第57話 ハーグ平原の戦い
「くっくっく‥」
ニンマリとほくそ笑む初老の男。ハーコート伯爵である。
ハーグ平原に陣取った、眼下に並ぶ2万5000人の兵士を見ながら、ご満悦であった。
本陣には自分の配下の兵隊が5000。その前に、王国騎士団の1万を配置し、左翼、右翼にそれぞれハーコート伯爵派閥の貴族の兵を配置している。
また、すでに1万の別働隊が、王国南側の領土より北に向けて出発したとの報告を受けている。4-5日のうちに到着するであろう。
ヒルシュフェルトの軍勢は5000。西側のヒルシュフェルト派閥の兵を全て集めても1万5000に満たないはずである。
こちらも裏切りの工作はしているので、何人の貴族がヒルシュフェルト側に味方につくか怪しいところだ。多少頭の回る人間であれば、どちらが有利なのか分かるはずだ。それがわからない馬鹿は必要ない。叩き潰してしまえばよい。
場合によっては、ヒルシュフェルト以外はすべて自分の元に寝返るに違いない、そう確信していた。
「負けるはずがない‥」
そう呟いて、次の目的へと思いを馳せる。
彼の頭の中ではデーン村のような数百人の盗賊の集まりなど気にもしていない。
王国騎士団長のフリードリヒ卿の存在は邪魔ではあったが、一人の兵が軍に勝てることはあり得ないと考えていたのである。
先日、逃げ帰ったことなど無かったことのように意識の中から消え去っていた。
彼の中では最大の敵はヒルシュフェルトである。
今まで派閥争いを繰り広げてきた相手をようやく引きずり下ろし、自分が名実ともにナンバー1になる時がきたのである。
これからは国王への進言を反対されることも無くなるだろう。ようやくキルシュ公国を取り戻すことができるのだ。
あの国は元々ルクセレ王国の領土である。それを裏切りによって奪われたままになっている国だ。どれだけの犠牲を払おうと、これを取り戻し、ルクセレ王国の権威を取り戻すべきなのである。
カールスタッド王国にしても、キルシュ公国を取り戻してしまいさえすれば、恐れるに足りない。
いずれは手に入れるつもりでいた。
今後の華やかな未来を思い、笑いが止まらないのであった。
「ハーコート伯爵殿下。準備が整いました。進軍の許可を」
伝令の兵士が、本陣に走ってきてそう叫ぶ。
「太鼓を鳴らせ!」
そう命じると、ドンドンと太鼓がなり、大将の話を聞こうと軍が静まる。
その光景を見て、自分がこれだけの兵力の大将であるということに優越感を感じ、気持ち良さに、頰の筋肉が緩んでしまう。
「よし、全軍、よく聞け!まずはデーン村に進軍し、裏切り者のフリードリヒと、盗賊どもを討つ。その首を取ったものには最大限の名誉と褒美を約束しよう。その後、別働隊とタイミングを合わせてヒルシュフェルトを挟撃する。我らの力を証明せよ!‥進軍!」
「進軍ーっ!」
「進めーっ!」
ドンドンと太鼓が鳴り、各隊の隊長格の騎士達が、進軍の掛け声をあげる。
そうして、軍は巨大な獣のように、ゆっくりと進み出した。
人と馬の足音が地響きとなり、鎧や武器がガチャガチャと音を立てる。
晴れ渡った青い空の下、動き出した巨大な獣は、しかしすぐに止まってしまう。
太鼓が鳴り、進むように指示が出ているが、前が動かない。
「進めーっ」「止まるなぁ」
そういった声も聞こえるが、動き出す気配がない。
「何事じゃ?なぜ止まる?」
馬上のハーコート伯爵が護衛の騎士に問いかける。特に変わりは無いように見える。
「分かりません。見て参ります」
護衛の騎士が、馬を走らせていく。
その後ろ姿を見て、何故だか分からないが、首筋に寒気を感じ、身震いするハーコート伯爵であった。
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「やはり出てきたな。じゃあボチボチ行くとするか‥先頭はお前に任せるよ、ヒルデブラント」
「承知いたしました。お任せを」
そう言って、馬に乗った4騎の戦士が、巨大な壁となっている、2万5000の軍に向かって駆けていく。
先頭は元王国騎士団長で半人半竜のヒルデブラント。その後ろにミライ。
ミライの左右にはバハムートとリヴァイアサンが控える。
平原なので見晴らしは良いのだが、とはいえ緩やかに坂が付いており、何kmも先まですべて見渡せるわけではない。たった4騎の兵相手では、後ろの本陣からはその姿を確認することができなかった。
先頭の隊が、ミライ達の姿を確認したのが、2kmくらいの距離まで近づいてからである。
豆粒のように見えるそれが、敵襲だと認識できるまでには、さらにその距離は縮まっていた。
「敵襲かっ?」
「旅人ではないか?もしくは盗賊か?」
「人数は少ないぞっ!」
「いや、先頭にいるのはフリードリヒ騎士団長ではないか?」
そう言った声が飛び交うが、あまりに少ない人数であったために、すぐさま戦闘になることは無かった。
「騎士団長!」
顔が確認できる距離まで近づき、ようやく王国騎士団の騎士の一人が声を上げる。
「我が名はヒルデブラント・フリードリヒ。王国を食い物にする腐敗した貴族達を撃ちたおす為に立ち上がった!!」
「邪魔をする者は、例え栄誉ある王国騎士団の騎士といえど、我が魔剣シュヴェルツェにより斬り捨てる!道を開けろ!」
馬上で二本の剣を抜き叫ぶヒルデブラントの姿に動揺が走る。
これが貴族の抱える騎士や兵士だったら違った形になっていたかもしれない。
しかし王国騎士団に属する1万人全てが、ヒルデブラントの強さを熟知していたのである。
皆の憧れであり、この王国騎士団の象徴でもある騎士団長。そして絶対に勝つことのできない相手。
誰もそれに向かって、剣を振るおうとする者はいなかった。
結果、モーゼの十戒の伝説に出てくる海が割れるシーンの如く、王国騎士団の1万人の兵士が2つに割れ、大軍の中央に無人の道が現れたのである。
「すげぇ‥」
単純に感動するミライ。
キョロキョロと周りを見渡しながら、その道を駆け抜けていく。
慌てたのはその後ろにいるハーコート伯爵の抱える5000の兵士達だ。
今回は自分たちが戦うことは無いだろうと、後ろでのんびりと進軍していたものが、突如として、目の前に敵が現れたのである。
慌てて剣を抜き、槍を構えるが、4騎の戦士達の勢いは止まらない。剣を振るう毎に一人づつ倒れていく。
実質ミライは何もしていない。ヒルデブラントとバハムート、リヴァイアサンが目の前に立ち塞がる騎士や兵士達を紙を切り裂くように易々と倒していく。
「うわぁぁっ!」
「助けてくれぇっ!」
「無理だ、あんな奴らに勝てるはずがないっ」
「死にたくないっ」
「退けーっ」
100人を超える死者が出たところで、叫び声が響き渡り、軍は瓦解した。
我れ先に逃げまどう兵士達。
「逃げるなぁっ!戦えーっ!」
「貴様ら、戦えっ!」
「逃げ出した者は、反逆罪で家族も皆殺しだぞ!」
必死に食い止めようとする隊長格の騎士達。
しかし、一度崩れ出した流れは止められない。
逃げ出した兵には目もくれず、ただただ一直線に本陣へと切り込む4名。
「貴様ーっ!」
ヒルデブラントに立ち向かう隊長格の騎士を無言のまま一刀のもとに切り伏せる。
最後の抵抗を試みた数人の騎士をヒルデブラントとバハムート、リヴァイアサンが討ち倒す。
「ひいっ‥」
ものの数分で、目の前に100人を超える死体を生み出した鬼神の如き剣技に、声も出ないハーコート伯爵。
もう周りには彼を守る兵士の姿はない。
何が起こったのか?圧倒的に有利な状況であったはずだ。どうしたらこうなった‥?
「ま、待て、助けてくれたら‥」
そう言いかけた声は届かず、その首は胴体から離れ、宙を舞った。
「王国に蔓延る諸悪の根源は討ち取った!戦争は終結だ。武器を下ろし、指示に従え!」
ヒルデブラントが宣言する。
近くにいたものは、呆然と座り込み、遠くにいたものは、その声も聞こえず、何が起きたのかわからずに立ち尽くす。
ヒルデブラントは王国騎士団の騎士達を使い、全部隊に王都に戻るように指示を出したのである。
人望の厚い王国騎士団長の言葉を疑うものは無かった。適切な指示を出し、王国騎士団の面々はその指示を忠実に実行した。
結果、その日の夜までには全軍の王都への撤退は完了したのである。




