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光は、部屋へ戻った。
そこには、背の高い一見異国の雰囲気がある、黒髪に鳶色の瞳の、若いのかそうでないのか分からない男が椅子に座っていた。
いきなりに居たにも関わらず、光は驚く様子もなく言った。
「終わりましたよ。それで、今回はどうでしたか?」
相手は、フフンと小馬鹿にしたような笑い方をした。整った顔をしているので余計に冷たい雰囲気を感じる。
しかし相手はそれに気付ていないようで、言った。
「まあまあじゃないか?だが、人狼ゲームとしては失格だな。何しろこの防音設備の中で戦っているというのに、君は己の人狼としての能力を使ったのだろう?薫を狂人だと知れたのは、隣りの通信を聞いたからだ。そんなことは普通のヒトには出来ない。私の作品である君だからこそ出来たのだ。不公平だとクライアントにも言われたよ…だが、まあいい。あの薫というヤツはなかなかに面白い動きをする奴だった。度胸のあるヤツは私は好きだよ。」
足を組んで座っているその前で、光は相手を見て頷いた。
「処置は?」
相手の男は頷いた。
「させている。君のお仲間もさっき眠らせて地下へ送った。予定ではあと数日ここで過ごすはずだったのだ。すぐに戻すなら残りの数日はここで遊ばせて面倒見るしかないが、どうする?あと数日こちらで預かって記憶処理を最終日まで伸ばして、返す事も出来るがね。」
光は、頷いた。
「任せます。で、オレが言ったことですけど…。」
相手は、立ち上がって手を振った。
「ああ、君に関する記憶だろう。面倒だったが、やっておいた。あの幼馴染とかいう女性の記憶からも全て抜いたが、良かったのか?下界へ戻りたい時が来るかもしれないのに。」
光は、首を振った。
「いいえ。オレはもう、自分が人狼になった時から、家族や友達は捨てようと決めていたんだ。軽く考えてましたよ…人狼になるってことを。博正と真司に、そんな簡単なことじゃないってあれほど言われていたのに。いい機会なんです。それよりジョン、傷は残らず消えましたか?なんか留美が落ちたような音が聞こえたけど…。」
ジョンと呼ばれた男は、それを聞いて顔をしかめて立ち止まった。
「あの女か。暴れるからあんなことになるんだ。お陰で手が掛かってしまった。だがまあ、障害は残らないだろう。薬品の投与が間に合ったからこそだぞ?まったく、覚えていたら文句を言うところだ。」
光は、ホッと胸をなでおろした。
「ありがとうございます。じゃあ、オレはあなた方と一緒にこのまま研究所へ戻ります。」
ジョンは、頷いた。
「わかった。」
すると、開いた扉の向こうから、声がした。
「彰さん?ここですか。光は連れて帰るんですよね?一時間後にヘリが迎えに来るので準備してください。」
彰と呼ばれたがジョンが答えた。
「分かった。一時間だって?マーティンに待たせるなと言っておけ。要、君は後始末を手伝うのか?」
要と呼ばれた男は、面倒そうにうなずいた。
「書き換えた記憶の不具合があった場合、調整出来る者が今ここに居ないので。今やってる一人がどうも例の体質で薬が効きにくいようなんです。面倒ですけど最後まで監視してから送り出しますよ。あのごねてたクライアントからは無事に料金を徴収出来ましたか?」
ジョンは、不機嫌に廊下へと出て行きながら、頷いた。
「契約書には始めから、ゲーム内容を問わずと記してある事と、払わないなら信用が無いので今後一切治療などしないと私が言ったら、慌てて払ったよ。あんな奴でも、自分の命は惜しいらしいな。研究費を落としてくれるなら、いくらでも治療してやるつもりだが、こちらも選ばせてもらうからな。」
要は、苦笑した。
「彰さんが気難しいのはみんな知ってますからね。誰であろうと機嫌を損ねたら治療どころか何をされるか。」
ジョンは、顔をしかめて要と歩き出しながら、言った。
「何を言っている。私は人命を救うことはあっても、奪うことに手を貸したことはないぞ。だが、研究所にはいろいろなヤツが居るからな。私が見ていない所で検体を犠牲にしたことは確かにある。私の手にも負えないようになれば、どうしようもないからな。私は神ではない。」と、光がじっとまだ部屋の中に居るのに気付いて、振り返った。「光、準備しろ。一時間後に出るぞ。10分前に外へ来い。ではな。」
そうして、二人は出て行った。
光は、しばらくじっと立っていたが、ゆっくりと動き出し、腕輪を軽々と外すと、机の上に放り投げた。
開いたままの扉の向こうには、チラチラと白い防護服のような物を来たスタッフが見える。
このゲームの後片付けが行われているその中で、光は自分の少ない荷物をまとめ始めたのだった。
次の日の朝、敦は目を覚ました。
頭がぼうっとする…昨日は何をしていたのだっけ?…そうだ、みんなと人狼に飽きてボードゲームをしながらしこたま飲んだ…そのせいか。
敦は、はっきりしない頭を振って意識をはっきりさせようとした。
だが、頭に霞が掛かっているような感じは収まらなかった。
顔を洗って着替えた敦は、扉を開いて下へと向かった。コーヒーでも飲んで、目を覚まそうと思ったのだ。
もう、日は高く昇っている。
リビングの時計を見ると、もう11時を過ぎていた。
寝すぎたのかとキッチンへと入ると、そこにはだるそうな顔をした賢治が居た。
「ああ、敦。お前も?酷い顔だぞ。」
敦は、そう言われて脇の大きな業務用冷蔵庫の、ピカピカなステンレスの扉に映る自分顔を見た。
確かに、自分も何年も老け込んだような顔をしていた。
「飲み過ぎたかな。お前もだろ、賢治。」
敦が負けじと言い返すと、賢治は自分の頬を撫で上げながら素直に頷いた。
「だるくてさあ。頭がはっきりしない。昨日はみんなはしゃぎ過ぎたんだよ。みんなやっとさっき起きて来た所だ。」
敦は、缶コーヒーを手にしてリビングのソファを振り返った。
そこには、見事なマグロ達がバタバタと倒れていた。
「なんだよ、みんな同じか?」と、なんとか笑顔を作りながらそちらへ歩いた。「利典はそうでもなさそうだ。」
比較的まともな様子で座っている利典に声を掛けて隣に座ると、利典はムッツリと言った。
「そうでもないぞ。頭の中をかき回された気分だ。まるで何日も寝てたみたいにはっきりしなくて、今日はアルコールはやめておこうと思ってる。」
敦は、笑った。
「それはそうだろう、お前はずっと…、」
言いかけて、敦は止まった。ずっと。何を言おうとしたんだろう。
利典は、怪訝な顔をした。
「なんだって?」
敦は、なんだか分からないが何かが頭に引っ掛かって、戸惑いながら首を振った。
「いや…なんでもない。」
そうは言ったが、敦は自分に納得して居なかった。
向こう側でソファに沈みこんでいた、留美が言った。
「もう体調最悪ー。あちこち痛くてどこかで打ったのかもしれないの。朝起きたら、ベッドから落ちてて…打ち身が出来てた。」
それには、真理が言った。
「それは寝相の問題じゃない?お酒やめた方がいいよ。」
それを聞いた留美は、恨めしげに真理を見た。
「何よ言うようになったわね、真理。確かにそうだけど。」
敦は、いつもはおとなしい真理がそんな風に言うのを初めて見た。…はずだったが、何かが腑に落ちない。こうなった理由があったはずなのだ。理由…。
敦が黙って考え込んでいると、貴子が言った。
「ほんとそうよ。典子も、早く治して後片付け手伝ってくれないと。洗い物も全部私と真理がやったんだし。」
典子は、軽く貴子を睨んだ。
「はいはい、わかったわよ。全く一緒に生活したら本性出るのね。おとなしいふりしてたのに。」
貴子は、その嫌みもフフンと鼻で笑って流した。
「ゲームで発言できないからっておとなしいとは限らないわよ。」
敦は、ハッとした。ゲームで発言できないって…?いや、むしろ積極的に考えて、最後には強く言い合ってたんじゃなかったか。
あれは、いったいどのゲームだっただろう。
どうにも思い出せず、これまでやったはずのゲームの勝敗までは思い出せるものの、内容は皆目出てこなかった。それなのに、そんなことを思うのはなぜだ?
敦がムッツリと黙っていると、そこに気だるげな様子の薫と、美奈の二人が入って来た。
「もうねえ、だるいったらないんだよー」と、脇の美奈を見た。「美奈ちゃんもさあ、具合悪いみたいで。もう、帰った方がいいのかなあって今話してたんだー。」
薫と美奈を見た瞬間、敦は一気に何かが頭の中で弾けたのを感じた。
そうだ…!美奈は狐で、薫はオレ達を助けるために吊られて行った!どうして忘れていたんだろう、オレ達はリアルに人狼をさせられていたのだ。ここで、ボードゲームをしていたわけじゃない!
「薫!」敦は、薫に飛び付かんばかりに駆け寄った。「お前のお陰だ!オレ達は、勝った!でも光…」敦は、回りを見回した。「…光は、どこだ?」
敦は回りを見回した。しかし、ここに居る全員が唖然として敦を見上げている。
薫が、驚いた顔をしていたが、呆れたように言った。
「なに?人狼?同じ陣営になったことあったっけ?っていうかさあ、光って、誰?」
敦は、眉を寄せた。
「光だよ!何言ってるんだ。美奈ちゃん、君の幼馴染だよね?」
美奈は、困惑した顔をした。
「あの…私幼馴染なんか居ないですけど…」
敦は、驚いて皆を振り返った。全員が、困ったように敦を見上げている。
敦はそれでも言った。
「光の紹介で来たんだろう?君はサークルメンバーじゃないじゃないか。」
美奈が困っているのを、見かねて健吾が口を開いた。
「何を言ってるんだ?美奈ちゃんは美津子さんがたまたま店に来たのを声掛けて連れて来たんじゃないか。夢でも見たのか?」
敦は、愕然とした。全員が、敦を気の毒そうに見ている。利典が立ち上がって、敦を促した。
「昨日飲み過ぎたんだよ。まだ寝てたほうがいい。ほら、部屋までついてってやるから。」と、無理に敦を引っ張りながら、賢治を振り返った。「薫が言うように、早く切り上げた方がいいかもしれんぞ。」
賢治は、黙って頷く。
敦は利典に引っ張られて、部屋へと強制的に押し込まれたのだった。