英雄の帰還
「え……そ、それは本当ですか、お父さま?」
テティスとシェーラは、アビス国王アヌビスに呼ばれて、王の私室に来ていた。
「ああ、英雄殿に、お前を嫁にやると約束したぞ」
「お父さま……信じておりました。大好き!」
「ははは、そうだろう、そうだろう、ただし、クラーケンの巣窟になっている祠からやつらを排除して、結界を正常化することが条件だがな――――ぐほぇぉうわ!?」
テティスに弱点である腹部を抉られ、のたうちまわるアヌビス。
「……お父さま? それがどれほど困難なことかわかってますわよね?」
「ま、待て、待ってくれ。英雄殿ならば必ず成し遂げられると確信しているから大丈夫だ」
「……サバン? それは本当なの?」
自慢の鋭い歯を光らせて宰相に確認するテティス。
「も、もちろんです。英雄殿は、自信満々に宣言されておりましたから……」
かじられてはたまらないと、あわてて肯定するサバン。
「ふ、ふーん……じ、じゃあ、英雄さまが戻ってきたら、私はお嫁さんになれるのね!」
「いや、それがだな……まだ、返事はもらっていないのだ――――ぐほぇぉうわ!?」
再び転げまわるアヌビス。
「はあああああ!? なんで決まってもいないことを言ったのよ! ぬか喜びじゃない」
「い、いや待て、英雄殿は、当人同士の気持ちが大切、納得した上でならと言うので、お見合いをすることは決まっているのだ」
「ふえっ!? お、お見合い!? でも私なんかじゃ……きっと見向きもされないわ……」
実はアビスにおいて、テティスの容姿はあまり人気がない。この歳まで婚約者候補すらいなかったのは、彼女の英雄好きはもちろん、他にも大きな理由があるのだが、容姿に関しても人気がなかったことは間違いない。
「そ、そんなことないです! テティスさまはとてもお綺麗で可愛らしいと思います。英雄さまは人族なのでしょうから、きっと大丈夫ですよ!」
魚人族と人族の美的感覚は大きく異なる。その点、半魚人族は、どちらの感覚も理解できるので、テティスにとっては、とても勇気づけられる言葉であった。
「……ありがとう、シェーラ。頑張ってみるわね」
だが、内心シェーラは複雑な気持ちだ。
お見合いが成功すれば、おそらくテティスはこの国を去ることになる。そうなれば、シェーラはまた一人ぼっちになってしまうからだ。それでも、シェーラは、親友の背中を押す。自らの想いに固く蓋をして。シェーラは心優しい王女なのだ。
「それから、シェーラ姫、そもそも英雄殿は、そなたを連れ戻しにこのアビスへきたのじゃぞ?」
「へ? それは……どういう?」
「ああ、それはな――――」
「た、大変です!! クラーケンがこのアビスに向かってきております。懸命に戦いましたが、止められませんでした。守備隊長が自らを犠牲にして時間を稼いでくれています。どうか避難命令を……」
「そ、そんな……アクアが……」
守備隊長のアクアと仲が良かったテティスがへなへなと崩れ落ちる。
「……大丈夫だ。避難する必要はない」
「し、しかし……陛下」
「大丈夫だ。幸いなことに、我々には英雄殿と勇者さまがいるのだ。すぐに吉報が届くことだろう」
自信に満ちた王の態度に、次第に皆の動揺が収まってゆく。ここアビスにおいても、英雄と勇者への信頼は厚い。
「お、お知らせいたします! 守備隊長のアクアさまが無事帰還されました。英雄殿に助けられたとのことです。クラーケンも倒されました!」
「ははは、見よ、我の言った通りであろう!」
してやったりと豪快にわらう国王アヌビス。
「良かった……アクア……ありがとうございます、英雄さま」
***
「サフィール、キトラ、ナディア、フローネ!! 皆、よくぞ無事で……」
「ご心配おかけしましたシェーラ殿下……」
一目散に皆に抱きつくシェーラ。ドナも輪に加わりたいのだが、『人魚の涙』を拾い集めるのに忙しい。
「あの……英雄さまはどちらに?」
キョロキョロ辺りを見回すテティス。
「英雄殿ならば、死地へ赴かれた。厳しい戦いらしく、生きて戻れるかは分からないと仰られて……」
最後まで言葉にならず、ギリッと拳を握りしめるアクア。引き留められなかったことを悔やんでいるのだ。
「アクア……そんな……やっとお会い出来ると思いましたのに……」
ガックリと項垂れるテティスに、シェーラも青ざめる。一体どれだけ英雄に助けられたというのか。まだ何の御礼もしていないのだ。
「……大丈夫ですよシェーラさま」
「サフィール……でも……」
震えるシェーラを抱きしめ小さく笑う。
「なんと言っても、カケルさまですから」
なぜ大丈夫かは言えないサフィールは、盛大に力技で押し切ることにした。
「それに、勇者さまもご一緒ですから!」
戦っている相手がまさにその勇者なのだが、キトラも盛大にボヤかす。
(カケルさまも罪作りなんですから……)
ナディアも内心苦笑いするしかない。
「あ、帰って来ましたよ! カケルさま、美琴さま〜!」
大きく手を振るフローネ。
「ひうっ!? わ、私、着替えて来ないと……」
顔を真っ赤にして逃げ去るテティス。着替えなくてはならないのは事実だが、単にあまりの緊張に耐えきれなくなっただけである。
「あ、ち、ちょっと待ってくださいテティスさま――――」
一方のシェーラは逃げる訳には行かない。緊張に震え、真珠のような肌は、茹でだこのように真っ赤になっている。
可哀想に、もはや立っているのもやっとという有り様だ。
「みんな、ただいま! 貴女がシェーラさまですね? はじめまして、異世界の英雄カケルです」
「あ、あわわわ、し、シェーラでしゅ……あ、シェーラです、英雄しゃま、助けていただきありがとうございましゅ……」
想像を超えた英雄の格好良さにパニックになったシェーラ。もはや、自分でも何を言っているのか分からない。
盛大にかみまくり、あまりの恥ずかしさにピンク色の宝石涙を零すシェーラであった。