高潔な王女アーシェ=キャメロニア
「ああ……本当に元に戻れるなんて……信じられない」
自らの身体を確かめるように見つめるアーサー……いや、もうアーシェと呼ぶべきだろう。
男の状態でも密かにドキドキしていたほどの美形のアーシェだ。実際に女性に戻った彼女は、予想通り、いや想像以上に美しく魅力的だった。その高潔で穢れのない真っ直ぐな瞳。隣で美琴が鼻血を出しているが今は放置だ。
なぜなら、俺は今瞬間記憶に忙しい。男性の身体から女性に戻ったことで、今のアーシェの身体は一回り以上小さくなっている。つまりは服のサイズが絶望的にぶかぶかなのだ。こんなチャンスを逃す奴がいたら紹介してほしい。きっと聖人の類に違いない。
女性が男性物の服を着ているだけでもたまらないというのに、今の彼女はあまりにも無防備で、色々隙間から見えてしまってもおかしくない。これは危険だ。主にベルトナーくんの命が。
「アーシェ、とりあえずこれを着ておけ」
「す、すまない英雄殿……」
無防備なアーシェに俺のローブをかける。赤い顔で頷くアーシェは、刃物ではないが、切れ味抜群の可愛さだ。ローブをかけながらベストポジションで隙間を覗いていたこの穢れた英雄の心を一刀両断に出来るほどには。
「あ、す、すまない、果汁でローブを汚してしまう……」
口周りが果汁でべたべたになっていることに気付いて慌てるアーシェ。すまない、それは俺があえて仕組んだ深謀遠慮の結果だ。謝るのは俺の方だな。
「気にしなくていいんだ。そのローブは汚れないようになっているからな。でも、口周りがべたべたしていたら気持ち悪いだろ? 今拭き取ってやるからな」
「あ、ありがとう英雄殿。だが……出来れば直接……綺麗にして欲しい……のだ」
消え入らんばかりの声で信じられないことをのたまう王女様。
アーシェ、俺は不言実行の男だ、念のため確認をとるなどしない。それにレディの頼みを断るなどナイトである俺にはそもそも不可能だ。流れるような自然な動作で、アーシェの口周りを口で綺麗にする。目には目を、歯には歯を。昔の人は実に良いことを言った。口には口だ。実に合理的かつ公平だと言わざるを得ない。
「ふ、ふわあ……こ、こんなことを王女にするなんて……もう英雄殿にお嫁にもらっていただくしかないですね、父上」
「あ、ああ……そうであるな。うむ、傷物にされては仕方がない。エレインともども頼んだぞ、英雄殿」
ああ、これは仕方がないな。うん、これはもう運命。避けようがなかったんだ。わかってくれ、ベルトナーくん。金魚みたいに口をパクパクしている彼の姿を横目にアーシェを抱きしめる。
ん? あれ……アーシェってこんなに背が高かったっけ? いや違う、なんだか身体がおかしい。俺の身長が縮んでいるんだ。ってちょっと待て……まさか。
「あらら~、カケルくん、世界樹の実は、汁を舐めるだけでも効果はあるのよ」
ルシア先生が嬉しそうに衝撃の事実を告げる。
なんてこった。俺は女の子になってしまうというのか?
***
先輩の身体が淡く輝きだして、さっきのアーシェのように変化し始める。
え? 何これ……夢……じゃないよね? 目の前で起こっている事態に私の心臓は跳ね上がり、呼吸をすることもままならない。駄目、まだ死ぬわけにはいかない。少なくともこの結末を見届けるまでは。いや、結末を堪能するまでは死んでも死にきれない。ぎゅっと自分の足をつねって辛うじて意識を保つ。
言うまでもないことだが、先輩は超美形だ。どちらかといえば、かわいい系の。5歳の時、初めて会った時は、あんまり可愛いから女の子だと思ったくらいだもん。そんな先輩が女体化したらどうなるか……多分、超絶美少女になるのは間違いない。それこそ世界中の男女がハートを鷲掴みにされるのは間違いないほどには。怖い……怖いよ。夢が叶うのがこんなに怖いことだとは思わなかった。自分が自分で無くなってしまいそうな心細さすら感じる。
しっかりしなさい、美琴。あなたは勇者なんだから、臆病な自分とは今この瞬間にサヨナラするのよ!
そうこうしている間に先輩の女体化が終わったようだ。ようだというのは、怖くて直視出来ないから。まだ臆病な自分とサヨナラ出来ていないんだよね。周囲から悲鳴が聞こえる。分かるよ。私も絶対叫ぶ自信がある。なけなしの勇気を振り絞って、先輩の姿を私の目に焼き付けた――――
結論から言うね。ごめん、嘘をつきました。絶対叫ぶとか言っておいて、悲鳴どころか言葉一つ出なかった。いや正確には出せなかった。ヤバい。マジでヤバい。頭悪くて申し訳ないけど、それしか言えない。美少女? なにそれ? もし先輩が美少女だって言うのなら、この世に美少女なんて存在しなくなる。定義が変わる。次元が違う。可哀想なアーシェは、至近距離で濃厚接触してしまったもんだから、完全に失神している。無理もない。私ならおそらく死んでいた。危ない危ない。次に近い位置にいたルシア先生ですら、いまだに固まって動けないでいる。あのルシア先生ですら動けないなんて……いや、逆か。ルシア先生だから動けないんだ。
くっ、いったい私はどうすればいいの? あのさらさらつやつやの髪に触れる? 駄目、おそらく気を失ってしまう。ならあの磁器のような白い透明感のある肌に触れる? もっと駄目。間違いなく失神する。でも触れたい、見つめられたい、着せ替えさせてみたい。ああ、夢が広がる。
迷うな、諦めるな、死ぬかもしれないとわかっていても、行かなければならない時がある。
「うおおおおお! 先輩!」
決死の覚悟で先輩に向かって走り出す。一歩踏み出すごとにガリガリと精神と体力が削られてゆく。だが、ユニークスキル『火事場のクソ力』が発動し、その驚異的なステータス増加でなんとか持ちこたえる。さらに先輩の甘い女の子特有の香りが鼻に届いた瞬間、瀕死に陥るが、スキルの力でごり押しする。
「ん? どうした美琴?」
「ぐはあっ!?」
か、可愛い……先輩の声がめちゃくちゃ可愛くなっている。これは楽器? いやそんな生易しいものものじゃない。一撃で残りの精神力が持っていかれた。駄目だ……膝に力が入らない。立っていることすらできないなんて……す、スキルで回復――――
「大丈夫か、美琴?」
ぎゃあああああああ!? 止めて、その瞳で見つめないで、いやあああああああ!? 死ぬ、死ぬから触っちゃ駄目えええええええええ!?
カケル子にお姫様抱っこされて失神する美琴であった。