閑話 異世界からの手紙
新人死神のキリハは、休みになるのを待ってはるばる日本まで足を運んでいた。
カケルに託された手紙を彼の両親に届けるためだ。
(まったく……私も暇じゃないんだからね!)
でも……あんな顔されたら引き受けるしかないじゃない。ふふっ、私がいないと駄目なんだから。
文句を言いながらも嬉しそうにする器用なキリハ。
(えっと……ここで間違いないわよね?)
表札に大海原とあるのを確認して頷く。
(う……なんか緊張してきた)
今日のキリハは、いつもの死神装束ではなく、ミッション系ハイスクールの制服姿だ。もちろん髪と瞳は黒に変えてある。
何で私が緊張してるのよ!? はっ!? もしかしてご両親に挨拶とか私が最初? ふふふ、ミコト先輩すら実現していないハードルを軽々飛び越える私はやはり天才か……
だが、この世界の人間と積極的に関わるのはマズイ。
手紙を渡したら自分に関する記憶は消さなければならないことを思い出して、秒でヘコむ。ひとりで喜んだり落ち込んだり忙しいキリハだ。
「あら? どうしたの? 家に何かご用かしら?」
「ひゃ、ひゃあああ!?」
突然背後から声をかけられ情けない悲鳴を上げるキリハ。
「あらあら、驚かせてしまってごめんなさいね」
優しく微笑む黒髪の女性。言われなくても分かる。間違いなくカケルの母親だろう。
油断したわ。うっかり認識阻害を掛け忘れていたみたいね。婚約者気取りで浮かれていた自分に喝を入れる。
「あ、あの大海原駆さんのお宅で間違いないでしょうか?」
「そうよ……貴女……駆を憶えているのね?」
「ひ、ひゃい!」
すごい勢いで両肩を掴まれ問い詰められる。
しまった……アイツはこの世界には居ないことになってるんだったわね。
うっかりカケルの名前を出したことを後悔するが、どうせ手紙を渡さなければならないのだから今更ではある。
「とりあえず上がってちょうだい」
カケルの母親に促され家に上がるキリハ。
「お茶の準備をするから、駆の部屋でも見て待っていてね」
……アイツの部屋……ですって?
き、興味無いけど、お母さまに言われたんじゃ見ない訳にはいかないわね。興味無いけど。
2階に上がり教えられた部屋に入る。
部屋の壁一面に、駆が描いたであろう絵が飾られている。
(ふーん……ここがアイツの部屋……)
おそらく駆が居なくなった時のままなのだろう。まだ生活感が残っている。
ベッドに腰掛けてひと通り部屋を見渡すと、顔を赤くしてひとり呟く。
(本当にアイツの部屋か確認しないとね……)
ベッドにダイブして枕に顔を埋める。
はぁ……アイツの匂いがまだ残ってる……とても安心する匂い……ああ、好き。大好き。
くんかくんかしながら悶えるキリハ。
「お茶の準備出来たわよ……ってお邪魔だったかしら? ふふっ、下で待ってるわね、どうぞごゆっくり」
パタンとドアを閉めて下へ降りてゆくカケルの母。取り残されたキリハ。
「…………死にたい」
***
「ふふふ、もう良いの? 何なら泊まって行っても良いのよ?」
可愛い……アイツの魅力は間違いなく母親譲りだ。
「でも……さすがにご迷惑ですから……」
「そんなことないわ。広い家に2人だけで淋しかったの。ね、お願い泊まって行って!」
確かにこの家は2人で住むには広すぎる。キリハは胸が締め付けられるような気持ちになる。
結局、子ども達に先立たれた両親の気持ちを考えると、とても断わることなど出来なかった。
(はぁ……何やってんだろ私……)
「そういえば、自己紹介もまだだったわよね? 私は祈、大海原祈よ」
なんなのだろうか? たしかにとんでもない美人だが、彼女の魅力は外見じゃない。母性と言うか、とにかく温かい。キリハに残っていた警戒心などとうに吹き飛んでしまっていた。
「あの、私は――――」
『ただいま~!』
キリハが自己紹介をしようとした時、玄関から声が聞こえてきた。
「あら、丁度良かったわ。旦那さまが帰ってきたみたい」
***
「四神桐葉と申します。実は駆さんから手紙を預かって来ました」
ご両親が揃ったところで、あらためて自己紹介する。
「……桐葉さん、私たち夫婦以外、誰も駆のことを憶えていないことと関係あるのかな?」
そうキリハに尋ねるのは、駆の父、渡。
どうしよう……滅茶苦茶カッコいいんだけど? アイツを渋くさせたらこんな感じかしら? ってそんなこと考えてる場合じゃなかった。
「そうですね。関係はあります。とりあえず手紙を読んでもらえば……」
キリハが手渡した手紙を読んだ夫婦は、驚きながらも嬉しそうに微笑み、愉快そうに笑い、そして泣いていた。
「ありがとう桐葉さん……駆は、そして亜里沙も幸せに暮らしているんだね。それがわかっただけでも良かった。本当にありがとう」
なんて聡明な人たちなんだろうか。キリハは内心驚く。
その後、夕食には駆の大好きだったナスの肉詰めをごちそうになり、それこそ駆が小さかった頃から最近までの話をたっぷり聞かされた。
「ごめんなさいね。こんな話しても桐葉ちゃんは興味ないわよね」
「いいえ、そんなことないです。すごく楽しいです」
それは本心だ。でも……辛いのよ。
明日になれば、この夫婦とは当然別れなければならない。自分の記憶だけは消して。
いつの間にかキリハは別れ難くなっていたのだ。
「桐葉ちゃんさえよければ、私たちの娘になってくれないかしら?」
「うん、それはいい考えだな」
やめて……これ以上優しくしないで。貴方たちを好きにさせないで……
翌朝、ふたりに見送られて家を出る。
「桐葉ちゃん、またいつでも来ていいんだからね!」
「遠慮なんていらないから、いつでもおいで」
「はい……はい、必ずまた来ます……」
キリハは泣きながら記憶を消した。とても振り返ることなど出来なかった。
ふたりの記憶の中にもう自分はいない。それを確認するのが怖かったのだ。
「……桐葉ちゃん、行ってしまったわね」
「ああ……良い娘だったな。駆は本当に幸せものだ」
「今度は死神姿の桐葉ちゃんも見てみたいわね」
「俺はむしろ君が着ているのを見たいけどな?」
「まあ、貴方ったら……今夜久しぶりに着てみようかしら?」