30.“仰せのままに”
「……で? どうして貴方が此処にいるの?」
「……」
王城内のエドに用意された部屋の一室で私は、“元従者”……、他でもないレオと対峙していた。
私の質問にレオは答えず、ただ黙り続ける。
仮面を被っているから余計に彼の表情は分からず、そんな彼の代わりに私は息を吐いた。
「まあ良いわ。 貴方はもう私の従者でないもの。
私の命令を聞く必要もないし、何なら私を“暗殺”することも出来るような方だものね」
「! ……っ」
その言葉に彼の肩が大きく揺れる。
私は口元だけふっと笑みを浮かべて口にした。
「貴方が今何をしていようが私には関係ない。 もう私と貴方は赤の他人同然だもの。
……虚しいものね。 私達は4年間も一緒に居たはずなのに」
「……」
それでもレオは黙って下を向いているだけで。
「……だんまり、ということね。 貴方がその気なら仕方ないわ。
だけどね、私気が付いているのよ」
その言葉に彼が初めて顔を上げる。
私は、その仮面の下に隠れている瞳に向かって口を開いた。
「私のこと、会場からずっと見張っていたでしょう?」
「……!」
「気が付いていないとでも思った?」
レオが私を先程の男性から庇ったことで全てが繋がった。
会場で私に向けられていた視線……それも視線が外れるような感じはしないのにも関わらず、一切姿を見せないその護衛の仕方は、レオが得意としているもの。
「……どんな理由で貴方が従者をやめたかは知らない。 聞くことも無粋だと思うし、きっと聞いても貴方は答えてはくれないから良いわ。
でもね、」
「!」
私はツカツカと彼に歩み寄ると……、そんな彼の胸に向かってドンっと拳を振り下ろした。
「っ、助けてくれなくて良かったのよ。
私はもう貴方の主人ではないのだから」
(私が傷付いたって、貴方なら痛くも痒くもないでしょう?)
「……それに、先程の方と知り合いだったようだし、私をあそこで助けるべきではなかったと思うわ。
その行動一つで周りがどう思うか……、貴方、考えたことはある?」
「! ……」
言葉を発せず、ただ息を飲んで話を聞くだけの彼に、私は頭一つ分違う彼を見上げ、口を開いた。
「一つだけ質問するわ。
最後だから、せめてこの質問には答えて頂戴」
レオはその言葉に何も言わなかったものの、黙って頭を縦に振った。
私はその行動にふっと安心からか笑みをこぼすと……、彼に向かって言葉を紡いだ。
「……私の従者であったこと、貴方は幸せだった?」
「!」
「お世辞ではなく、本気で私の従者でいたことを、幸せだと思ってくれていた?」
私はじっと彼の言葉を待つ。
そんな私に根負けしたように、彼も少し息を吐き……、やがて“レオ”として初めて言葉を発した。
「……はい、お嬢様」
「! ……っ、ふふ、そう……」
それが例えお世辞でも。
その言葉が私の胸にストンと落ちて。
じわり、と温かな気持ちが心の中に広がっていく。
「……それは良かったわ、レオ。
私も……、貴方が側に居てくれた時間が幸せだった。
だから、」
グイッと彼のタイを引っ張る。
そして、顔を覆っているその仮面にそっと口付けた。
「……!?」
仮面の下で、彼が大きく狼狽えているのが分かって。
私は思わずクスリと笑うと口を開いた。
「有難う、レオ。 元主人からこんなことされても嬉しくないでしょうけど……、貴方に、最上級の感謝を込めて」
「!!」
胸にこみ上げた熱が、不意にこぼれ落ちそうになる。
私はぐっとそれを堪え、精一杯の笑みを浮かべて淑女の礼を取り言った。
「……幸せに、なってね」
愛称で呼ぶことも、
名前を呼ぶことも、
きっとこれが最後になる。
だから、
せめて貴方の瞳に映る私が、笑顔であることを願って。
「……さようなら、“レオ”」
「……っ」
そう告げて私は部屋を後にしようとした、が。
(っ、何で……)
私の足が止まる。
それは、彼が私の腕を掴んだから。
思わず振り返った私にまるで縋るように、彼は口を開く。
「っ、どうして……、私だと分かったんですか」
「! ……その質問こそ、無粋ではなくて?」
そう答えれば。 彼はクシャッと、いつもの銀色の髪とは違う黒の前髪をかき上げたかと思えば、小さく言葉を発した。
「……やはりお嬢様には敵いませんね」
「!」
そう言った彼に突如、腕を強く引かれて……、気が付けば一瞬の内に彼の腕の中にいた。
「!? は、離して」
「申し訳ございません、お嬢様。 その願いにはお答え出来ません」
「は、何言っ……!?」
私が抗議の声を上げている最中あろうことか、レオは私の仮面を取り上げた。
「!?!?」
バッと、慌てて部屋の灯りの下に晒された顔を隠す。
レオは驚いたように口にした。
「泣いて、いらっしゃるのですか?」
「! ……〜〜レオの馬鹿っ!!」
バシッと彼の胸を思い切り叩くと、レオは暴れる私をギュッと腕の中に閉じ込め、これ以上ないほど弱々しく謝罪の言葉を口にした。
「申し訳御座いません、お嬢様」
「っ、何が!?」
「お嬢様に黙って従者を辞めたこと、一生お仕えするという約束を破ったこと、不躾にもお嬢様に対して敬語を使わなかったこと、それから、貴女をこうして泣かせてしまったこと……」
「っ、本当よ! どうして貴方は……っ、主人に対する行動が、なってないわ……」
こうして今だって主従ではあるまじき行為をしているというのに……。
「……申し訳御座いません、お嬢様。
今の私では多分、貴方を怒らせるような言動しか出来ないと思います」
「っ」
私はその言葉に押し黙ってしまう。
そんな私に向かって、彼は囁くように言葉を紡いだ
「……もう一度、お顔を拝見してもよろしいですか」
「っ、嫌だ」
「お嫌ですか」
そうシュンとしたような声で言われては、私も弱くなってしまう。
高鳴る胸を押さえ、私は恐る恐る口にした。
「酷い顔をしているわよ」
「大丈夫です」
「それの何処が大丈夫なのよ。
……それなら貴方の顔も見せて。 私だけでは不公平だわ」
「! 分かりました」
そう言って、彼の仮面が外れる音が耳に届く。
恐る恐る私は彼を見上げ……、息が詰まった。
そして後悔した。
(……っ)
たった数週間会えなかっただけなのに。
どうしてこうも心が震えるのか。
その答えは、残酷な程に分かっていたけれど……。
彼の憎らしいほど整っている顔立ちに、澄んだアイスブルーの瞳。
その瞳に私が映っていることが信じられなくて。
「……っ、変わってない」
漸く紡いだその言葉に、彼は笑って答える。
「数週間会えていないだけなのですから、それで変わっている方が怖いでしょう。
……お嬢様、だから泣かないで下さい」
「っ、泣いてないわよ」
「相変わらずお嬢様は……、見栄をお張りになるんですね」
「ば、馬鹿にしてるの!?」
私がムキになって怒ると、彼は柔らかな笑みをたたえてクスクスと笑う。
そして彼の手にある、私から取り上げた仮面を見つめてレオは口にした。
「私も……、すぐに分かりましたよ。 貴女だって」
「! どうして……」
「分かりますよ。 だって4年、貴女のお側で仕えておりましたから。
それに、貴女のその仮面に付いている藍色の蝶を見て……、どれだけ心が震えたか、貴方には分かりますか」
「!! ……この蝶にも気付いていたの?」
私がそう尋ねれば、彼は何も言わずふっと笑う。 その笑顔に思わず見惚れてしまう私に対し、彼の顔が不意に近付いて……――
「……っ」
私の前髪を持ち上げたと思ったら、その額に彼の口付けが落とされる。
そして、彼の頭が私の肩に乗った。
その一連の行動に驚く私に対し、彼は本当に小さく、耳元で呟くように言う。
「……私は貴女のことをいつも思っています」
「!! レオ……?」
「……必ず、戻りますから。 許されるのなら……、もう少しだけ、待っていて下さいますか」
ジュリア様。
「……!」
私はその言葉にまた泣きそうになるけれど、一生懸命堪え、逆に挑戦的に笑みを浮かべて言ってみせる。
「私、気が短い方よ」
「! ……存じ上げております」
レオはその言葉に表情を暗くする。
私はふっと笑うと、口にした。
「ウソ。 ……困ったことに、私は貴方が側に居ないと駄目みたいなの」
「! お嬢、様」
「だから約束して。 必ず……、戻ってくると」
「! ……ジュリア様の、仰せのままに」
そう彼は告げ、私の手にいつの日かのように口付けを落とすと……、私の手の上にそっと私の仮面を乗せ、彼自身も外した仮面を被り直し、部屋の窓を開けた。
「っ!? え!?」
そしてレオはそのまま……、あろうことか、窓から飛び降りた。
(っ、此処は3階よ!?)
私は慌てて窓の外から身を乗り出したが……、彼の姿は夜の闇の何処にも見当たらなくて。
人並み外れたその行動に思わず腰が抜け、その場に座り込んでしまう。
まるで泡沫のように消えてしまったそんな一瞬の出来事に、夢か現実なのか分からなくなる。
……だけど、触れられた手が、温かな唇の感触が、額にも手の甲にも残っていることから、彼が私の側に居たということをまるで教えてくれているようで。
(っ、はは、何処までも貴方は)
「……ずるい人」
そうポツリと呟き、その手の甲を見つめた私の瞳から一筋、涙が零れ落ちたのだった。




