黒竜の天使
「うおっ!? な、なんだ? どうなってやがる……」
御者台のほうからそんな声が聞こえて突然馬車が停まる。
「どうしたんですか?」
「おおっ、魔導士のお嬢ちゃんか、なんか道が渋滞していてな、進めないみたいなんだよ」
御者のおじさんの話を聞いて、車内に不安の声が広がる。この状況では仕方がないかもしれないが、ただ待っているというのもね……
「おじさん、私がちょっと様子を見てきます。魔法を使えば、遠くまで見通すこともできますから」
「おおっ、それは頼もしい、ぜひ頼むよ!」
「ち、ちょっと、ヴァニラちゃん、外は危ないんじゃないの?」
たまたま同じ馬車に乗り合わせたお隣の仕立て屋のおばさんが心配そうに引き留める。
「ふふっ、大丈夫ですよ、ビアンカさん、こう見えても私、聖級魔導師なんですから」
魔法使いにも冒険者のようにいわゆる格が存在する。いわゆる魔術は、どんな人でも使えるのに対して、魔法は限られた才能持ちでないと行使できない。また、才能があったとしても、魔法を発動するには一定以上の魔力量が必要となるので、足りない分の魔力は、杖や魔法陣などの補助アイテムや特殊な装備を併用することで補う者が多い。
一般的に、ギルドなどで魔法の才能があることを証明できれば、公的に魔法使いを名乗ることができる。そして、魔法も、難易度に応じて初級、中級、上級、聖級、王級、帝級、神級にランク分けされており、例えば中級魔法を補助なしで行使できれば中級魔導士を名乗ることが許されるのだ。
ちなみに、帝級、神級に関しては、伝説レベルのお話で、聖女さまを除いては、勇者や異世界の英雄しか行使出来ないとされているため、この世界には実質帝級、神級魔導師というのは存在しない。
生まれつき魔法の才能があるものは、人族で100人に1人程度。ちなみに宮廷魔導士になるためには、少なくとも中級以上が求められ、上級魔導士ともなると、どこの国へ行っても即採用されるほど貴重な存在となってくる。
(とはいえ、攻撃系はからっきしですけどね……)
魔法を得意とする魔族であっても、やはり得意不得意はある。苦笑いしながら馬車の外にでる。
「うーん、たしかにこれでは進めませんね」
普段は、大型の馬車が余裕をもってすれ違うことができる広い街道だが、今は避難するための馬車が列をなしており、前が停まっているため進むことができない。
「おじさん、馬車の上に上がってもいいですか?」
「おうっ、俺の馬車は特別製だからな、嬢ちゃんひとり乗ったところでびくともしないぜ」
おじさんの許可をもらって馬車の上から『遠見』の魔法を使う。
(っ!? こ、これは……街が燃えている!? それに先頭の方の馬車が襲われて……)
さすがにここからでは、街の様子はおぼろげにしか確認出来なかったが、あちらこちらから火の手や煙が上がっており、ただ事ではない雰囲気だった。それよりも、問題は、先頭を走る馬車が現在進行形で襲われているということ。
「みなさん、先頭の方の馬車がバイキン族に襲われています。急いで防衛姿勢を取ってください!!」
風魔法に声を乗せ、あらん限りの声を張り上げ危機を知らせる。
「急げ、女、子どもは中へ、戦えるものは外だ」
すばやく馬車を固めて、簡易的な砦を作る。中心に戦えない非戦闘員を集めて、円陣を組むように守るのだ。幸い避難中ということもあって、全員危機意識も高く、装備も揃っている。少なくない騎士や戦士が護衛についてくれていたのも心強い。
「すいません! 手が空いている方がいたら、大きな円陣を描いてください! 私が範囲魔法を行使します」
「おおっ、君が噂の魔導士殿か。ヴァイスのセイクリッド・フィールドはお見事でした。みんな、急いで円陣を引け、最優先だ!」
手が空いた騎士、戦士たちが、急いで地面に円陣を引き始める。線の内側が魔法の範囲となるので、なるべく多くの人々が入れるように大きめに線を引く必要がある。
その間に、私は魔法陣を描く。特製の顔料はすでに使い切ってしまったので、これは私が作ったオリジナル。品質は……使わないよりはマシっていう程度ですけれど、この際仕方ありません。
問題は……魔力の残量。先ほど使ったばかりで、さすがにセイクリッド・フィールドはもう使えない。無理をすれば使えなくもないが、詠唱時間が長く、間に合わない可能性がある。ならば――――
『バトル・フィールド!!』
戦闘能力の向上に特化した上級エリア魔法。上級までなら詠唱破棄も可能だし、残った魔力でサポートもできる。それに、物理特化のバイキン族相手なら相性もベストとは言えないけれど、悪くはない。
「来たぞ! 諦めるな、応援が来るまで持ちこたえるんだ!!」
私も初めて生で見るバイキン族は、大柄な体格に爛々と光る赤い目をしていて、とても人間とは思えないっていうか……むしろ魔物に近い? 心臓の部分から核となる魔力を感じる。これは体内に魔石を持っているからだ。正直、人か魔物かなんてこの際どうでもいい。どうせ敵には違いないのだから。
「くっ、どうなっているんだ? これじゃあキリがない……」
そう、おかしいのだ。倒しても倒しても後から湧いてくるバイキン族。これじゃあまるで、こっちが本隊? いくらバトル・フィールドで強化しているとは言っても、セイクリッド・フィールドと違って、体力が継続的に回復してゆくわけではない、体力が尽きれば、そこで終わりとなってしまう。
「ぐわあああああ!?」
また一人、戦士が吹き飛ばされて動けなくなる。騎士の場合は悲惨だ、女性はやつらの戦利品として攫われて辱められることになる。もちろん私も例外ではない。圧倒的な恐怖を前に震えが止まらない。
決断しなければならない。今なら自分一人なら逃げられる。こんなところで死ぬわけにはいかない。姉と再会するまでは。
でも、でもね、私の背中で震えているこの子たちを置いて逃げるなんて出来ないの。私にできることが残っている限り、諦めるなんて絶対にしない。
(ごめんね……お姉ちゃん、せっかく光が見えたのに、駄目になっちゃった)
実は魔族には、魔石のようなコアがある。第二の心臓ともいえるその器官をもっているために、魔族は例外なく莫大な魔力を保有しているのだ。
そのコアを破壊することで、疑似的な魔力暴走を起こす最後の切り札。全属性魔法が解放され、魔力上限が一時的になくなる最強の一手。その代償は術者の命。後戻りは出来ない文字通り最後の手段。
ヴァニラは己のコアを自身のナイフで刺し貫く。
迷っている暇などない。決断が遅れれば、守れるはずの命も守れなくなってしまうから。
「うあああああああああああ!?」
莫大な魔力の奔流、ヴァニラは己の命を燃やし、バイキン族を焼き払い、薙ぎ払う。屍が累をなし邪悪なるものたちは、たちまち灰塵に帰す。
***
「ヴぁ、ヴァニラちゃん……」
「……よかった……私、皆を守れたかな?」
「あたりまえじゃないか! ヴァニラちゃんがいなければ、私たち今頃……」
ネージュ……ごめんなさい、私が死んじゃうなんて思ってもみなかったよ。ごめんねお姉ちゃん、逢いに行けなかったけど、大好きだよ……先にお父さんたちのところに行って待ってるからね。幸せになってね。
もう指一本動かせない。目も霞んできた。
そういえば、お母さんが言ってたっけ。死ぬ時には天使さまが迎えに来るんだって。白い翼を持った美しい姿で……あれ? 私の天使さまは翼が真っ黒……いいえ……真黒な竜にまたがった天使さま?
「よく頑張ったな。もう大丈夫だぞ」
私が最後に聞いたのは、とても優しくあたたかい声だった。