魔王イヴリース
「イヴリース、駄目だ。一旦戻って体勢を立て直そう」
たしかにアルスの言うとおりだ。だが……嫌な感じがする。このままではいけない気がする。門の向う側から迫ってくる得体の知れないおぞましい気配。
『アルス! この門は今閉じないといけない。私が時間を稼ぐから、後はお願い!』
「だが、そんなことをしたら君は……」
ふふっ、こんな私のことを心配してくれるのね。貴方が好きなのは刹那だって知ってるけど、期待するだけならいいわよね?
イヴリースは、異世界からやって来た友人の天才錬金術師を思う。彼女なら何とかしてくれるかもしれない。というかやはり連れてくるべきだった。同行を断った手前、頼るのは申し訳ないけど、他に思いつく人もいない。
それに……刹那は一途に想い続けている人がいるって言ってたから、アルスはきっと振られるでしょうしね。ふふっ。
『大丈夫。この術式は時間を止める私だけのオリジナル。多少時間がかかっても構わない』
とはいえ、この魔術も万能ではない。一度発動したら、自分の意志では解除できない。アルスを信用していないわけではないけれど、保険を掛けておく必要はある。
時間の経過と共に働きかけを強める呪いの一種。アルス本人とそれに連なる者たちにだけ効果が出るけど、これはあくまでアルスに何かあった時の保険。私だって永遠に時の牢獄に閉じ込められるなんて御免だから。
この時点で、さすがのイヴリースも数百年単位で放置されることは想定していなかった。そもそも百年でようやく睡眠障害が出るほどの緩い呪いだ。
だが、邪神の因子によって精神を侵されたアルスによって、魔王イヴリースに関する資料はすべて処分され、真相は闇に消えた。アルス自身が最後に託したフォルトゥナを除いて。
本来警告でしかなかった呪いが、最後は命を奪うほどになったのは王家にとっても、イヴリースにとっても、そして誰よりもアルスにとっては受け入れがたい悲劇だったであろう。
イヴリースは知らない。アルスが辿った悲劇に彩られた血まみれの生涯を。
優しく気高い魔王が残した保険が、数百年の時を経て多くの人々を苦しめ悲劇を生みだしたことを。
もちろんイヴリースには何の罪もない。彼女がいなければ、比較にならないほどの災厄が世界を覆い尽くし、おそらく世界は滅びていたであろうから。
アルスと別れてから768年。イヴリースは今もダンジョン最下層で人知れず助けを待ち続けている。
***
「これが魔王イヴリース……」
巨大な魔界への門を身体全体を使って押さえているひとりの女性。
悪魔族特有の褐色の肌に、輝くような銀色の髪。今にも動き出しそうに見える。
後姿ゆえ、顔を見ることは出来ないが、その気高い精神性と勇気が背中からも伝わってくるようだ。
この状態で768年もの間、ひとりで助けを待ち続けていたのか……時を止めたことで、本人にとっては一瞬かもしれないが、とてつもない勇気だと思う。
「イヴリース……ごめん。遅くなったけど助けに来たよ」
詳しくは聞いていないが、刹那とイヴリースは友人同士だったという。刹那が二人の元を離れたのも、イヴリースのために決断したと言っていたから、思うところがあるのだろう。
『ではカケルさん、これを使って術式を解除してください』
フォルトゥナさんが俺に鍵を差しだす。
月の光のように淡く銀色に輝くその鍵は、イヴリースの術式に反応してその輝きを増してゆく。
「わかった。それでフォルトゥナさん、この鍵をどうやって使えばいいんだ?」
『…………それは、その、鍵穴に差し込んで……』
なぜか顔を真っ赤にしてもごもご言い始めるフォルトゥナさん。
「鍵穴? そんなものどこにあるんだ?」
鍵穴を探すが、見当たらない。
『…………』
「フォルトゥナさん? 知っているんだったら教えてもらえませんか?」
さっきから様子のおかしいフォルトゥナさんだが、彼女しか知らないのだから、頑張ってもらうしかない。
『……後ろ、……後ろの穴』
「は? 後ろってどこの?」
『だから……しり、……おしりの穴よ!!』
フォルトゥナさんが消え入らんばかりに真っ赤になって小声で衝撃の事実を暴露する。
「「「…………」」」
『あらあら、うふふ……魔王様は変態だったのかしら?』
ケルベロス……みんな思ったけど、口に出しては駄目だろう!?
『あ、あの~、一応魔王さまの名誉のために言うけど、急造の魔術だったから仕方なかったんだと思うわよ?』
みんなが微妙な空気になったので、慌てて魔王を擁護するフォルトゥナさん。
「大丈夫ですよ。みんなわかってますから。なあ美琴、刹那?」
「ふえっ!? あ、違うよ!? なんか痛そうだなって思ってただけだから……」
たしかにな……少なくとも俺は絶対無理だ。
「これは……罠だと思う。だって本当は解除するのはアルスの予定だったんでしょ? 尻穴に鍵を突っ込ませて、アルスに責任取らせる高度な作戦では?」
刹那の口から尻穴とかいう単語を聞くと興奮してしまうな。だが、そんな作戦立ててる暇なかったと思うぞ?
『恥ずかしい話なんだけど、魔族の魔力はお尻に集中しているから、鍵穴には最適なのよね……』
なにそれ初耳!
「フォルトゥナさん、もしかしてサキュバスも?」
『もちろん。サキュバスもそうね』
やめろ、みんなでジト目をするのは止めてくれ。別にリリスと変なことしようとか思ってないから。ただの学術的な好奇心だから。
***
「くっ、結局俺がやるしかないのか……?」
イヴリースの魔術を解除して、門を完全に封印するだけの魔力量だけで言えば、別に俺でなくとも、美琴、刹那、ケルベロスでも可能だ。
「乙女の情けよ。先輩が責任取ってもらってあげなよ?」
「ごめんね駆。友達の尻穴に鍵を差すとか嫌だから」
『ふふふ、お坊ちゃま、覚悟を決めてくださいね?』
『ごめんねカケルさん、なんかすいません』
……ですよね~。よし、覚悟を決めるか。なあに、鍵を鍵穴に差し込むだけの簡単なお仕事だ。
無心になるんだ。世界と一体になれば些細なことなど気にならなくなるはず。
「よし、みんな目をつぶれ」
さすがに衆人環視の状況では可哀想過ぎる。武士の情けだ。
だが問題はそれだけではない。時間が止まっているため、服を脱がすことが出来ないのだ。
つまり……着ている服と履いている下着ごと貫通するような勢いで突き刺さなくてはならない。
正直恐ろしい。俺に出来るだろうか? いや、弱音を吐くのはもうやめよう。やるしかないんだ。
俺の能力を総動員して、正確に穴の位置を把握する。
ためらわずに一気に行く。
「はあああああ!!」
ぶっすううううう! 鍵は正確にイヴリースの鍵穴に入った。
『くぅはあああああ!?』
おお、魔王イヴリースが目覚めた。やったか? だが――――
『カケルさん、まだです!! 次は門の封印です。鍵を一回転させて下さい』
な、なんだと!? この状況で鍵を一回転させたらどうなるか分かっているのか?
だが、やらないという選択肢はない……すまん、イヴリース。
鍵を一回転させる。
『ぐっほおおおおおお!?』
乙女にあるまじき獣のような絶叫とともに、魔界への門は今度こそ完全に閉じ、空間に溶けるように消えていった。合掌。