届いた想い
俺はもう一度考えてみたが、解決の糸口は見えてこない。
何か見落としがあるのか? ノートを手にとって観察する。
良く見ると表紙に補強した跡があった。
(ああ、表紙の一部が破れたから補強したのか……まてよ)
内容ばかりに目が行っていたけれど、ノートそのものも対象なのか?
思い出せ、この部分には何があった?
いくら全てを記憶しているといっても、自由自在に取り出せるわけではない。
俺は記憶の海に身を沈めてゆく。
「あれ? 白崎さん、何書いてるんだ? 新しい論文?」
たまに研究所に顔を出すと、いつも白崎さんは新しい論文を書いていた。
白崎刹那は、俺とは違って学生なのに自立型ロボットの第一人者で本職の研究者でもある。
ヌーベル賞候補にも挙がるほどの天才だ。
「え? そ、そうだけど。そうだ駆、読んで感想聞かせて」
「別に構わないけど、俺、専門外だからな?」
「うん、構わない。駆の感想が聞きたい」
俺は論文に素早く目を通していく。
白崎さんの論文は、幼いころから読んでいるので、内容は分かっているし、違いもすぐわかる。
「すごいな……ロボットが感情もつ可能性についてか。理論上の穴は無いな」
この論文が実現されるかどうかは別にして、理論的には完璧に思えた。
「本当? 嬉しい」
白崎さんが感情を表に出すことはあまりないのだけど、その時だけは素直な笑顔が眩しくて、思わずどきっとしてしまった。
だからだろうか、つい余計なことをしてしまったんだ。
「はい、白崎さん。良い論文読ませてもらったお礼」
ノートの表紙に小さく描いたのは、白崎さんの絵。笑った顔が思いのほか貴重だったから、絵に残しておきたかったんだ。
「これ……私?」
白崎さんは目を見開いて驚いていた。
やべ、余計なことしちゃったかな……
「ありがとう……大切にする」
でも白崎さんはノートを大事そうに抱えると、顔を赤くして走り去ってしまった。
「……そうか、この部分には俺が描いた白崎さんの絵があったんだな……」
俺はノートの表紙を指で撫でる。
俺の何気ない気まぐれの行動が白崎さんにとってどんなものだったのかはわからない。
でも少なくとも死んでなお、元に戻したいと思うほどには大切にしてくれていたのか。
切なさで胸が一杯になる。
ノートを抱えて走り去る白崎さんの後姿を昨日のように思い出せるのに、このノートは800年近く俺が来るのを待っていたんだ。その天文学的な確率を信じて。
待ってろよ、いま元通りにしてやるからな。
『スケッチブックのレベルが上がりました』
記憶回帰 : カケルが描いた対象物であれば、記憶している範囲で任意の状態へ回帰できる。
新たな力によって、ノートは元の姿を完全に取り戻した。
表紙も俺が描いた絵も、当時のままだ。
今度こそ。
再び挿入口へノートを入れる。
『ありがとう。次の部屋には私の残した宝物がある。処分は君に任せる』
最年少ヌーベル賞受賞者の天才で、史上最高の錬金術師としてこの世界に名を残した白崎刹那。
この世界に現存する魔道具の多くは、彼女の手によるものだとリーゼロッテは言っていた。
そんな彼女が残した宝物とは一体なんだろう。
処分と言う言葉を使うあたり、危険な代物なのかもしれないな。
幾分緊張しながら次の部屋へと進む。
次の部屋は、これまでと違ってシンプルだけど生活感のある書斎だった。
使い古された机の上には、積み上げられた日記とシラサ金属製の宝箱が置いてあった。
日記を手に取り目を通す。
最初の方の日記は、日本で書いたものだろう。
日記なのにその更新は不規則で、すごく間が空いている期間もあった。
そして、俺はその理由がすぐわかった。
だって、日記が書かれた日は、俺が研究所に行った日だったから。
日記には、俺に会って話をして嬉しかったとか、話ができなくてがっかりしたとか、そんなことが綺麗な見慣れた字で書かれていた。
あるページで手が止まった。
ヌーベル賞受賞が決まった後のことだ。
再び記憶の海に引き戻された。
「ええっ!? なんで、授賞式出ないの?」
授賞式に出ないという白崎さんに俺は驚いていた。
「うん、時間がもったいないし、それに飛行機怖いから行かない」
「そっか。確かにな。出なくても賞金もらえるんだろ? なら問題ないな」
その時はそれで話は終わったんだけど、周囲は納得しなかった。
「周囲がうるさくて……やっぱり行かなくちゃだめか……ねえ駆、もし授賞式行ったらご褒美くれる?」
「ご褒美? あんまり高いのは無理だぞ? 俺、ただの高校生だし」
「わかってる。あの、ね……ネズミーランド……行きたい。ひとりだと怖い」
白崎さんが真っ赤な顔でそんな可愛いことを言うので驚いた。そういうの興味無いと思ってたから。
でも確かにひとりで行くのは怖いだろうな。白崎さん基本研究所から出ないし。
俺も一度行ってみたかったし、誰かと行くあてもなかったから丁度良かった。そんな軽い気持ちだった。
「わかった。じゃあ、帰ってきたら行こうぜ」
「本当!! それなら授賞式行く。約束守ってね」
だけど白崎さんは帰って来なかった。
飛行機事故で、結局遺体すら見つからなかったんだ。
日記には詳細なネズミーランド計画が書かれていた。
まるで彼女の研究論文のような完璧な計画書だ。
『ねえ駆、私の計画書どう? 完璧でしょ?』
自慢げな彼女の顔が目に浮かぶ。
馬鹿だな……1つだけでっかい穴があるじゃないか。
肝心のお前が居なきゃ始まらないだろうが……約束守れないじゃないか。
ずっと悔やんでいたんだ。
俺があんな約束をしなければ彼女は授賞式に行かなかっただろうかって。
俺は白崎さんの何を見ていたのだろう。
今なら分かるよ。
記憶の中の彼女はいつだって楽しそうにしてるし、別れ際には淋しそうにしている。
もっとちゃんと向き合えば良かった。
記憶の海に潜ってみても、至らぬ自身の姿に苛立ちと後悔が増してゆくだけだった。
宝箱の中には、俺があげた修学旅行土産のキーホルダーや当たりのアイス棒、俺がちょっとしたことを書いたポストイットが入っていた。
「は、ハハハ……こんなものが宝物?」
参ったな……こんなガラクタ処分出来るかよ。
嬉しそうにキーホルダーを受け取る彼女の笑顔。
もっと可愛いのにすれば良かったな。
差し入れしたアイスが当たって子どもみたいにはしゃいでいた彼女。
そういえば、幸運の御守にするって言ってたな。冗談だと思ってたよ。
なあ、白崎さん。俺、この世界に来てすげえ強くなったんだぜ?
豪邸に住んで、すごいスキルも使えてさ。
お金だって使い切れないほどあるんだ。
でもさ、そんな俺が、ネズミーランドに行きたいって、そんな些細な願いひとつ叶えられないんだ。
笑っちまうよな。女の子ひとり救えなくて、気持ちにも気付かない男が、英雄とか言われていい気になってるんだぜ。
カケルは声を出して泣いた。
2人の距離はあまりにも離れていて、おそらく届かないかもしれないけれど。
せめて君の想いは確かに届いたのだと彼女に伝えたかったから。




