお。)
精神的な疲弊を言葉にするほどの力は次第に切れていった。
その後も
「・・・ーーー・・・」
「・・・ーーー・・・」
と言って手を握ったり変顔をしあり足を触ったりと散々だった。
(よく聞き取ることができない言葉を話すうえに、身体を拘束していたずらしてくる。結局こいつらは、俺をいじめるんだ。新手のいじめ方なんだ。クソめ。)
彼が必死に抵抗すればするほどエスカレートしていき、気がつけば完全に疲れ切って熟睡してしまっていた。
散々と強がり、相手を嫌おうと頑張ったものの心のどこかでは彼らを認めて素直に受け入れようとする部分もあった。
(くそ、、こいつら、、、俺で遊びやがって、、、でも悪気はなかったんだよな。結局俺をいじめるのは中学の奴らだけなのか、、、。結局今の俺は高校と同じか。)
夜中に目が覚めた。
いったん何が起こったのか整理し始めた。
なんとなく自分の身にふりかかった事件は理解できていた。
首を左右にふれば月明りに照らされた木の柵がある。
(きっとここはベッドだろうな・・・やっぱそうか)
(僕の手は小さいし、2人をとても大きく感じた。いや本当に大きかった。俺の声はあきらかに赤ん坊の声だったことからも推測ができる。もしかしたら僕は赤ちゃんとして生まれ変わったのかもしれない。しかも前世の記憶を保持した状態で、あと、あの人達が喋っている言葉は絶対に日本語ではない。それはいったいどういう事なのだろうか。外国で育ったけど血統は純粋な日本人といったところだろうか。)
(うすうす気づいてはいたけどさぁ、まじで僕は赤ちゃんなのかぁぁ。ああなんてこったぁ)
そう考えているうちに男の子は体力に限界がきてまた寝てしまった。
それからは毎日、変顔、お乳飲み、身体を触られるの連続だった。排泄も非常に勇気がいる行為で、身体の一部が排泄物にまみれる感覚は言葉にし難い辛さがあった。中身が30代後半の男にとって最初は慣れない生活であったものの2週間ほどたてば意外と慣れてきた。ただついお食事の時には口角が歪みそうになることは未だに直そうと尽力していた。なぜかというと、女性経験が皆無だったからだ。
(胸をさわりながらごはんを頂くという前世では絶対に経験できなかった事よ!あーありがたやありがたや。)
なんやかんや生まれ変わって一カ月が経った。気が付くことが色々あった。
・ここは日本ではないということ
・そしてこの家は文明に頼った生活は一切していないこと
・自然が豊かな田舎であること
今時このような生活は珍しいと感じた彼であったが、文明が存在しない田舎で暮らしていくのも悪くはないと思っていた。しかしなぜこの科学技術が高度に発達した現代においてこのような生活をしているのか。その疑問は解けることがなかった。唯一仮説を立てるなら文明から隔離された未踏の離島か奥地で生活している事。人工衛星をたくさん飛ばして地球全体の地表さえもカメラでとらえる現代においてはありえないことだが、そう考えることが唯一合理的に説明しきる仮説だった。
そしてもう一つ重大な気づきがある。気づきといっていいのかわからないが、重要な事であることは変わりない。
「・・・ーーー・・・」
「・・・ーーー・・・」
実は5歳年上の兄貴がいたのだ。ほぼ毎日男女が数人で家まで遊びの誘いに来ることから生粋の陽キャである事がわかる。男女共に好かれる容姿やコミュ力を兼ねそろえた人物なのは生活していればわかった。兄がこういった性格なら自分も兄のようにになれるかもしれないと淡い期待をしていた。人気者ではなくても最低限生活に困らない程度にはと期待していた。一方これから兄とうまくやっていく自信はなかった。
(うーん。怖いな。怖いけどぼっちするわけにはいかないし頑張って仲良くなっていくしかないかなあ。さすがにやばい奴ではないと思ってるけどね)
毎日兄にあたる人物は彼を指をつかんでニヤついていた。
最初はいやだったが、ある程度月日を共にすごせば、嫌悪感とやらはなくなっていった。
たしかこれをザイオンス効果とか言った気がした。
(くっそ、この家族はどいつもこいつも。まぁ今後にぜひ期待させていただくよ)
この男は人生がリセットされた事にありがたみを感じ、前世の反省を生かして人間関係をうまくやっていく事をまずは誓った。たとえ最初は苦手に感じるひとがいたとしても最低限の浅い会話ができる程度には成長しようと誓った。