001 異世界召喚からの帰還
最悪だ。
異世界に召喚されたあげく、召喚主たる国王とかいうおっさんの隣にいた自称王女とかいう女の「なんかちょっと顔が気に入らない」とかいうワケわかんない理由で召喚されて数分後には地下牢に入れられた。
何の情報もないが、「召喚した」と召喚主から言われたので召喚されたんだろう。
しかも召喚とかファンタジーでしかあんま聞かないし、たぶん異世界だろうなと確信もしはじめている。
というか、法治国家で身ぐるみはがされて地下牢に入れられるとかまずないし。
飛行機とか乗った覚えもないから外国とかいうこともないだろう。
歴史とかあんま勉強してなかったからアレだけど、たぶん中世っぽいヨーロッパな感じ。
石造りっぽい壁に木の格子牢だし。地上波のロードショーかなんかで見た記憶もなくもない。
環境は最悪だ。
地下だけあって肌寒いし、じめじめしているし、…うわ、なんか足元かゆい!
え?なんか細かくて白いものがぴょんぴょんしてる?!これって虫か?
最悪だ…!思った以上に最悪の最悪だ!
「なんか、何かないのかよ!異世界なんだろ?!ゲームみたいな、ラノベみたいな…スキルとか魔法とか…!」
「ふん、囚人がそんなもの使えるわけないだろう?お前みたいなやつが逃げ出さないようにこの地下牢全体に魔封じとスキル封じが施されているんだ」
あるのかよ!魔法とかスキルとか!
そして封じれてんのかい!
てか独り言聞かれてた!
僕が入っている牢のお隣から声がする。
上下左右後ろが石壁なのでお隣を確認する事は出来ないが、越えから察するに男だろう。そしてたぶんおっさんだ。酒焼けっぽい声だ。
「えーっと、ど、どなたですか?」
「おいおい新入り、人にたずねる前に自分から名乗れよ。よかったなぁ、ここが独居牢で。じゃなかったらぶん殴ってるぜ」
よかったのか?
そもそも牢に入る時点でいいはずないだろ?!
いや、そうか、ここでも良い悪いがあるのか。
そうだよな何にでも良し悪しがあるよな。
そんな悪いなかでもこの独居牢とか言うのが…いいのか。
いやいやいや、納得するとこだった…!
「えーっと、じゃぁいいです。うるさくしてすみませんでした」
情報は欲しいけど脅されてまでは必要に思わない。
こういうとき下手にでるとずっと上下関係が続くって誰かが言ってた。
うん。正直にいうとめっちゃ怖いんでもうそっとしておこう。殴る宣言されたし。
お隣はスルーだ。壁に隔てられてあって本当によかった。独居牢でよかった。
牢に入れられるここまでだって兵士だか騎士だかに散々疑問を投げかけた。全部「大人しくしろ!」って怒鳴られ、最終的には殴られた。
人生で初めて殴られた。
この牢にくるまでメンタルは既にボロボロなんだよ。
入ってからも萎えるいっぽう。
だからもう僕は傷付きたくない。
精神的にももういっぱいいっぱいなんだ。
お隣の高圧的なコミュニケーションに耐えられる精神じゃないんだってば。
牢の中はどこに行っても細かい虫にたかられ、逃げ場はない。
意を決して座ったけど、思った通りの最悪さ。
かたいし冷たいしかゆいしお隣の罵声は聞こえるし。
あれ以降無視したのが良くなかったのか、お隣がすごく怒っている。だから余計反応しづらいんですよね。
膝を抱え、耳を塞いでじっとするしかない。
時折通る看守が、こちらを嘲笑いながらこちらに向かって立ち小便をぶちまけてくる。
1日2回、牢から出されて同じ地下の別室にて棒や鞭で打たれまくり、気を失い、気付けばまた牢の中に放り込まれていた。
こんな劣悪な環境で、食事もまともなわけはない。
ここの看守、頭が相当イカレているのか、食事にまで小便を掛けやがる。
そもそもの食事もコバエがたかるものをごった煮にしたようなものだから匂いで半分腐っているのがわかった。
飲み水も濁っていたので早々に飲むのを諦めた。
暴力で殺されるか脱水症状で死ぬか餓死するか。
異世界に召喚されて勇者になって魔王倒して、そうじゃなくともどこか辺境でスローライフをおくる異世界生活もあったのかな?
もういやだ。
なんで僕がこんな目に遭わなきゃなんないんだよ。
こんなクソみたいな異世界で死ぬなんて。
もう何日経ったか。
少なくとも3日は過ぎたかな。
人間水無しで3日は生きられるって言うからそろそろ死んでもおかしくない。
それとも暴力を振るわれて一瞬気を失った時に水をぶっかけられたりしてたから、そのとき口に水でも入ったかな?
それでまだ僕生きてるのかな。でもその分出血してるし、傷で発熱してるしで余計に水分出ると思うんだけどな。
…結構泣いたし。
理不尽さに、痛みに、みじめさに泣いた。
もう体に水分が残ってないのか、いまは涙も出ない。
こんなに悲しくて仕方ないのにな。
もう座っている体力もなく、地べたに横になる。
全身がいたい。どこが痛いのかわからないくらい痛い。
呼吸するのもしんどい。疲れる。疲れた。
あー、なんか息を吐いたまま吸わなくても大丈夫な気がして来た。
息を吸うより、眠りたい…ゆっくり、このまま…
「おーい。もしもーし。カミナシくん!神無子 創也くん。起きて下さーい。帰りますよー」
どのくらい眠っていたんだろう。
…眠っていた?
そうか。まだ僕は死んでなかったのか。
こんなにも酷い目に遭っているのに人間、なかなか死なないもんなんだな。
「いやいや、死んでもらってはこまりますよー。ほら、いいかげん起きて下さいよー。おーい、おっきろー」
どうせ起きてもまた暴力振るわれたりするだけだ。
おきたくない。このまま永遠に眠りたい。
「こんなところで寝ると風邪引きますよ?清潔であたたかいベッドできちんと寝ましょう。お母さんも心配してますよ?元気なお顔を見せてあげましょう」
「…母さん…」
「ええ、そうです。カミナシくんのお母さんは素晴らしいお母さんですね。お母さんのおかげでこうしてお迎えに来れたわけですから、帰ったらしっかり感謝してくださいね」
「感謝…?」
「はい」
「でも僕は…帰れる?」
「はい、帰れますよ。その為のお迎えです」
「迎え?」
「ええ、ライトプランのご加入だったもので、ちょっとお迎えが遅くなってしまったのですが、生きていてくれてありがとうございました。ご家族に死体をお届するのはしのびないですからね」
なに、どういうこと。
てかなんで牢でこんなのんびりとした会話が成立してんの?
隣の人が入ってきた?
てかこの人だれ?!
そこでようやく僕は目を開けた。
「え、誰?」
「あ、どうもです。異世界保険の神居ですー。ライトプランの担当者がちょっと他で手間取っちゃってまして、この度は社長の僕がお迎えに上がりました。僕が迎えにきたのでもう大丈夫ですよ。さあ帰りましょう」
あぁこの人、日本人だなーって思ったら、一気に涙が溢れてきた。
もう干からびて出ないかと思っていたのに。ボロボロとこぼれた。
鼻水もだらだらと流れ、顔面が水分過多になっているのが自覚できる。
この世界で俺が見た人間の見た目は西洋人だった。
言葉も何故かわかったが日本語ではなかった。異世界人な俺だからか、アジア人な見た目だからなのか、常に見下され、蔑まれながら暴力的に接せられた。
ここにきて同じ日本人のあたたかい言葉と、ナチュラルな笑みにここまでホッとできるのか。
…相手は知らないおっさんだけど。
「おっさんは酷いですねー。ま、たしかに僕、おっさんですけどね」
「え、心読め…」
…るの?
「いや君ずっと声に出てるからね?!涙流しながら最後僕をおっさんいじりとかやめてよね」
「すみません」
「あはは、まー今回はいーって。ちょっとは元気になったってことだもんね。カミナシくんが寝ている間に栄養剤投与したし、怪我も治した。体も綺麗にしたし、一応牢の環境も清潔にしておいたけど、長居は出来ないから、さっさとこれに着替えてここを出よう」
正直展開に追いつけないけど、言われるままに渡された衣服に着替える。
汚れでドロドロだった体も言われた通り、きれいさっぱりしている。どこも痛くないしかゆくない。髪もサラサラになっている。
久々に人としての尊厳を得た気がする。
下着を付けて、シャツを着てズボンを穿いて、靴下と靴を履いて歩く。
「あの…どうやってここまで?兵とかいましたよね?」
「うん。いたね。でもなんの問題もないかな。今回は面倒だったんだで周囲の時間を止めたんだ。本当は戦闘ものだけど、ほら、僕社長だからはしょれるところははしょりたいじゃない?」
さっきからこの人の言っていることの理解が追いつかない。
異世界保険とか、栄養剤とか、あれだけ酷かった怪我も治したとか、牢の中もさっきは虫一匹いなかった。匂いもクリーニング屋の匂いになってたし。
「ん?なにかな?」
「い、いえ…その、頭がまだ混乱してて」
「あー、まぁね。僕たちが迎えにいった人達のほとんどがそうかな。移動しながら説明するよ。それでも足りなければ帰ってからでもしっかり説明しますよ」
「ありがとうございます」
促されるまま歩く。
僕が召喚されたところはやはり異世界で、そのなんとかって国の王城で、僕はその地下で5日間も牢に入れられていた。
保険屋さん…僕をこうして迎えに来てくれた人はカムイさんと言うらしく、そのカムイさんが歩きながら説明してくれた。
僕の母さんが、僕に<異世界保険>を掛けてくれていたこと。
最低限のプランだという「ライトプラン」に加入してくれていたみたいで、そのおかげで僕は保険屋さんにこうして助けられた。
詳しい国名や人の名前は覚えられなかったけど、とにかくカムイさんは僕を迎えに来てくれて、速やかに僕を助け出すために【時魔法】という魔法を使って周囲の時間を止めて僕を救出。
その際瀕死の状態の僕を【回復魔法】で治療し、栄養状態も危なかったので【エクストラポーション】を飲ませた。身体的危機は脱したので、あとは清潔な状態にするために【クリーン】という魔法を掛けてくれた。
それから僕を起こしてくれたらしい。
流石異世界と言うかなんというか、これまでの説明に魔法やファンタジー飲料の名前が普通に出てくる。
その中でも変な気分にさせてくれるのが「異世界保険」だ。
現実的な匂いと胡散臭さがないまぜの変な保険。
でもこのおかげで僕は助かったんだ。
周囲の時が止まるなか、カムイさんに付いてどんどん歩く。
数十分、カムイさんの話を聞きながら歩くと、城を出て、豪華な家がたくさん並ぶ住宅街のなかの、中くらいの豪華さの邸宅の倉庫に入っていく。
そのまま付いて行くと、カムイさんは倉庫の地下に入って行った。
「さ、ここだよ。この扉を抜ければ日本に帰れる」
「ほ、本当に…」
「もちろん。怖いなら手をつないで行こうか?」
カムイさんは冗談で言ったのかもしれない。
でも僕は素直に頷いた。
本当に怖いと思ったから。
トラウマがよみがえる地下だし、よくわからない扉だし。
ここまでも充分ワケわかんない状態だし。
「お、お願いします」
「あはは、素直で結構じゃ、行こう」
しっかりと手を握られ、カムイさんを先頭に地下室の奥にある扉をくぐった。
そして扉をくぐったその先は―――
「いらっしゃいませー。…って、オーナー。お帰りー?」
紺色の作務衣と三角巾、黒いエプロンをした女性がいた。
「うん、ただいまー」
「え?どういう…ここどこ?そば屋…?」
「そ。趣味が高じて副業でね。この2階が保険屋なんですよ。とりあえず、カミナシくんには書類にサインとかお願いしたいんだ。それと親御さんに「助けられました」っていう報告と「迎えに来てください」の電話もね」
「はあ…あ、でも僕スマホとか荷物なんて何も…」
全部、異世界の人に取り上げられた。
「大丈夫。きちんと取り返してあるから。あとで確認してね?」
二階の廊下の先に、保険屋の事務所があった。
なんかちょっとおしゃれな雰囲気だ。
広くて明るい。
そんな事務所のいくつかある個別相談用の小さな部屋に通され、書類を用意する間に僕の荷物を確認しつつ、親に連絡するように言われ、その通りにする。
親に連絡したら、とても心配させてしまったのがわかった。
すぐ迎えに来てくれるとも言っていた。それでも5時間はかかる。
この事務所は東京にあるらしく、僕の住んでいる県からはかなり離れている。異世界経由で東京に来てしまっていた。
親を待つ間は警察からも話を聞かれ、保険屋の書類にサインや、アンケート形式の物もいくつか記入させられた。
話をしたり、書類を書いたりしているうちに、ウトウトしてしまい、いつの間にか寝ていたらしい。
騒がしさに起きたら親がいて、僕の顔をみて安心したのか、泣いていた。
それをみて僕も泣いてしまった。
高校生にもなって親に縋って号泣するなんて、後から考えたら恥ずかしすぎた。