第55話 それぞれの準備
ルクセレ王国は北側と西側を山脈に囲まれた、北側より南側がやや狭い台形のような形をしている。東側は海である。
東西方向におおよそ200-250km、南北方向に300kmの国土を持つ。
オランダやデンマークよりは少し大きい国土であると思ってもらえればイメージしやすいかもしれない。
山脈を挟んで西にはキルシュ公国、南側にはカールスタッド王国が隣り合っている。
キルシュ公国はルクセレ王国の3/4程度。
カールスタッド王国はルクセレ王国の1.5倍程度となる。こちらはポルトガルと同等か少し小さいくらいとなる。
また、カールスタッド王国から海を渡って西側には島国のリスボア王国がある。
ルクセレ王国はこのリスボア王国とはほぼ国交がない。陸路にしろ海路にしろ、カールスタッド王国が邪魔をしている形になるからである。
そのルクセレ王国の国土には、約200万人の人間が暮らしている。
このうちレンズブルクのような1万人を超える都市は13存在している。
その最も巨大な都市が王都エルバドールであり、都市の外壁の中だけでも5万人の人間が暮らしており、その周辺の町、村を合わせると、約20万人近くになる。
その王都エルバドールの外壁の外には兵士の姿が慌ただしく動いている。
王国の紋章の入った板金の胸当てを付けた王国騎士団の騎士の姿だけでなく、各貴族の紋章の入った貴族の私兵や、領地から徴兵で集められた平民の男達の姿が見える。平民の男達は申し訳程度の革製の鎧と、刃こぼれがありいかにも中古品といった、不揃いの武器(剣だけでなく、斧や棍棒などまで)を貸与されて、大声で命令されるまま、列について行っているという感じであった。
結果的に、徴兵による民兵も含め、2万5000人にものぼる兵が集められることとなった。
食料を運ぶ荷台がいくつも王都から運び出され、活気に溢れている。
しかし兵達の士気は高くない。
元騎士団長ヒルデブラント・フリードリヒ卿の裏切りによる離反という噂が、特に王国騎士団員に暗い影を落としていた。
フリードリヒ卿の剣の腕に関しては、騎士団員誰もが知ることである。
副団長のロイター卿であっても、まったく勝てる気がしないという状況だったからである。
そして、数人の騎士も合わせて離反している。
元同僚と戦うことになるのは、命令であれば致し方ないとはいえ、積極的に士気を上げる要因にはならなかった。
フリードリヒ卿やヒルシュフェルト伯爵などの反逆者の討伐という、あまり乗り気のしない戦いの理由に加え、その足でキルシュ公国まで攻め込むという。
そもそも今回の軍の総責任者がハーコート伯爵であるということを聞いて、派閥に属していない貴族の粛清が目的であることは誰の目にも明らかであったからである。
それに利用される兵士達はたまったものではないという気分なのである。
「ちっ、何があったんだよ。うちの団長が簡単に裏切るはずないだろうに。またあの伯爵の謀略かよ。そんなのは貴族同士でやってもらいたいもんだぜ。団長がいなけりゃ戦力半減は間違いないだろうに」
馬上で戦争の準備を眺めていた王国騎士団副団長、今は臨時の騎士団長という立場のジークハルト・ロイター卿が毒づく。
30代前半で、大柄な男だ。左目の横に刀傷があり、ライオンのような猛獣を思わせる精悍な顔つきをしている。
副団長というだけあって、王国の中でも5本の指に入る剣の腕の持ち主だ。剣だけでなく、手斧を使うこともある。
しかし、そんな彼をもってしても、ヒルデブラントにはまったく敵わないのである。
善戦をするということすらもできず、一瞬で勝負をつけられてしまうという始末であった。
ヒルデブラントと一番戦いたくないと思っているのは、この男かもしれない。
「噂では、団長と一騎打ちで互角に渡り合った戦士が相手陣営にいたということのようですが‥」
横からそう話しかけてきたのは、ファビアン・レーヴィニッヒである。
まだ10代の金髪が似合う若者であった。綺麗な顔をしているので、女性にも見えるが、男である。
「冗談だろ?うちの団長と互角の実力を持つ戦士がそう何人もいるわけないだろう。あんな化け物は一人で十分だぜ、まったく」
「そうですね。あくまで真偽の程もわからない噂ですし、団長が本気を出してなかっただけでは?と思ってしまいますね」
「ったり前だろうよ。それはそうとして、団長が出てきたらどうするか頭が痛いぜ」
「‥‥」
苦笑いを浮かべるしかないファビアン。ジークハルトに数人加勢したぐらいでは傷一つ負わせられないイメージしか浮かばないからであった。
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見慣れた印が押された蝋の封を破り、羊皮紙の書状を読む30代後半の男。
サラサラのこげ茶色の短髪を持つ頭を掻きながら、思案に耽って、ブツブツと独り言を言って、執務室の中を歩き回る。
ニコラウス・フォクト子爵。ヒルシュフェルト伯爵と同様、キルシュ公国との国境の、北から3番目のアミノ砦を守る貴族である。
羊皮紙はヒルシュフェルト伯爵からのものであった。内容は新しい君主を迎え、王国に叛旗を翻すので協力して欲しいというものであった。
「伯爵にしては、稚拙な方法だ‥」
ヒルシュフェルト伯爵派閥にいたニコラウスは、ヒルシュフェルトのことを尊敬できる先輩として見ていた。同じ派閥である自分に声をかけるのは不思議ではない。
しかし、なぜ手紙でよこしたか?わざわざ証拠が残る方法でだ。こんなものハーコート伯爵派閥の貴族の元に持っていかれたら、一発でアウトである。反逆罪で処刑されるのは間違いない。
謀反を起こすのであれば、直接会って証拠が残らないように交渉するのが基本である。
場合によっては口封じも考えるものだろう。
もう、なりふり構わないぐらい追い詰められている状況にあるか、書状を出した相手が仲間になってもならなくても構わないくらい優位な立場にいるか‥。
しかし、王国の兵力は常備兵だけで5万人。そのうちハーコート伯爵派閥で3万人を超える。ヒルシュフェルト伯爵派閥の貴族は、西側に多く、キルシュ公国の国境沿いに多い。
王都近くにはホフマン伯爵が5000人の兵を持っているが、いざ戦いになると先にぶつけられるか、カールスタッド王国の守りに動員させられる可能性が高い。
西側の兵は13000人、うちヒルシュフェルト伯爵は5000人の兵力しか持たない。
ヒルシュフェルト派閥が裏切り、ハーコート派閥についた場合、四面楚歌のなるのは間違いない。
さらにキルシュ公国からの守りにも気を配らなければならないのだ。
どう考えても分が悪く、勝てる見込みの無い賭けに思える。
普通に考えれば、追い詰められていると考えるのが妥当だろう。しかし、それにしてもヒルシュフェルト伯がそのような稚拙に見える行動に出たのは何か裏があるような気がしてならないのだ。
仮に、今回ヒルシュフェルト伯を裏切ってハーコート派閥についたとしよう。しかし、落ち着いた頃に何だかんだと難癖をつけて、反逆者として祭り上げられることになるだろうことも予想できる。
ヒルシュフェルトが動く前に止めるというのが正しい選択肢だと思われるが、もう物事が動き出してしまっている場合、負けることがわかっていても、万が一の可能性にかけて、ヒルシュフェルト伯に協力するのがベターな選択のように考える。
「ふむ、これは覚悟を決めるしかないか。まだまだやりたい事はたくさんあったのだがな‥」
寂しそうに、しかし決意のこもった目で、窓の外を眺めるニコラウス。
「ノルベルト、ノルベルトはいるか?戦の準備だ。すぐに兵を集めろ。最低限の砦の守りを残し、全軍出す!」
そう指示を出しながら、ニコラウス・フォクト子爵は執務室を出ていくのだった。
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「国王陛下、ルクセレ王国内で内乱の兆しがございます。いかがいたしましょうか?」
そう報告を受けた男はカールスタッド王国の国王、アスドルバル・デ・カールスタッドである。
「具体的には?」
「はっ、王都より約2万5000の兵が西に向けて出発準備を整えているようです。また、1万の別働隊が我らが王国の国境沿いに進軍いたしました。西側の方でも軍の動きが見られるようです。正確な数はわかりませんが、1万から1万5000の兵が集まり出しております。また、南の軍もおおよそ1万。こちらは逆に北のほうに進軍を始めたとのことです」
「ふん、貴族同士の派閥争いか。醜いものだ。自分達の置かれている状況が分からず、内紛に勤しむ余裕があるとは思えんのだがな」
「はっ‥」
「まぁよい。キルシュ公国の動きは?」
「今のところ動きがありません。彼の国も情報は入手済みとは思いますが‥」
「であろうな、様子見というところか」
綺麗に整えられた髭をさすりながら考えている様子である。
「他に変わったことはあったか?」
「はい、何やら竜殺しで有名な王国騎士団長のフリードリヒ卿が裏切り、ミライという自治領主の元に下ったという話を入手致しました。真偽のほどはまだ確認取れておりません」
「何?」
アスドルバルが急に大声を上げた為、報告を行なっていた兵士はビクッとなる。
「ミライとはあの女冒険者か?あれ以来国内で見かけなくなったと聞いたが、ルクセレ王国に移動していたか?しかも竜殺しを従え、王国と戦争だと?」
「いえ、ミライという人物については、確認中で、実在する人物かどうかもまだ確認が取れていません」
「その話、すぐに裏を取れ。最優先だ。行け」
「はっ」
諜報部の兵士が出ていくと、アスドルバルは大臣を呼び出す。
「緊急事態だ。至急冒険者ギルド長を呼べ。あの女冒険者の足取りを調べてこさせろ。念のため兵の準備を。3万人程度はいつでも出兵させられるように準備させろ。今回は援軍として準備する」
「この機にルクセレ王国を滅ぼすのではなく、援軍ですか?」
「そうだ、反乱軍に対してのな。そして恩を売っておく。本来は必要ないことだとは思うのだが、そうすることで友好関係を築けるだろう」
「反乱軍が勝つとおっしゃられるのですか?」
「勝つだろうよ。戦いにすらならないかもしれない。クラーケンと青竜を倒し、聖剣エストレージャスに選ばれた女だぞ。神の奇跡を再現する存在だ。普通の人間が敵うものか。友好関係が築けなければ、いつこちらに牙が向くかも分からないのだ。王国の存亡に関わるだけの存在であると考えろ」
「はっ」
眉間に皺が寄り、難しい顔をして、目を瞑る国王アスドルバル。深いため息が聞こえる。
「別人であってくれれば良いのじゃが‥」
思わず漏れた本音が、彼の苦悩を表していたのであった。




