18
しばらくして、ソファに座って憑き物が落ちたようにうなだれている美奈と、それをただ黙って見ている美津子、放心状態の貴子と留美の所へ、男子達が降りて来た。
全員がむっつりと黙り、一様に暗い顔をしている。
盛大に吐いていた賢治は、真っ青な顔のままだったが、もう吐いてはいなかった。
昨日あれだけ飄々としていた薫まで、真剣な険しい顔をしている。
段々に正気に戻って来ていたとはいえ、まだ混乱していた美奈は、その様子に逆に我に返った。
…本当に、殺されるんだ。
そう思うと、スッと美奈の頭は、冷静になった。
狐だから、襲撃されることはない。それを、美奈は知っている。だが、今はそれを気取られるわけには行かない…。
光が、ソファに真っ先にやって来て、そこへ沈んで頭に手を置いた。
「ふー、さすがに参ったな。まさか、本当に襲撃されるとは…。」
昨日から、常に冷静に回りを見て分析していた光だったが、さすがに真理の姿を見たのは堪えたようだった。孝浩も、憔悴し切った賢治を介抱しながらソファに座って、言った。
「初めて本物の死体ってのを見た。オレ、考えたら親戚の葬式にだって出たことなかったのに、まさか最初に見たのが惨殺死体だなんて…オレも吐きそうになったよ。」
敦が、硬い顔で言った。
「惨殺ったって首を一太刀だったぞ。」皆がギクッと体を強張らせて敦を見た。敦は続けた。「どんな風に殺されたのか知りたいじゃないか。明日は自分かもしれないんだぞ?抵抗出来るなら抵抗したい。」
光が、まだ額に手をやったまま、言った。
「ああ。敦の言う通りだ。オレも見た…人狼ったって本物が居るわけじゃない。あれは人の仕業だよ。頸動脈を狙ってたよ…間違いなく。オレも医者の端くれだ。あれが狙ってたのは分かる。」
それを聞いた美奈は、目を丸くした。医者…?!
「え、光、医者っ?!医大行ってたの?」
光は、うんざりしたように美奈の方を見ずに手を振った。
「ああ。こっちでは行ってない。あっちでは医者だよ。そんなこと今はどうでもいいことだ、そうだろう?」と、背もたれから身を起こした。「そう、滅入ってる場合じゃないな。オレが見たところ、死因は首の頸動脈からの失血死。あの量の出血だ、すぐ見つけていたとしてもまず助からないだろうがな。一気に噴き出したと思うぞ、あの切り方だと。」
貴子と留美が、また真っ青になり今にも吐きそうな顔をする。賢治も、せっかく落ち着いたのにまた気分が悪いのか口を押さえて横を向いていた。
敦が、頷いて言った。
「気持ち悪いとか言ってられない。オレも一緒に見てたんだが、他にも奇妙なことがある。」それには、皆が敦を見る。敦は続けた。「真理には、まったく抵抗した様子が無かったんだ。いくら寝てたって、首を切られたら目が覚めるだろう。だが、暴れた様子もなければ、目を開いた様子もない。ただ、じっと寝ている時に、さくっと刺されて、寝たまま出血して、死んだ感じだ。つまり、真理自身はまだ自分が死んだことにも気付いてないかもしれないぐらいなんだ。」
美奈は、それを聞いてふと、腕輪を見た。もしかして…もしかして、襲撃される前に、これで何かされるのでは…?もしかして、麻酔でもかけられて…?
美奈が、じっと腕輪を見ているので、それに気付いた貴子が、横から言う。
「あなたも、そう思う…?私も、もしかしたら腕輪で眠らされてたんじゃないかって…。」
それには、孝浩が自分の腕輪を見てから、また貴子を見て、言った。
「なんだって?じゃあ、誰だか分からんが人狼陣営の奴が誰を襲撃するか入力したら、どっかでこれを見てる奴らが、この腕輪でオレらになんかして、それで、人狼が襲撃出来るようにしてるってことか?!抵抗もできないって?!」
美津子は、ただ黙っている。黙って聞いていた、利典が口を開いた。
「そう考えたら辻褄が合う。無駄に分厚い腕輪じゃないか。中に何か仕込んであってもおかしくはないだろう。もしかしたら、そうなのかもしれない。狩人が守ってたら、そんなことは起こらないってことか。」
一番後ろに居た、健吾が言った。
「狩人の責任は重大だな。本当の人命を背負ってるってことか。だが、ということは、人狼の役職を引いたヤツは、本当に殺してるってことだな?この中に、本物の人殺しが居るってことでいいんだな?」
その声には、批判めいた色がある。
美奈は、その事実に呆然とした。そうだ…真理が死んだということは、この中に居る人狼が、真理を襲撃したということなのだ。同じサークルの仲間である、真理を…。
それには、薫が言った。
「でもさあ…そう考えるのはまだ早いんじゃないかなあ。だって、典子と梨奈が殺された時を見たでしょ…?人狼が襲撃先を選んだら、勝手にああして殺しちゃうのかもしれないよ?いくら人狼を引いたからって、いきなり仲間を殺すなんて無理だよー。ゲームさせてるヤツら、きっとどこかで僕達がこうしていろいろ考えてるの、馬鹿にして見てるんじゃないかなあ。そんなことより、議論を進めてさっさとゲームを終わらせた方がいいんじゃないー?僕、正直もう死体とか見たくないなあ…。」
薫なりに、今度のことは堪えているらしい。
だが、言っていることは間違っていなかった。真理がどう死んだのかなど、話し合っても人狼が誰なのかわからない。そんなことより、昨日の役職行使で分かったことを村人で共有して、議論を進めた方がこの異常な状況から早く逃られられるのだ。
賢治が、何とか持ち直そうと努力しながらも、まだ土気色の顔で割り込んだ。
「そうだ。こんなことをしている場合じゃない。こんなことが起こらないためには、これを早く終わらせるしかない。昨日の夜に占い師は占っているはずなんだ。残念ながら狐は呪殺されてないみたいだが、黒が見つかってるかもしれない。とにかく、議論だ!議論しよう!」
しかし、無理をしているのは一目瞭然だった。
それを見た光が、フッと息をついて、首を振った。
「確かに議論は必要だし、オレも早く結果が聞きたい。だが、今は無理だ。みんなショックでまともじゃない。特に賢治、お前は回復するまで休め。他のみんなも食えなくても水分はきっちり摂れ。で、それぞれ考えて昼前にここに集合だ。結果は、その時に聞こう。じゃあ、11時にまたここで。解散だ!」
美津子は不満そうだったが、素直にそれに従うことにしたようで、立ち上がった。光は、医師らしく賢治の様子を見ている。医師だと思って見ると、光は医師以外の何者でもないような気がした。会社でも光が通っているのは、医薬品の研究棟で、医師だというならそこに配属されてもおかしくはない。なぜ今まで気付かなかったのか、と美奈はじっと光を見つめていた。
すると、貴子の声が、横からした。
「美奈ちゃん…。」
美奈は、その声の暗さに思わず振り向いた。貴子は、まだ涙を流しながら、美奈を見つめていた。美奈は、昨日まで真理と仲良く話して笑い合っていた二人を思い出して、自分も涙がこみあげて来るのを感じた。
「貴子ちゃん…。」
その後が、続かない。
今この時に、何を言えばいいのか美奈には全く思い浮かばなかった。
やっと気の強い友達から解放された同士仲良く頑張っていたのだ。その上、明日は貴子も同じ運命を歩むのかもしれない。そんな懸念が混じり合っていて、どう声を掛けたらいいのか分からなかった。
まして、自分は狐で襲撃されることはないのを知っている。どう考えても、貴子の気持ちとは全く離れているのは間違いなかった。
それに、ここには貴子以外のメンバーも居る。話していることを聞かれることも考えられる。軽はずみなことは言えなかった。
貴子は、涙ぐんで黙っている美奈を見て、どう解釈したのか美奈の手を握って来て、言った。
「私も悲しいわ。どうしたらいいのか分からない。でもそれ以上に、自分のああなるんじゃないかってとても怖い私が居るの。私ったら、真理があんなことになったのに、それなのに自分のことばかり考えているのよ。悲しいのに、怖いの。本当に怖くて…。」
美奈は、自然にこぼれて来る涙を拭わずにその手を握り返した。
「分かるわ。私だってそう。悲しいのに、怖いの。怖い方が大きいかもしれないわ。これから、どうなってしまうのかって…。」
「美奈ちゃん…。」
二人が、そうやって手を握り合ってさめざめと静かに泣いていると、賢治を診ていた光がこちらを振り返った。
「怖いのは分かるが、嘆いてたって状況は変わらないぞ。さっき孝浩も言ってたが、これを終わらせるためにはゲームを終わらせるしかないんだ。ふわふわしていないで、しっかり考えて人外を探し出すんだ。このままじゃ、みんな心も体ももたないぞ。最後まで無事で居たいなら、もっとしっかりしろ。」
その言葉には、若干棘のような物を感じた。美奈は、それにドキッとした。光に嫌われる…?
「ち、違うの、今はただ涙が出て来て…でも、11時にここへ来るまでには、きちんと考えておくから。本当は、占い結果を聞いてから考えたかったけど…。」
それを聞いて、光は息をついてこちらに向き直った。
「確かにな。だが、みんなで何かを話し合えるような状況じゃなかっただろう?美奈と貴子だって今、オレが言うまでただ泣いてたじゃないか。みんな冷静になる必要があるんだ。泣いてたって、終わらない事実を自覚する必要があるだろう。」
光がもっともなことを言うのに、賢治がまだ青い顔のままだったが、頷いた。
「その通りだ。オレも部屋へ帰って、占い師達に連絡をとって先に結果を聞いておくよ。11時までにまとめて皆の前に結果を出せるようにしておく。」と、フッと肩の力を抜いて、よろよろと立ち上がった。「こんなことをしていられない。ノートを見て考える。」
敦が、心配そうに横からそれを支えた。
「おい、無理するな。朝飯食った方がいいって。」
賢治は、首を振った。
「今何か食ったらそれをみんな吐いちまう気がする。飲み物だけ持って行く。」
孝浩が、反対側の手を取った。
「じゃあ、手伝うよ。部屋へ帰ろう。」
光は、キッチンの方へと足を向けた。
「じゃあ、オレが飲み物を届ける。無理だけはしないように見ててくれ。」
敦と孝浩は、それに頷いて賢治を支えて螺旋改題へと向かう。美奈と貴子がそれを見送って回りを見ると、もうリビングにもキッチンにも誰も残っていなかった。光だけが冷蔵庫からペットボトルを取り出し、食べ物を戸棚から漁っている。美奈も、急いでそれに並ぼうと速足で近づいた。
「光、何か手伝うことがあったら言って?」
だが、光はこちらを見ずにパンやフルーツをどんどん出して腕に抱えて行きながら、答えた。
「いや、何もない。一応応急キットは持って来てるし、念のため点滴で水分補給をしてもいいなと思ってるしね。」と、美奈と貴子をちらと見た。「じゃあ二人共しっかり食べておけよ。」
光は、側のバスケットに手に持っていた大量の食べ物とペットボトルを放り込んで、それを抱えてさっさと出て行った。
貴子は、少し同情したような顔で美奈を見た。
「美奈ちゃん…あの、もしかして光くんとケンカでもしたの?」
美奈は、驚いて貴子を振り返った。
「え、どうして?光っていつもあんな感じじゃない?」
貴子は、まだ赤いがもう涙は流していない目で美奈を見つめながら、ゆっくりと頭を振った。
「ううん。光くんはとっても優しいし明るくて親切だよ。海外に長く居たせいかレディーファーストだしスマートなんだ。それもあってすごくもてるの。でも、美奈ちゃんには何だかつっけんどんな気がしたから、幼馴染って言ってたしケンカでもしたのかなって。ほら、私達ケンカしたくてもそんなことになるほど突っ込んで話したことないから。それで。」
最後の方は、言い訳がましい感じだった。貴子は、光が美奈に対してだけ対応が冷たいのだと今気付いたのだろう。それは、美奈も同じだった。
光は、私にだけああなの…?どうして…?
それどころでないのは重々分かっていたのだが、美奈はショックでしばらくそのまま茫然としていたのだった。




