喪われた記憶
(う……ここは……馬車?)
小刻みな振動で目を醒ますアリサ。
しかし、身体の自由はもちろん、目隠しにさるぐつわをされているため、頼りになるのは聞こえてくる音だけだ。
意識がはっきりしてくるにつれ、記憶が甦ってくる。
(私……攫われたんだ)
どうしようもない絶望感と奇妙な既知感に襲われる。
なんで……この感じ……私、以前攫われたことがあるの?
そんな筈無いと否定するが、頭の何処かで認めている自分がいる。訳がわからない。
カケルさんと出会ってから、ずっと何かが引っ掛かっている。お願い……助けて、カケルさん!!
***
ギルドマスターと別れて、仲間と合流する。
「クロエ、例の連中の動きはどうだ?」
「先程、街を離れました。今はツバサが監視しています」
この街に来て直ぐに、クロエの匂い鑑定に引っ掛かった極悪人の集団がいたので、依頼の間にも動きを探っていたのだが、どうやら移動を開始したようだ。
「それから……どうやらアリサもその中にいます」
クロエが表情に影を落とす。
「ちっ、やはりそうか、嫌な予感がしたんだ」
アリサとは初めて会った時から、なにかが引っ掛かっていた。どうしても初めて会った気がしなかったからだ。
絶対記憶を持つ俺にとって、忘れたり、気のせいはあり得ない。
だけど、わからない。もう一度逢えばわかるだろうか? 今はとにかく助けないと……
「フリューゲルみんなを頼んだぞ」
『任された主よ』
フリューゲルたちには連中の向かっている拠点の特定に向かってもらう。俺は先にアリサの方を片付ける。
(もう少しだけ辛抱してくれ、アリサ……)
***
どれ位時間が経ったのだろうか。不意に揺れが止まり、馬のいななく音が聞こえる。
目的地に到着したのだろうか、それとも……
男たちの話し声が聞こえてくる。
「ヒヒヒッ、やっとこの時がきたぜ。アリサ! お前がずっと欲しかったんだ」
「……大事な商品なんだから、壊すなよ!」
「チッ、うるせぇな! わかってるよ、金払ってんだから黙ってろ」
「へいへい、余り時間ないから早く頼むぜ」
男が荷台に入ってくるのがわかる。逃げたくても動くことすら難しい。
首筋に荒い息が当たり、下半身を拘束する縄が外されているのがわかる。
(い、嫌、お願い、やめてよ……)
どんなに願っても男の行動は止まらない。
「ヒヒヒッ、観念しな、誰も助けになんて来ない」
男の手がアリサに伸びて――――
アリサの目隠しが外された。
続いてさるぐつわと上半身の拘束も。
「えっ……」
目の前にいたのは、黒目黒髪の青年。
「カケル……さん……?」
「待たせて悪かった。怖かったろう、アリサ」
どうして、とは思わない。きっと来てくれると思っていたから。助けに来てくれてありがとう、とも言えない。想いが溢れて言葉ならないから。
涙を目に一杯溜めながら無言でカケルに抱きつくアリサ。カケルのローブを濡らしながら静かに泣き続けた。
この感じを私は知っている。この匂いを私は憶えている。この声を、顔を、名前を……どうして?
「アリサ……俺は、お前を知っている。記憶とは違う……俺の魂がお前を憶えているんだ。俺の名前は、大海原駆。日本、地球……何か思い出せるか?」
大海原駆。日本、地球……すべて知っている。初めて聞いた言葉のはずなのに、泣きたいくらい懐かしい響き。そう言えば、私、兄という言葉にやたら反応していたっけ……私に兄弟なんていないのに……本当に? いいえ、居たはず、兄、兄貴、お兄様……お兄ちゃん?――――思い出した……
頭が割れるように痛み、一気に前世の記憶が流れ込んでくる。同時に思い出してしまった……なぜ自分が死んだのかも。
「……私の名前は、大海原亜里沙。あなたの妹だよ、お兄ちゃん……」
気がつくと、真っ白な何も無い部屋にいた。
「どうして……イリゼ様」
目の前には、悲しそうな表情で立つ女神イリゼがいた。
『……記憶を取り戻すのは想定外。でも、あの子は間違い無く、君の妹よ』
「なんで、だって俺には妹なんて――」
『居たのよ、でも誘拐されて殺された。まだ10歳だったのにね。憐れに思った死神が、私に頼んで来たの、転生させてあげられないかってね』
「…………」
『異世界に転生させれば、地球で彼女を憶えているものはいなくなる……はずなんだけど、カケルくんは特殊だからね。多分、カケルくんに接触したことで、記憶が甦ったんでしょうね』
「…………イリゼ様、お願いがあります」
『何かしら』
「俺の記憶を、亜里沙についての記憶を取り戻したいんです」
『……ごめんなさい、それは無理よ。カケルくんがすべての記憶を取り戻せば世界のバランスに影響するし、何よりあなたが傷つくわ……』
「……そうですか……無理言ってすいません、イリゼ様」
『良いのよ……また神殿から来てくれるのを待ってるわ』
イリゼ様の声が次第に遠くなってゆく。
***
「……私の名前は、大海原亜里沙。あなたの妹だよ、お兄ちゃん……」
「亜里沙! お前、こっちに転生してたんだな! 良かった、また会えて嬉しいよ亜里沙」
「ふふっ、お兄ちゃんってば、亜里沙が病気で死ぬ時、ボロボロ1番泣いてたもんね? 亜里沙も嬉しいよ……お兄ちゃん……助けてくれてありがとう」
しっかりと抱き合う二人は、思い出話に花を咲かせる。喪われた記憶と時間を埋めあうように……
『……良かったわね亜里沙、カケルくん』
二人をそっと見守るイリゼ。
(すべての記憶は無理だけど、いいとこ取りしたうえでちょこっといじった記憶ならセーフよ)
イリゼは、ふと思い出したように軽く微笑む。
『それからね……カケルくん。亜里沙を助けたいって頼んで来た死神って、あなたの良く知っている女性なのよ。運命って不思議ね……』




