エメロードラグーンの夜
水平線に太陽が消えて、まもなくエメロードラグーンの夜がやってくる。
この国には、ランタン椰子という種類のヤシの木がいたる所に生えていて、夜になると明るく光り始める。
そのため、たいていの場所は夕方くらいの明るさで、満天の星や月明かりと相まって、素晴らしく幻想的な雰囲気となる。
『主よ、こんな所に居て良いのか?』
今は、王宮の屋根に腰かけて、リーヴァと二人で島の夜景を楽しんでいるところだ。
「まあな、俺が行くと晩餐会どころじゃなくなるから、しばらくは待機かな。モテ過ぎるのも楽じゃないのさ」
せっかくの交流の場を壊すのは申し訳ないからな。お見合いパーティのことを考えたら、近くに寄ることすら危険だといえる。
『ククク、さすがは主、言いよるわ。あの赤毛の男が聞いたらどう思うだろうな?』
カラカラと笑いながら、ちょこんと俺の膝の上に座るリーヴァ。可愛いので、とりあえず頭を撫でることにする。
「ベルトナーくんなら、お見合いパーティで彼女見つけるんだって張り切って出かけたぞ?」
『ほほう、お見合いとは、人間は面白いことをする。上手く番が見つかると良いが、難しいだろうな』
「……そうかもな」
ベルトナーくんは、悪いやつじゃないんだが、エメロードラグーンの人々はキャメロニア人に恨みを持っているし、残念ながらアビスの魚人族のタイプの顔じゃないんだよな。え? 俺? 俺は特別なんだって。ええ、自慢ですとも。
まあ、単にタイミングと相手が悪かったということだ。もちろん、そんなベルトナーくんが素敵っていう、もの好き、いや天使と出会える可能性は常に存在するけれども。
ふと目をやれば、まるで海の中で星が輝いているような景色が広がっている。あまりの美しさに、しばし絶句して思わず息を飲む。
『あれは月光サンゴだ。月明かりに反応して光るのだ』
「……綺麗だな」
『……そうか。我はよく分からぬ』
「景色じゃない、お前が綺麗だって言ったんだよ、リーヴァ」
『ふぇっ!? な、ななな、何をいきなり……馬鹿なのか? 主は女と見れば口説く病気なのか?』
慌てふためくリーヴァを後ろから抱きしめる。
「ああ、馬鹿かもな。でも、こんな素敵な夜に、こんな幻想的な景色の中で、この世で一番綺麗な女性を口説かないなんてありえない。その方がよっぽど大馬鹿野郎だろ?」
『……ものは言いようだな。まあ良い、主が馬鹿で、甘えん坊で、いやらしいのは嫌というほど知っているからな。せいぜい我を可愛がるが良い。大人しくしててやるから安心しろ。まったくまったく世話の焼けることだな……』
それはそれは嬉しそうに文句を言うリーヴァ。
まったく……眷族っていうのは、便利なんだけど、相手の感情も筒抜けなのは考え物だ。それでもあえて口にしないと本当の意味で伝わらない。言葉は想いを形にするには足りないけれど、きっと必要なことだと思うから。
「ありがとうリーヴァ。お言葉に甘えて、たっぷり、じっくり、いやらしいことをさせてもらうとするよ」
『あわわわ……この変態主!! こんな幼い身体に欲情しおってからに……』
「それは……否定できんな。変態主ですまぬ」
『……まあ、そんな変態主を受け止められるのは我くらいのものだからな? 存分にその熱い情欲を吐き出すがよい、この未成熟な身体に!』
くっ、そんな言い方をされると、本格的に変態主全開ではないか!? いい感じのムードどこ行った!?
***
『あ……主よ、たしかに思う存分にとは言ったが……少々やり過ぎではないのか!?』
すまんなリーヴァ。たしかに俺は変態主……いや、ど変態主だったよ。
ジト目でにらむリーヴァが大変お可愛いので、乱れた髪を整えるためにブラッシングを始める。
彼女はしばらく気持ちがよさそうに身を任せていたが、ゆっくりと、いつになく真剣な様子で口を開いた。
『……感謝するぞ、主。我は永遠ともいえる時間を生きてきたのだ。終わらせてくれて……ありがとう』
「リーヴァ……」
『我々原初の魔獣は、それぞれ役割を与えられてこの世界に生を受けた。我は海を、ベヒーモスは陸を、ガルーダは空を、それぞれ創り、育ててきたのだ。だが、もう十分海は大きく育ち、無数の命を育む世界へと成長した。我の役目はとっくに終わっていたのだよ』
「…………」
『だが、役目が終わったとて、我が生は終わらない。倒せるものもおらず、自死も許されぬ存在。ただ命尽きるまで眠り続ける他なかったのだ』
「他の原初の魔獣とは付き合わなかったのか?」
『我らは、大きすぎる力ゆえ、移動するだけでも世界が壊れてしまう。気軽に会いになど行けぬよ。だからな、お願いだ主、ベヒーモスとガルーダも救ってやってくれないか? 我と同じように』
「……もちろんだ。俺は世界を救う英雄だからな」
『ククク、さすがは主、言いよるわ』
「だろ? 伊達にお前の主やってないからな」
ブラッシングを終えて、サラサラになった髪を撫でる。
『……では我はそろそろ寝る。楽しかったぞ。ずっと憧れていたのだ。一瞬の火花のように命を燃やす人間という存在に。こんなにも、甘く切ないものだとは知らなかった……』
リーヴァは、そっと唇を重ねると、照れくさそうに魔法陣の中へ帰って行った。
ベヒーモスとガルーダか……またやるべきことが出来てしまった。
さてと、晩餐会はつつがなく執り行われているようだし、そろそろ俺も顔を出すとするかな。
***
……えっと、これは一体どういう状況なのかな?
「お待ちしておりました英雄さま。今宵は私たちの持て成しをお楽しみくださいね?」
会場に入ると、男性陣は全員、女性も大半が熟睡しており、一部の女性だけが俺を出迎えてくれた。
一部とは、エメロードラグーンの王妃シェラザードさまと、サフィール、キトラ、ナディア、フローネの5人だ。
「皆さまには、私のユニークスキル『魅惑の子守歌』で眠っていただきましたので、ご心配なく」
ナディアが恭しく頭を下げる。俺は構わないけど、アビスの王族まで眠らせちゃったらヤバくない?
「ご心配なく。『魅惑の子守歌』で眠ったものは、快眠とともに眠らされたという記憶ごと忘れますので」
なかなか凶悪なスキルをお持ちなようで……
(やれやれ、これは長い夜になりそうだぞ……)
カケルは、妖艶に微笑む彼女たちを前にして、一段と気を引き締めるのであった。
夜は用事があるので、夕方までにもう一話投稿予定です。