24 囚われの腹ペコ姫
(妾、一生の不覚じゃ……)
オークの集落にある穴倉の中で、エヴァンジェリンは、思わずため息をこぼす。
完全に油断していた。
言い訳させてもらえば、普段、南の森にオークなど出ない。角ウサギやキャタピラーはこちらから手を出さなければ攻撃してくることもないし、フォレストウルフも、獲物が豊富な為、人里近くまで出てくることはないのだ。
まさか、空腹で倒れているところをオークにさらわれるとは……
妾は、誇り高き吸血鬼一族の姫だ。吸血鬼は、強力な再生能力や特殊能力と引き換えに、魔力が自然に回復することがない。したがって、吸血することにより、血を魔力に変換し、魔力を補給していく必要がある。
つまり、吸血鬼にとって、吸血させてもらうパートナー探しは死活問題だ。
成人した吸血鬼は、パートナー探しの旅に出るのが伝統であり、パートナーを得て初めて一人前と認められる成人の儀式でもある。
なぜ旅に出るのかといえば、同じ吸血鬼同士では、吸血行為ができないため、他種族からパートナーを探す必要があるからだ。ちなみに、生まれてくる子供は、純血種の吸血鬼か他種族の子のどちらかで、ハーフは存在しない。
王族である妾も、いや、王族であるがゆえに、自力で成人の儀式を成し遂げなくてはならない。王族自らが手本を見せなければ、皆に示しがつかないからだ。だが、妾の場合、他の吸血鬼よりも達成のためのハードルはかなり高くなっている。
優秀な吸血鬼は、その高い能力ゆえに非常に基礎代謝が高い。つまり燃費が悪いのだ。
普通に生活しているだけで、魔力が消費されていくので、油断していると魔力が枯渇して動けなくなる。一応、食事からも魔力の補給は可能だが、吸血に比べ効率は悪く、大量の食事が必要になるのだ。
パートナーについても、だれでも良いわけではなく、優れた魔力量をもつものを見つけなければならない。
とはいえ、そんな優秀なものが簡単に見つかるわけもなく、表向きはともかく、王族の場合、実際は、許婚やお見合い候補が事前に用意されており、その相手をパートナーとすることも珍しくない。
だが、妾は、パートナーは自分の手で見つけたかった。この世界のどこかにいる運命の相手に出会うための旅。物語のヒロインになったようなロマンチックな妄想を膨らませていたのだが……
現実は、物語のように甘くはなかった。
伝統により、旅に出るものは、金品の類を一切持たずに出発しなければならない。
したがって、旅に出て真っ先にすべきことは、パートナー探しではなく、金策と食料の調達だ。まったくご先祖様も余計なルールを決めてくれたものである。
特に、妾の場合、大量の食糧が必要なので、これは早晩死活問題となってくる。昼夜を問わず、魔物や動物を狩り、調味料がないので、味付けなしで食べる毎日。なにこのサバイバル……。
ようやくたどり着いた街で、冒険者登録して、魔物の素材を売り現金を得ることが出来たが、食費が生計を圧迫するため、常に予算はかつかつ。安宿に泊まり、依頼をこなす毎日。理想的な出会いやラブロマンスなどそこには無かった。
もちろん、妾の美貌に惹かれて言い寄ってくる有象無象は掃いて捨てるほどいるが、まったくと言っていいほど食指が動かない。小さな街に見切りをつけて、大都市プリメーラを目指すことに決めた。
プリメーラならば、きっとパートナーにふさわしいものがいるだろう。多少大回りになるが、食べ物が豊富な南の森林地帯を通っていくことにする。路銀が心もとないので、食料は現地調達するのだ。以前と違い、今は調味料もちゃんと持っている。
街を発ってから三日、ようやくプリメーラまであと少しのところまでやってきたのだが、ここで思わぬ誤算があった。なぜか、森の中に獲物がまったくいないのだ。これはまずい……空腹で魔力が枯渇し、薄れゆく意識の中で、最後に見たのは、嘲るように笑うオークどもの姿だった。
***
「大丈夫?」
次に目が覚めた時には、オークどもの穴倉にいた。一緒に捕まっていた女性たちが、食べ物を分けてくれたので、なんとか意識を保つことができたが、状況は深刻だ。
万全の状態ならば、オークなど物の数ではないが、ここには十分な食料もなければ、自由もない。
ならば、女性たちから吸血すればいいかもしれないが、それは本当に最後の最後の手段だ。
吸血鬼にとって、吸血行為は、人族でいうところの性行為に等しい。だからこそ、パートナーを探し、基本的には、パートナー以外のものから吸血することは無い。まれに誰彼構わず吸血する変態吸血鬼もいることはいるが、妾はいたってノーマルで、初めての吸血は、やはり運命の殿方に捧げたい。
もちろん、オークどもから吸血するなど論外だ。あいつらの血には、魔力が混じっていないので、そこらに生えている雑草でも食べたほうがましなレベルだし、そもそも生理的に無理!
助けを待とうにも、オークどもはそれまで待ってはくれないだろう。仕方がない、せめて少しでも魔力が高い女性を選んでおくとしよう。そう考え始めた時――、
オークどもが、騒ぎはじめ、見張りのオークたちも次々に外へ出てゆく。時折聞こえる爆発音や、悲鳴から判断するに、助けが来たのかもしれない。期待に胸がふくらむ。
***
いつの間にか戦闘音が聞こえなくなり、あたりはすっかり静寂を取り戻している。女性たちも状況がわからず皆不安そうに身を寄せ合っていた。
唐突に穴倉の入り口が開き、巨体のオークが入ってくる。ただのオークではない。オークジェネラルだ。女性たちの表情が絶望に染まる。
(……ただのオークジェネラルではないの。これは不味いかもしれん)
少し魔力を取り戻した程度では、勝てるかわからないほどの強者の気配。こんな化け物がいるのだ、おそらく助けに来たものたちは全滅したのだろう。こんなことなら、先に吸血しておくべきだった。自分の判断の甘さに歯噛みする。
さすがにこれまでかと観念しかけたが、オークジェネラルの様子がおかしい。まるで誰かを待っているかのように片膝を付いて待機している。まさか……オークキングがいるのか? 想像しただけで心が砕け散りそうになる。お願い……誰か妾を助けて……。
入口から誰かが入ってくる。エルフの美少女を背中に背負い、同じぐらいのエルフの美少女を抱きかかえた黒目黒髪の男。
「……へ?」
状況が理解できず、変な声が漏れてしまう。
その男が、オークジェネラルに何か話しかけると、オークジェネラルは逃げるように外へ出て行った。
「まったく……怖がらせるから先に行くなっていったのに……」
黒髪の男がぶつぶつ言いながら、こちらへ歩いてくる。もしかして助かったの?
「みなさん、怖がらせてごめんなさい。オークどもは討伐しました。もう大丈夫ですよ」
無理やり抑えていた不安や恐怖が爆発したかのように、女性たちはみな涙を流し、抱き合っている。
「……見つけた」
助かった安堵感でもなく、感謝の気持ちでもない、生まれて初めての感情に戸惑いながら、エヴァンジェリンは、知らずそう呟いていた。




