この心のざわつきは
「ふふっ、今夜の晩餐会で、私と英雄殿の婚約が発表されるらしい……照れますね」
「おめでとうございます、ドレスとてもお似合いですよ」
「ありがとう、ランスロット」
終始ご機嫌な様子でドレスを合わせているアーシェ殿下。見ているこちらまで幸せオーラにあてられそうで困る……訳ではないけれど、思わず頬が緩んでしまうのでやはり困る。
アーシェ殿下が、弟君であるルーザー殿下のためにアーサーとなられたのが5年前、13歳の成人を迎えたばかりの頃だった。
生まれつき病弱だったアーシェ殿下は、寝たきりでお披露目もされなかったため、身内ですらその存在を知られていない、いわゆる忌み子だった。話し相手兼お世話係としてずっと一緒だった私を除いて。
貴族社会では、病弱な子が生まれたという事実を極端に嫌う。血筋を命よりも大事にする貴族にとって、健康でたくさん子をなすことが出来るというのは、それだけで大きなアピールポイントになる反面、その逆の場合は、致命的なイメージダウンとなるからだ。
そのため、病弱な子が生まれた場合、大抵は養子に出したり、神殿などに預けたりして、厄介払いするのが通常の対応だ。人買いに売らないのは、長くは生きられないであろう子では、買い手がつかないからに他ならず、特段温情というわけでもない。
幸い、公爵様は、大変お優しく、情に厚いお方だったので、立場上公表はしなかったものの、国中はもちろん、他国からも神官や薬を集めて、なんとかアーシェ殿下を助けようとされていた。5歳まで生きられれば……と言われていた殿下が、13歳の成人までなんとか生きながらえることが出来たのは、ひとえにその治療の甲斐があってのことだと思っている。
そして、弟のルーザー殿下が、王家へ養子入りすることが決まったのも、その時。王家の決定に異を唱えることなどできるはずもなかったが、そんな折、偶然手に入ったのが、世界樹の実だった。
もともと、アーシェ殿下の治療薬として探していたものだったが、食せば男の身体になると分かりつつ、受け入れたのは、ひとえに弟君を想ってのこと。
公爵さまも、先の長くないアーシェ殿下が元気になるならばとその決意に反対はしなかった。事実、もし世界樹の実がなければ、殿下は成人後まもなく亡くなられていただろうから。
どんな姿かたちであっても生きていて欲しい。それこそが、公爵さまの、そして私の願いだったのだ。
そして私は、殿下とともに世界樹の実を食した。元女性である殿下のことを支えられるのは、私しかいなかったし、私自身そうしたいと思ったからだ。後悔はしていない。
だから、殿下が元の姿に戻ることが出来たこと、女性としての幸せを手に入れたことは、我が事以上に嬉しくてたまらない。そのことに不満などあろうはずがない。だけど――――
大広間ではダンスが始まり、晩餐会は佳境を迎えつつある。
きらびやかに着飾り楽しそうにダンスを踊る令嬢たちをみていると、なぜ胸がざわつくのだろう。
今更あんな風になりたい?
いや、違う。多少憧れる気持ちはあるけれど、私の望みはアーシェ殿下を守ること。それ以外に生きる意味など考えたこともない。
ため息混じりの歓声が上がる。
英雄殿とアーシェ殿下が広間の中央で軽快なダンスを披露している。誰も入り込む余地などない、お似合いの二人だと思う。順番待ちの長い列は見ないようにしよう。
すごいな……素直にそう思う。決してダンスが得意ではない殿下があんなに上手に踊れるはずがない。英雄殿がさりげなくサポートしながら、自然に導いているからそう見えるだけだ。
誰よりも強く、優しく、ダンスまで上手いのか……ふふふ、規格外にもほどがあるではないか。おまけに国中の令嬢のハートを鷲掴みにした甘いルックスだ。殿下の相手にこれほどふさわしい殿方などいないだろう。認めざるを得ない。
そうか……私のこのざわつきは、もうアーシェ殿下を守る必要が無くなるかもしれないからか? 私よりずっと強く頼りになる英雄殿が現れたからなのか? 私の存在意義、生きる意味が無くなってしまう?
いや、そんなことはない。これからも、いや、ここから本当の意味で私が支えなければならない。英雄殿は世界を救うお方だ。他にも大勢の婚約者がいて、四六時中殿下のことを守ることなどできないのだから。
そんなことを考えている間に、今度は英雄殿がエレイン竜騎士団長……いや、これからはエレイン殿下とお呼びしたほうがいいな――――とダンスを始めた。ああ、アーシェ殿下との組み合わせにも引けを取らない素晴らしいカップルだ。まるで一枚の絵画のようで、嫉妬する気持ちすら起きない。
続いては、聖剣エロースさま、こちらも素敵。もう完全に神話やおとぎ話の世界。英雄と伝説の聖剣の組み合わせに、会場の視線が釘付けになる。完全に夢見る少女に戻ってしまう。
だけど、ちょっと待って欲しい。ここまではわかる。文句のつけようがない。
だが、マーリン、カルラ、フレア、お前たちは駄目だ。まあ、マーリンは筆頭宮廷魔導師だし、珍しい魔族だし、実力も美貌も文句なしだから我慢しよう。納得できなくもない。
でも、カルラとフレアは駄目! 私だって我慢しているのに、私のほうが……って……あれ?
そうか……やっとわかった。このざわつきがなんなのか。このもやもやする気持ちがなんなのか。
私……英雄殿が好きなんだ。恋に落ちてしまっていたんだ。
でもわかったところで変わらない、これまで通り職務を全うするまでだ。私は誇り高き円卓の騎士筆頭で、殿下の剣であり、頭脳だ。これまでも、そして……これからもずっと。
この想いは墓場まで持っていこう。私の心の中の宝箱に大切にしまい込んでおこう。
「もし良かったら、一曲踊ってくれませんか?」
見たことのない白髪の美男子に突然声をかけられて、慌てて我に返るけれど、同時に大いに困惑せざるをえなかった。だって、私は男で、騎士服を着ていたんですから。