17
美奈は、やはり光は自分には全く興味はないのだという事実を突きつけられて、呆然とした。
まるで逃げるように、光が部屋へと消えたからだ。
光が扉を閉めてから美奈が扉を再び開くまで、一瞬のことだったはずだ。
それなのに、光はもう、そこには居なかったということは、光は美奈が追い縋って来るのを嫌がって、物凄いスピードで逃げ帰ったということだろう。
美奈は、ゲームだけでなく、光の態度にショックを受けてベッドの座って力を落としていた。もう、どうしようもないのかもしれない…自分だけが、光を引きずって…。
その時、美奈の腕輪が、ピピピと甲高い音を立てた。
シンとしていたので仰天して腕輪を見ると、そこには6、と表示が現れていた。
6…!美津子さん…!
美奈は、目を見開いてその数字を見た。今日、あれだけ自分を攻撃して、最後には投票までした美津子が、いったい自分に何を言って来たのだろう。
とても取る気にはなれず、だからといってこのまま放って置いて良いのかと美奈が悩んでいると、しばらくして、その着信音はピタリと止まった。
美奈はその時になって初めて、無視してしまった事実を認識した。美津子を完全に切った…あちらには切られていると思っていたけれど、美奈からは切るとは一言も言っていなかった。それなのに、今の無視でこちらからも美津子を切ると言ってしまったことになる。つまりは、もう何か話し合うとか、利用するために言いくるめるとか、そういったことが出来なくなってしまったのだ。
美奈は、切るにしても話し合いの道ぐらいは残しておかないと利用も出来なくなると気が付いて慌てて通信しようとしたが、わざとらしいかもしれないと躊躇したりと思い悩んでいるうちに、時間はどんどんと過ぎて行き、ついに11時を越えて役職行使の時間が終わり、通信も出来なくなってしまったのだった。
夜は、問題なく過ぎていった。
外からは、何の物音も聞こえない。美奈の部屋の扉が音を立てることもなかった。
夜中の2時を過ぎて、ウトウトとし始めた所までは覚えているが、ハッと気づいた時には、もう朝の光がカーテンの隙間から漏れていた。
…昨日も寝過ごしたのに!
美奈は、これ以上緊張感がないと疑われることを恐れて、慌てて自分の部屋の鍵を回して、ドアノブに手を掛けた。
しかし、ガチンという重い音がして、ドアが開くことは無かった。
どういうこと…っ?
美奈は軽くパニックになって必死にガンガンとドアノブを引っ張った。だが、扉はびくともしない。確認したが、鍵は間違いなく開錠できているはずだった。
襲撃されたということだろうか。
美奈は、扉の前でうろうろと歩き回って考えた。襲撃されたら、部屋に閉じ込められて出て来れないとか、そういうことなのだろうか。
しかし、そこで美奈ははたと思い当たった。自分は妖狐なのだから、襲撃されるはずはないのだ。じゃあ呪殺…?でも自分は指定されていなかったはずなのに。やっぱり、薫くんが…?
わけが分からず視線を泳がせていると、机の上に置いてあったこのゲームの説明書に目が行った。そうだ、時間…。
美奈は、急いで上に乗っている手つかずのおにぎりを横へやってそれを手に取ると、中を開いた。そこには、一日の流れが記してあり、開錠は6時、とはっきりと書いてあった。
今の時間は何時だろう。
日が昇って来ているのですっかり寝過ごしたのだと思っていたが、今は夏なのだ。もしかして、まだ早すぎる?
時計は、5時50分を指していた。
自分が何かされたわけではないんだ。
美奈は、ホッとして力が抜けてその場にへなへなと座り込んだ。そうか、別の鍵があってどこかから操作されているのか。
ホッとした途端にガクガクと震えて来る体に辟易しながらも、美奈は6時になったらすぐに出て行こう、と扉の前に立った。眠っていない人も居るはずなのだ。みんな、昨日は襲撃があるのではと緊張しながら部屋へ入っていた。絶対開錠と共に出て来るはず。
その時をまんじりともせずにドアノブを見つめて待っていると、きっちりと6時に、ガチンという音がした。
…鍵が開いた!
美奈は、すぐにドアノブを掴むと大きくドアを開いた。すると、思った通り皆が一斉に同じように廊下へと飛び出して来たのが見えた。
すぐ隣りの、学と目が合った。
「美奈ちゃん!光!無事だったんだな、他は?!」
すると、美奈の背後から声が飛んだ。
「みんな居るみたいに見えるぞ!」と、一直線に並んだドアから出て来ている皆の方へと視線をやった。「おい、みんな無事か?!隣りの奴が居るかそれぞれ確認してくれ!」
光に言われて、全員が自分の両隣りを確認している。とりあえず美奈の両脇は居る…学と光だ。視線を向こうへとやると、美津子も居るのが見えた。美奈は昨日の着信の事が頭をよぎったが、もう無視してしまったものは仕方がない。そもそも、あちらが盛大に美奈を裏切って来たのだ。気にせずに居ようと思った。
「真理!」留美の声がして、美奈はハッとした。留美が、隣りの真理の部屋のドアが閉じたままなのを知って、インターフォンを鳴らして扉を叩いている。「起きなさい、みんな起きてるのよ!」
だが、扉をいくら叩いたところでその音が中へと通るはずもないのは、昨日のシンと静まり返った様子で誰もが分かっていた。
貴子が、我慢しきれず寄って行ってインターフォンを連打した。
「真理!寝てる場合じゃないの、みんな無事なのを確認しなきゃならないし!」
しかし、インターフォンからは何の反応もなかった。
留美と貴子が不安げに顔を見合わせて居ると、光が焦れたように足早に寄って来た。
「寝ているのか?」と、ドアノブに手を掛けた。「真理…、」
閂のせいでガチンと止まると思っていたドアは、すんなりと開いた。光も驚いた顔をしたが、側に居た留美も貴子も、離れて見ていた皆も驚いて歩み寄って来た。
「鍵をかけていなかったの?」
留美が言うのに、光は戸惑い気味に頷く。
「ああ…不用心だな。」
しかし、貴子が抗議するように言った。
「そんなはずないわ!だって昨日、一緒に部屋へ帰って来たのよ。お互いに部屋へ入ったら必ずすぐ鍵をかけて誰も入って来れないようにバリケードを築こうって、話してたんだもの!」
「だが、開いてるんだろう。」賢治が、後ろから言った。「真理を起こそう。」
光は、まだ戸惑いながらも扉を開いた。
何か、ムッとする不快な臭いが鼻をつく。
美奈が光の肩越しに中を覗き込むと、貴子が言ったように、扉の前には窓際にあるはずのテーブルや椅子、それに机の前にあったはずの椅子が、ひっくり返ってあちこちに散乱していた。
しかし、それは何のバリケードにもなってはおらず、少し狭いものの通り抜けるのは可能なようだった。
光が、足を踏み出した。
「真理?入るぞ。」
ベッドは奥なので外からは見えなかったが、光の様子は見てとれる。光は、ベッドが見える位置へと歩いて行き、そこでまるで何かに足を掴まれたかのように、ピタリと立ち止まって、固まった。
「光…?」
美奈が呟くように言う。賢治が、同じように扉の所から覗き込んで声を掛けた。
「光、どうした?」
光は、ハッとしたようにこちらを見る。貴子が、焦れて一歩足を踏み入れた。
「光くん?真理は…、」
「来るな!」光は、いきなり叫んだ。貴子が、そこで凍り付いたように止まった。「賢治、お前が来い!」
言われた賢治は、貴子の脇から割り込むようにそろりそろりと入って行き、光の横まで来てから、同じように固まった。そして、突然に真っ青になったかと思うと、口を押さえて窓際の方へと走って行き、床に突っ伏した。
「う、おええええっ!」
それが合図であったかのように、孝浩や敦が雪崩れるように部屋の中へと駆け込んで行った。
「賢治!大丈夫か、いったいどうした…。」
賢治にいち早く駆け寄った孝浩は、その背をさすりながらベッドの方へと目をやって、そして、途端に顔色を変えた。
美奈は、もうじっとしていられなくなって、自分も部屋の中へと割り込むように入った。
「いったい何っ?!説明してくれなきゃ分からないわ!」
「馬鹿、戻れ美奈!」
光の声がする。
その途端、むせかえるような、生理的に危険だと本能が警告する不快な臭いが美奈を襲った。
見てはいけないと思うのに、美奈の目はそれを見てしまった。
ベッドの上は、何かが爆発したように、真っ赤だった。
それは、壁の方にも波及していて、一瞬何を見ているのか理解できない。だが、真理の動かない胸と、真っ青で血の気のまったくない顔が、それが真理から溢れた血液なのだと美奈の頭は理解してしまった。
「きゃああああああ!!!」
美奈は自分でも意識していない間に、叫び声を上げていた。
「だから見るなって言っただろう!」と、ぐいと美奈を扉の方へと押しやった。「そっちへ連れてってくれ!女子は見るな、真理が襲撃された!」
貴子も、留美もそれを聞いて固まった。美奈は、今見た光景が脳裏に焼き付いて離れず、ただまるでサイレンのように叫び続けた。
「あああああ!真理が!真理が!」
一人離れてその様子を見ていた美津子が、険しい顔をして何かを覚悟したように歩み寄って来ると、美奈の腕を掴んで貴子と留美の二人を見た。
「さあ、リビングへ!ここに居たって私達は役には立たないわ!さあ!」
貴子と留美は、そう言われて先に立って美奈を引きずって行く美津子に遅れて、螺旋階段へと向かう。
それを見送った男子たちは、不安そうにしながらも、光に呼ばれるままに真理の部屋へと入って行くのが見えた。
人狼の襲撃は、成功したのだ。