王宮に潜む悪意
『それで? リリス殿下はまもなく到着されるのかな?』
王宮の一室で満足そうに尋ねる黒髪の男。
「ああ、間違いないよ、ゲスマルク殿」
答えたのは、この国の騎士団長ゲスティニー。屈強なサキュバスの男で、赤褐色の髪が特徴的なイケメンだ。
ゲスマルクと呼ばれた男は、この国の宰相を長年務めるいわば重鎮。にも関わらず、見た目は三十代にしか見えない。
サキュバスなら普通だが、人族では珍しい。黒髪であることから、もっぱら異世界人ではないかと噂されている男だ。
ゲスマルクがこの国にやってきたのは、今から50年ほど前。
次々と斬新なアイデアを出し、改革を断行、アトランティアの経済規模をわずか数年で数倍に引き上げた英雄として一躍名を馳せ、この国の歴史上、サキュバス以外で初めての宰相に就任してからは、国王でさえ口出しできないほどの影響力を持つようになっている。
『ククク……待ちかねたぞリリス。私の妻に相応しいかどうか、しっかり見定めさせてもらうとするか』
「だが、大丈夫なのか? リリス殿下は、婚約者の英雄を連れてくるらしいぞ?」
『心配ないさ。むしろ私的には、そっちがメインディッシュだからね』
暗い笑みを浮かべるゲスマルク。
(異世界の英雄か……私の野望のための糧になってもらうぞ)
「それはそうと、またリリア殿下が行方不明になったらしい」
ゲスティニーが渋い顔をする。
『またか……放っておけ。どうせこの国からは逃げられないのだからな』
(ちっ……何故か、あの娘にだけ私の力が効かない……この機会に消した方が良いかもしれないな……)
『アサシーンはいるか?』
「……はっ、ここに控えております」
ゲスマルクの影の中から声がする。
『王宮を勝手に抜け出した王女が、チンピラどもに捕まって最後は殺される……そんなことがあるかもしれないな?』
「……御意」
影の中から気配が消える。
(ククク、これでこの国は完全に私のものだ。早く来い。リリス、そして異世界の英雄……)
***
「ハァハァ……本当に大丈夫かしら?」
怪しげな雰囲気の路地裏を走る一人の少女。
欲望渦巻くこの国には、危険なエリアがいくつも存在する。少女がいるこのエリアも、地元住民ならなるべく避けて通るほど治安が悪い。
にも関わらず、少女がここにいる理由。
(女神様のご神託だから仕方ないわよね……)
昔から女神様のご神託には助けられてきた。
ほとんどは、漠然としたものだったけれど、言うとおりにして助かったことは数え切れない。
だからご神託には絶対の信頼を置いているけど、昨夜のご神託は、これまでのものと全く違った。
(あんなに具体的なご神託は初めてだったもの……)
走りながら少女は思う……この国はどこかおかしい。
どこがと言われると分からないけれど、物心ついた頃には、違和感を感じていた。
何とかして逃げようとしたけれど、強力な結界に守られたこの国からは出られない。
でも、希望はあるの。
アルカリーゼという国には、私のお姉さまがいるのだと聞いたことがある。私が生まれるずーっと昔に出て行ったきり、一度も帰ってきていないんだって。
もしかしたら、お姉さまはおかしくなっていないかもしれないって思ってる。
だとしたら、これは最後のチャンス。あの気持ち悪い宰相の私を見る目が、段々と剣呑な雰囲気になってきているからね。このままだと、いつか私は殺されてしまう。そんな気がしてならない。
私は路地裏を進む。道端にたむろす男たちからのまとわりつくような視線を振り払うように。
女神様は、今日お姉さまがアトランティアにやってくると教えてくれた。
この場所へ来れば、きっと会えるって。
「へへへ……可愛いね、お嬢さん。ちょっと俺たちと遊ぼうか?」
ガラの悪い男たちに囲まれてしまう。こんな幼気な少女を狙うなんて、一体どういうことなのかしら?
「……お断りします。姉と待ち合わせしているので」
「へえ! それじゃあそのお姉さんも一緒に遊べば良いだろ?」
男たちが下品に笑う。何が面白いのか全く分からないけれど。
通り抜けようとしても、進路を塞がれてもう逃げられない。
「おい、お姉さんは譲るから、この娘で遊んで来て良いか? もう我慢出来ない……」
男たちの中の一人が、ハァハァしながら近づいて来る。
「ったく、このロリコン野郎が……まあいいか。どうせ殺すんだしな。早くしろよヨウジョスキー」
この男、今、私を殺すって言ったの? ま、まさか……宰相の? 恐怖で身体が動かない。全身に冷や汗が流れて震えが止まらなくなる。
(い、嫌……触らないで……)
迫る男から必死に後ずさる。怖い怖い怖い怖い……助けて助けて助けて……
「助けて……助けてお姉さまああああああ!!」
今にも触れそうだった男の手が止まる。
「あ? 何だテメえ? 邪魔するなら殺す――――ぎゃあああああ!?」
腕が変な方向に曲がったヨウジョスキーが、悲鳴を上げながらのたうち回る。
「……大丈夫か、リリア?」
助けてくれたのは、黒目黒髪の男の人。
同じ黒髪だけど、あの気持ち悪い宰相とは全然違う。温かい眼差しと、優しい声。身も心も溶けてしまいそうな芳醇な魔力の香り。そして何よりとっても格好良いの。とってもとっても恰好良いの。大事なことだから2回言ったわ。あれ……どうして私の名前――――って危ない!?
影の中から突き出る刃物が黒髪の人を襲うのが見えた。でも――――
「ば、馬鹿な……」
確かに刺さったと思ったのに、あっさりと刃物が折れてしまったの。
「……暗殺者か。相手を見てから仕掛けるべきだったな」
そう言ってあっさり暗殺者を倒してしまった。どうやったかは全くわからなかったけれど。
「怖かっただろ? もう大丈夫だぞ。俺の名はカケル。異世界の英雄で、お前の姉、リリスの婚約者だ。よろしくリリア」