お金で買えないものは無い
「シルクの翼って確かプリメーラで人気の服飾店よね?」
確か誰かが最近行ったような話をしていた記憶がある。最低でも金貨1枚からという高級店だったはず。
公女時代なら何でもない金額だと思われそうだが、実はそんなことも無い。
クリスタリア公国は商業国家であり、他国との交易で成り立つ国だ。資源が乏しく、国民は皆商業を生業としている。
クラウディアも幼少から厳しい商業教育を受けており、伝統的に自分が使う分は自分で稼ぐのが当たり前なのだ。
公女であるクラウディアも例外ではなく、むしろ国民の範たれと、お小遣いを貰ったことは一度もない。
アルカリーゼに留学するにあたっても、国からは一切援助無しが条件だった。
本国からの支援が無い以上、当然生活費は自分で稼がなくてはならない。
クラウディアは久しぶりに両親に言われたことを思い出す。
『いいかい、クラウディア。世の中お金で買えないものは無い。食べもの、家、服、愛情や忠誠すら買えてしまうんだよ。だからね……眼を鍛えなさい。物事の価値を見極める眼を』
両親の言ったことは正しかった。
人々には生活があり、それぞれの人生がある。他人の時間を、人生の一部を自分の為に使ってもらう対価がお金なのだ。
鑑定スキルを持つ自分だから分かる。
人は対価が足りなければ不満を持ち争いの火種となる。逆に対価が多すぎても疑心暗鬼を生み、良からぬ事を考え始める。
適正な対価が保証された社会こそが、クラウディアの理想であり、クリスタリア公国の国是なのだ。
そこまで考えてクラウディアは思考を現実に戻した。今は祖国の事を考えても仕方がないから。
クラウディアが勤める冒険者ギルドの受付嬢は、命の危険が無い仕事の中ではトップクラスに給与が高いが、それでもこれまで新しい服は一着も買っていなかった。
将来が見通せない状況で無駄遣いなど、金銭感覚に優れたクラウディアにはとても出来ることではなかったからだ。
(……でも、今はカケル様がいるし、そもそもデートに着ていく服も無いし……)
受付嬢の制服を着てゆく訳にもいかないわよね、と自分に言い聞かせ、
(必要経費だし……せっかくだから一着だけ買っていこうかしら♪)
この封筒を届ければクエスト報酬も出るのだしね、と久しぶりの買い物に胸踊らせるクラウディア。
夕暮れ迫る街を、足取りも軽くシルクの翼を目指して急ぐのだった。
「こんにちは〜」
シルクの翼は白亜の2階建ての大きな建物で、1階が店舗兼ショールームで、2階がデザイン事務所となっている。
ドワーフの店らしく様々な鉱石でセンス良く装飾された扉を開けて広い店内に入る。
さすがに高級店ということもあり、店内の客は皆、一見して裕福だと分かる身なりをしており、自分が少々場違いな恰好をしていることに気づいて少しだけ悲しい気持ちになる。
(もう少しマシな服を着てくれば良かったわね………)
それでも自分は依頼で来たんだと割り切り、近くの店員に声をかける。
「すいません、冒険者ギルドの依頼で来たんですが……」
「ああ、聞いてますよ。すぐにオーナーを呼んで来ますね!」
パタパタと2階へ上がってゆく若いドワーフ族の女性店員。
少ししてオーナーらしき女性が降りてくる。黄色い髪に褐色の肌をした大人の色気が溢れている。
そして――――
(な、何て凶悪な得物を持っているの……)
オーナーの圧倒的なまでの巨大な双丘に戦慄するクラウディア。
「こんにちは、私がシルクの翼のオーナーで、店主のドミニクよ。そう……貴女が……さすがね」
面白そうにクラウディアを眺める店主。
「? とりあえず、依頼の封筒です。確かにお届けしましたよ」
封筒を開けて中身を確認するドミニク。
「はい、確かに受け取りました。これが依頼完了の確認印よ」
「ありがとうございます! また何かありましたらどうぞ御贔屓に」
あまりにも簡単な依頼に少々後ろめたさはあるが、依頼は依頼だ。おそらくは重要な書類だったのだろう。
冒険者ギルドにはそれこそ意味不明な依頼が山のように来る。冒険者といっても、多くの人々にとっては、あくまでも便利屋的な存在なのだ。いちいち内容の詮索はしないし、そもそもマナー違反である。
これで買い物に集中出来る――――
「それじゃあクラウディア様、着替えてもらいますので試着室へどうぞ」
買い物に意識を切り替えようとしたクラウディアにドミニクが声をかける。
「へ? 着替えるって?」
訳が分からず戸惑うクラウディアを強引に試着室へ連れてゆくドミニク。
「貴女が持って来たのは、ドレスの引き換え証よ。さあ、早く着てご覧なさい……」
言われるままドレスに着替えるクラウディア。
「……な、何これ……素敵……」
公女時代にも見たことが無いほどの美しく洗練されたドレスに思わず絶句する。
夜空を切り取ったような濃紺の生地はクラウディアの瞳の色とお揃いで、星をイメージした宝石が散りばめられている。
何より驚いたのは、採寸していないのに、サイズがピッタリなのだ。
「はあ……これは凄いわね。良く似合っているわ、クラウディア様」
ドレスを仕立てたはずのドミニク本人も思わず息を呑むほどの光景がそこにはあった。
ドミニクには分かる。このドレスが目の前の女性を想ってデザインされたことを。
(羨ましいわね……こんなに想われているなんて)
「あ、あの……ドミニクさん、これは一体?」
ますます困惑を深めるクラウディアにドミニクは思わず吹き出してしまう。
「あらあら、まだ気付かないのかしら? こんな私ですら見たことが無いような斬新なデザインと貴女の完璧な寸法を持ち込んで、わざわざギルドに依頼まで出して貴女を驚かせようとする人なんて、そうそういないと思うのだけれど……ねぇ、カケルさま?」
「へ?」
間抜けな声を出して振り返れば、そこにはクラウディアの逢いたかった人が立っていた。
「良く似合ってるよ、クラウディア。じゃあ行こうか?」
「は? え? 行くってどこに?」
「もちろん、クラウディアとデートに決まってるじゃないか」




