絶対零度の恋ごころ
カケルたちがトラシルヴァニアへ出発する前日、ユキカゼは静かに闘志を燃やしていた。
「ユキカゼ、悪いがちょっとお使いを頼まれてくれんか? 忙しいなら――――」
『大丈夫ですエヴァ様。どうせ暇ですから。連絡役の役目も与えられず、遠征メンバーにも選ばれず、ただ無為に時間を浪費しているだけの無能な私で宜しければ承ります』
「そ、そうか。すまんな。明日、ダーリンと一緒に帰国するからトラシルヴァニア王国へ手紙を届けて欲しいのじゃ」
話によると、王様はエヴァ様と一緒にトラシルヴァニア王国との交渉に向かうとのこと。結婚の許しをもらうための挨拶も兼ねているらしい。
これは大役を頂いてしまった。ただ手紙を届けて終わりではない。私の印象がそのまま王様の評価に直結するのだから。
けれど無事役目を果たせば、きっと王様からご褒美をもらえるに違いない。
もちろん王様の為なら喜んで無報酬で働きますが、期待をしてしまうのは罪とまでは言えないはず。
キタカゼお姉様は、屋敷にいる私を羨ましがっているけれど、王様とイチャイチャするチャンスなんてほぼゼロですからね?
あ、でも毎朝卵を産むと王様が頭を撫でてくださるのは確かに屋敷組の特権かもしれませんね。婚約者の方々とも仲良くなれますし。
以前王様から頂いた情報によれば、トラシルヴァニア王国ならあっという間に着いてしまいます。
失礼があってはいけませんから、アイシャ様に作法などご教授いただいてから出発しましょう。
ユキカゼは、愛しい王の役に立とうと張り切って準備にいそしむのであった。
***
「何? エヴァンジェリンから使者が来ているだと? 間違いないのか?」
トラシルヴァニア国王ブラッドは、珍しく喜びの感情をにじませながら騎士に尋ねる。
可愛い愛娘が国を出てからというもの、厳しい制約を背負っている我が子のことをずっと心配していたのだ。
「はっ、確かに王家のサインが入った手紙を確認いたしました」
「ふふっ、そうか……ようやくか。よし、すぐに使者に会おう。通せ」
謁見の間に現れた使者の姿に王を始めとして、居合わせた全ての者が息を呑む。
(う、美しい……)
基本的に吸血鬼は容姿端麗なものが多く、人口の半数が吸血鬼のこの国では美男美女というのは珍しくもなんともない。
だが、現れた使者の美しさは、まさに次元が違うとしか言いようがなかった。
新雪のような輝く白髪に、真珠のような瞳。純白の翼を広げたその姿はまさに天使のようであった。
ハーピィは元々美しいが、カケルの眷族となったユキカゼの美しさはまさに異次元まで昇華されている。
『ユキカゼと申します。お目通りが叶い恐悦至極でございます。エヴァンジェリン様よりの手紙を届けにプリメーラより参りました』
恭しく頭を垂れ、片膝を付くユキカゼ。
「そ、そうか。遠路はるばるご苦労であった」
ユキカゼに見惚れていたブラッドが我に返ってユキカゼを労る。
『お気遣い感謝いたします。陛下』
「ところでユキカゼ殿は、エヴァンジェリンとはどのような関係なのだ?」
『私の口から申し上げるのは憚られます。どうか手紙をお読み下さい』
「うむ、それもそうだな……どれ……」
エヴァンジェリンの手紙を開封し、読み始める国王ブラッド。
手紙の内容はにわかには信じ難いものであったが、時折入ってくるエヴァの真偽不明情報と合致しており、何より我が子の筆跡を見間違えるはずもなかった。
「なるほど、明日エヴァンジェリンと婿殿が我が国に来るのだな。シルヴァ、国を挙げて歓迎の準備を――」
「お待ちください父上。こやつは魔物ですぞ? エヴァを幽閉し何かたくらんでいる可能性もあります」
声を上げたのは、第二王子のヘンリー。
吸血鬼と他種族の間にはハーフは生まれず、必ず両親のどちらかの種族になる。ヘンリーの場合、母である王妃が人族のため、彼は人族として生まれた。
だが、トラシルヴァニア王国において王位を継承するものは吸血鬼でなければならない。それゆえヘンリーは生まれながらにして王位継承権を持っていない。
もちろん王になれないというだけであって、身分は保障されているのだが、焦りや劣等感のようなものから逃れることが出来なかったのかもしれない。優秀な兄と溺愛されている妹に挟まれているという境遇もそれに拍車をかけた一因であっただろう。
ヘンリーの発言に謁見の間に詰めかけた貴族たちからも疑問の声が上がり始める。
「たしかに美しくても魔物であることには変わりがない……」
「魔物を使いに寄こすとは、殿下も一体何を考えているのか……」
だが、そんな微妙な雰囲気を鎮めるべく国王が動いた。
「だまれヘンリー! 使者殿に失礼であろうが! ユキカゼ殿、申し訳ない。どうか失礼な発言を許して欲しい」
『いいえ、陛下、国を思えばこその発言かと。ヘンリー殿下の仰ることもごもっともです。事の真偽については、明日になれば分かる事ですから、それまでどうか私を拘束して幽閉していただければ、皆さまも安心できるでしょう』
「しかし、それではあまりにも……」
『良いのです。異世界の英雄である我が主が、私のせいでわずかでも疑念を持たれては従者失格。どうかお聞き入れいただき、準備を滞りなく進めていただきたく存じます』
ユキカゼの目を見た国王ブラッドは、微笑んで小さく息を吐く。
「わかった。ユキカゼ殿の覚悟見事である。だが、そんな勇士に辱めを与えるわけにはいかない。我が国最高のおもてなしをするのだ。異論があるならば、今ここで申すが良い」
ブラッドが謁見の間に居合わせた貴族たちに睨みを利かせると皆静かになる。さすがに名君と謳われるブラッドの判断に正面から異を唱えることが出来るものなどいなかった。たった一人を除いて。
「父上、聞きましたか? この魔物の主は異世界人だとか。やはり信用できません。異世界人など皆頭のおかしいクズです」
とたん、謁見の間の温度が急激に下がった。
『……私の聞き間違えでしょうか? ヘンリー殿下、今なんとおっしゃいましたか?』
「ふん、魔物風情が聞き返すとは不敬だぞ。まあいい、何度でも言ってやる。異世界人なんてクズ野郎ばかりだっていったんだよ」
『……訂正してください。今すぐに。二度は言いません』
さらに場の温度が下がる。
「断る。今度は王族を脅迫するとは……従者の教育も出来ないとはお前の主の質が知れるな!」
『……黙りなさい。私のことをどんなに蔑もうが構いませんが……主のことを……あの方のことを悪く言うのは許さない。貴方が一体あの方の何を知っているというのですか?』
「うるさい。許さなかったらどうするつもりだ? この場は魔法封じの結界も張られている」
さすがに不味いと悟ったブラッドが止めに入ろうとしたが、一瞬遅かった。
『……絶対零度地獄』
ユキカゼが発動した聖級の氷魔法は、魔法封じの結界ごと凍らせる圧倒的な災害。
トラシルヴァニア王国は、一瞬にして動くもののいない氷の中に閉じ込められたのであった。