35.邂逅
時間を稼ぐ、つもりだった。
(どうして……、こうなっているの?)
音もなく近付いてきて、私の口を封じた男性から慌てて距離を取り、私はドレスの下に忍ばせていた小刀を手にその男性と対峙していた。
何故私がエイミー様の部屋にいるかと言うと、それも“計画”の一つだから。
彼等が動き出す夜、私とエイミー様が別々の部屋で寝ているということは、シーラン侯爵が知らせていることだろう。 そう思った私は、エイミー様に変装し、彼女の身代わりになった。 そうすれば、エイミー様の部屋にある部屋の“脱出口”の場所をカモフラージュ出来るからだ。
私が止まっている部屋には、外へ出るための隠し通路はないと言う。 私がいなければ、そう言った隠し扉を私が泊まっている部屋から探し出そうとする筈だし、時間稼ぎにもなる。
そうして私がエイミー様に扮している間に、エイミー様はこの部屋の脱出口を使い、外へ避難、そして、このことを王家に伝えるという手筈だった。
(エイミー様が見つからないよう、何とか時間を稼がなければ)
そう思っていたのに。
「っ……」
私の背中を冷や汗が伝う。
対峙している人物は、目深にフードを被っているから分からない。
月明かりだけが頼りのこの部屋で張り詰めた空気の中、私は口を開いた。
「来ないで。 ……私は、人質になるくらいだったら、今すぐ此処で自分の命を絶つわ」
「……!?」
そう言うと、自分の首に小刀を突きつける。
相手が息を呑むの感じ、私は震える手を抑えるよう、両手でその小刀を握りしめた。
(この言葉は勿論、本気ではない。 ただ動揺させて、少しでも時間を稼ぎたいだけなのだから。 私がいなくなってしまっては、この部屋を調べられて脱出口を見つけられてしまうもの。 何としても、エイミー様が無事に辿り着くまではこの部屋に人を近付けないようにしないと)
時計の針の音だけが、耳に響く。
そんな空気の中、私の手は情けなくも震えてしまっていて。
感覚が、麻痺していくのが自分でも分かる。
(っ、どうしよう)
その後のことなんて考えていない、という迷いが出始めた中。
コツ、と靴音が耳に届く。
「っ!」
ハッと驚いた時には、遅かった。
いつの間にか背後に回り、その男性によって刀を持っていた方の手を掴まれ、その反動で小刀を床に落としてしまう。
カチャン、と落ちた小刀を私は呆然と見つめてしまう。
(っ、今、何が起きたの……?)
そんな一瞬の出来事に、私が驚き目を見開けば。 仮面越しのくぐもった声が、耳元で囁いた。
「……まさか、自分を傷付けるとは思わなかった」
「え……っ」
ピリ、と首元に痛みが生じる。
気が付けば、その人が私の首にいつの間にか小刀が触れて出来た傷を触ったようで。
(……手が震えて、肌に傷付けてしまったんだわ)
その言葉にそんなことを考えてしまったが、我に返り慌てて離れようと抵抗する。
「っ、離して! どうせ殺されるのなら、自分で死んだ方がマシよ!! 離しなさいってば!!」
私がいくら足掻いても、その男性の腕は私を掴んだまま、ビクともしない。
その代わり男性は息を吐くと、口を開いた。
「……これでも、まだ死にたいなどとほざくおつもりですか」
「!?!?」
その口調、その声音。 嫌と言うほど聞き知ったその声に、私は反射的に動作を止めた。
(ま、さか)
その男性が、顔を覆っていた仮面に手をかける。 私の頭の中では警鐘が鳴り響いた。
見てはいけない、見たらもう、後戻りは出来ない。
そう思う私とは裏腹に、視線はその人から目が離せなくて。
ハラリ、と仮面が落ち、静かな部屋の中で床に落ちたその音が大きく響く。 ただ、その仮面のことなど今はどうでも良かった。 ……問題は。
「……う、そ……」
掴まれた手から、急速に血の気が引いていく。
……月明かりに照らされる、夜空を模したような特徴的な藍色の瞳。
いつもは銀の髪を持つ彼の、変装時の黒髪が私の視界の端で揺れた。
そして、私がよく知るいつもの無表情で、その口は残酷な言葉を紡いだ。
「お怪我をさせてしまい申し訳御座いません、お嬢様」
「っ……、ぁ……」
彼の名前を、こんな形で呼びたくない。 だって、彼が此処に居るはずなんてない、筈なのだから。
喉が急速に乾き、視界からは色を失う。
(……違う、嘘、そんなはずは……っ)
私がよく知る、彼ではない。
だから、“お嬢様”、なんて呼ばないで。
(だって、貴方は今は)
「……貴女は、私と一緒に来て頂きます」
口調は丁寧なのに、有無を言わさないその言葉は、私の心を深く抉るように突き刺さる。
(っ、違う……、私が知っている彼が、こんな、敵で、裏切るような、人なんかでは)
今度は、目の前が真っ暗になっていく。
体から力が抜ける寸前、そのまたよく知る体温に抱きとめられるのを感じ、私の目からは涙が零れ落ちる。
(……お願い。 嘘だと、言って)
―――……レオ。
(エイミー視点)
「っ、はぁっ、はぁっ」
真っ暗な暗闇の中を只管走る。
履き慣れている筈の靴の踵は靴擦れを起こし、血が出ているのは見なくても分かる。 これに加え、険しい森の中の足元に落ちている枝が引っかかり、無数の傷を足に作っていく。
着てきた服もボロボロだと思うけれど、何れにも目を向けている暇はなかった。
(っ、早く、行かないと……っ)
ジュリア様が私に託して下さった計画が水の泡になってしまう……!
「何処だ!」
「探せっ!!」
「っ……!」
(もうこんなに近くに……っ!)
すぐ近くで、男性方の声がする。
一緒に行動していたカイルさんは、脱出口から脱した後に敵に見つかってしまい、それを食い止める為にその場に残り、私だけ先に行くよう促してくれた。
だから今は一人で王城へと続く森の中を走っている。
道は合っている筈だけれど、敵に気付かれないようにするため、蝋燭やランプの光はなく、木々の間から僅かに照らす月明かりだけを頼りに深い森の中を進んでいた。
(元々ある道は王城へ行くには遠回りになってしまうし、敵にも見つかりやすくなってしまう。 っ、だから幼い頃から城下へこっそり訪れるために使っていたこの道を選んだけれど……っ)
城下には数度、幼い頃にお忍びで訪れただけで、夜の森の中を突っ切ることなんてあるはずがない。 だから、余計に不安は募ばかりで。
(それに、敵の声も近い……っ、どうしよう、どうしよう……!)
息が切れる。 意識が朦朧とする。
それでも、走り続けなければならない。
だって、私はもう一人ではないから。
“私は、ずっと貴女の味方であると同時に、貴女こそが、この国の未来に必要な方だと信じているわ”
私を信じて身代わりにまでなってくれたジュリア様。
そして、私がずっと憧れ、いつしかその気持ちが恋に変わったエドワード殿下の笑顔が、脳裏を過る。
「きゃ……っ!?」
ズザッと、折れた木の枝に足を引っ掛け、今度こそ転んでしまう。
(っ、起き上がらなきゃ……!)
そう思っても、その手に、足に力が入らない。
それでも懸命に、動かない足を引きずろうとしたその時。
「っ!?」
パッと辺りが一瞬で、暗闇に慣れていた目には痛いくらいの眩しい光に包まれた。
(っ、駄目……!)
敵だ、そう思ったその時。
「エイミー嬢!!!」
「!?」
その言葉とともにふわっと訪れる、温かな温もり。
ハッとして見上げれば、其処に居た人物は。
「っ、え、え、エド……っ」
声が震えて、思うように“彼”の名前が紡げない。
そんな私を見て、彼は着ていたマントを私の肩にかけてくれながら口を開いた。
「……遅くなってしまってごめんね、エイミー嬢。 辛い思いをさせてしまったね」
「っ、そ、んなこと……っ、そ、そんな、私のことより、じゅ、ジュリア様、がっ……!」
震える口で何とか紡ごうとした私に対し、彼は……、エドワード殿下は、笑みを浮かべて言った。
「大丈夫、全部分かっているから。 ……必ず、ジュリア嬢を助けるから安心して。
それに、君が無事で本当に良かった」
「!」
彼の温かな指先が、私の目尻に触れる。
その行動に驚きながら、私はまだ震える口で、でもどうしても聞きたいことがあって言葉を紡いだ。
「どうして……、私の居場所が、ジュリア様の件のことも、分かったのですか」
その言葉に、エドワード殿下は笑みを浮かべ、「約束したでしょう?」と言うと、不意に私の手を取った。
「へ……っ!?」
その行動に驚き、間抜けな声が出たものの、彼は突然、私の手の甲に口付けを落とした。
それと同時に、私の脳裏でいつかの光景が重なる。
(っ、まさか……)
そして彼は、思わず息を飲む私に対し、更に驚きの言葉を告げた。
「『……君を、必ず救ってみせる。 約束しよう。 だから君も、私を信じて』……、そう約束したのを覚えていない?」
「っ、やっぱり、貴方、は」
その言葉に私の疑念が確信に変わったその時、多くの馬の蹄の音が私達の耳に届いた。
「っ、殿下、ご無事ですか!?」
馬に乗る一人の騎士が現れ、そう声をかけられたのに対し、殿下は大きな声でそれに返答する。
「あぁ! エイミー嬢は見つかった!! 今行く!!」
そういうと、彼は私を横抱きにした。
「ひゃっ!?」
突如訪れた浮遊感に私が思わず悲鳴をあげれば、間近にある彼が心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「辛くない?」
「っ、わ、私は、平気です……っ」
恥ずかしさのあまりそう答えるのが精一杯の私に対し、それが殿下にも伝わってしまったのか、くすりと笑って口にした。
「そうか、良かった。 ……後のことは私に任せてゆっくり休むと良い」
その言葉に、ジュリア様のことが頭に浮かぶ。
「っ、ジュリア様は、ご無事なのでしょうか」
「きっと……、いや、彼女なら大丈夫だよ。
あの子はそんなに簡単にやられるほどやわじゃない。 それに、」
その後エドワード殿下は月を見上げ、小さく何かを呟いたけれど、その言葉は私の耳に届くことはなかった。




