夏祭り、始まり
部屋の中で1人、ベッドに身体を預けて目を閉じる。
気持ちの高まりが収まらない。
ジャックの意識を凍らせた時の感覚が離れない。
こんなこと、軍人だった時や、家の仕事をしていた時には無かった。
ただ、淡々と与えられた殺しという役割を段々とこなすだけだった。
他人の意思に従い、他人の命を奪ってきた。
仮死とはいえ、自分の意思で誰かを死なせたの初めてのことだった。
復讐者としての俺は、目的の1つを達成したことに快感を感じている。
もう1人の俺は、もっと暴れたい、もっと戦いたいと衝動を駆り立てる。
だけど、俺自身には今……ただ虚無感しかない。
心臓の鼓動が速くなり、体温がたかくなったり、身体がどれだけ興奮状態になっていても、俺の心は冷たくなっていく。
復讐が虚しいと思ったわけではない。俺の大切な、最優先の目的なのだから。
なのにあの時、ポーカーズの1人をこの手で倒した瞬間、俺の中の誰かが不意にこう聞いてきたんだ。
『おまえ、この後はどうしたいんだよ?』
それは、深層心理の中にずっと押し込んでいた疑問だ。
今の俺には復讐がすべて。
だから、この先の未来なんて考えても仕方がない。
そう、思っていたんだけどな。
大切なものなんて、もう2度と持たないし作らないはずだった。
でも、今の俺にはたくさんのかけがえのないの無いものが出来た。
もう1度言う、もう前に進むためだけじゃないんだ。
これは、俺が大切だと思ったものを守るための、復讐だ。
だから……もう、どうしたいのかなんて、わかってるんだ。
「俺は……もう失いたくない。だから、強くなる。精神的にも、力の意味でも……そして、守ってみせる。俺の全てを使って……!!」
自問自答の答えを出せば、目を開けて身体を起こす。
少しだけ、身体が軽くなったような気分だ。
部屋を出てから階段を降りると、随分と騒がしい。
いや、学園に居たときの混乱したような感じではなく、家の者が全員忙しそうに何かをしていたんだ。
例えば、大きな太鼓を運んでいたり、料理の材料を外に運んだりと言ったことを。
黒服の部下たちが俺の横を次々と通りすぎていく中、後ろからチョンチョンっと背中をつつかれたので後ろを向けば、そこには少しだけ不機嫌な表情をした最上が立っていた。
「廊下の前でボーっとしないでよ。みんな、準備で忙しいんだから」
「わ、悪い。なぁ、その……みんなは何の準備をしてるんだ?」
頬をかきながら聞いてしまえば、最上がじと目を向けてきた。
あ、やばい、流れを読むべきだった。
完全に空気を読むのを忘れていた。
「みんな、今夜の夏祭りの準備をしてる。成瀬たちも出来る限りの手伝いをしてるみたい」
「おまえは?」
「さっきまで円華のお母さんの手伝いしてた。買い出しを頼まれて、いざ行こうって時に円華に通せんぼされた」
若干膨れっ面になる最上。
「いや、道を塞いだつもりはねぇんだけど。……わかった。じゃあ、俺も何か手伝うか。年に1度の祭りだしな」
軽く肩を回して言えば、最上が「えっ」と何か意外そうな表情をする。
「円華が悪知恵以外で行動するなんて意外。……なんか生意気、円華のくせに」
「おい、おまえの俺に対する評価マイナス過ぎるだろ。まぁ、別に良いけど。祭りは嫌いじゃねぇしな」
「……そうなんだ」
「おまえはどうなんだよ?祭りみたいな騒がしい行事、あんまり好きじゃないんじゃねぇの?」
ふと思ったことを聞いてみると、最上は下唇を噛んで顔を俯かせる。
「祭りがどういうものか……わからない」
「……え?」
「私の住んでいた島には、祭りなんて無かったから。……少しだけ、どんなものか楽しみ」
そう言って、最上は少し表情を緩ませた。
「そ……そうか」
「うん。じゃあ、お使いに行ってくるね。円華も、何かお手伝いしないと気まずいよ?」
「ほっとけ」
最上を見送れば、俺は親父たちのお好み焼き屋の屋台の準備を手伝った。
夏祭り。これが、俺のある気持ちを自覚させるきっかけになるとも知らずに。
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夕方、夕日が沈んで少しずつ空が青黒くなる。
その時には、商店街から神社まで屋台が並んでいた。
食べ物の分野ではたこ焼き屋、お好み焼き屋、りんご飴屋、焼きそば屋。遊びの分野では風船割り、射的、金魚すくい。
ザ・普通の祭りの屋台だ。
まぁ、その普通の理由は、この祭りで開かれている屋台のほとんどが椿組のものってところにあるんだけどな。
親父の好みで、昔ながらの屋台が多いんだ。
嫌いではないが、面白みもないんだよな。
そんな祭りでも、目玉企画が無ければ人は集まらない。
それが、夜7時から8時の間にある花火大会だ。
椿家の外で、俺は基樹と一緒に女子3人を待つ。
祭りなら浴衣を着せていきたいとお袋がうるさかったので、最上たちは着付けに時間がかかっているようだ。
「恵美ちゃんに、瑠璃ちゃんに、久実ちゃん……あー!!あんな美少女たちが浴衣姿になるなんて、全然想像できねー!!」
「基樹、1回黙れ」
無駄にテンションの高い基樹を半目で一瞥して言うが、こいつのハイテンションは治まらない。
「おまえなぁ!女に興味は無いのか!?ホモなのか!?」
「そんなわけねぇだろ、アホ。服装が違うだけで印象は変わらないだろうし、興味がないだけだ」
「カァー、勿体ない!おまえには、女子の着せかえの魅力がわからないのか!?」
「わからない以前に、興味がないって言ってるだろうが……」
欠伸しながら言えば、ふと昔の姉さんの浴衣姿を思い出した。
藍色の髪に合うように青い浴衣で、少しだけ化粧をしていたような気がする。
そんな姉さんに手を引かれて屋台を回っていた。
一緒にりんご飴を食べて、射的をして、いろいろな所を回って、最後には花火を見て終わる。
それが、俺にとっての夏祭りの習慣だった。
だけど、もう姉さんは居ない。
今の俺にとって、夏祭りはどんなものになるんだろうな。
「2人とも、おっまたせー!!元気ー!?」
姉さんとの思い出を思い出していると、無駄に元気な声が唐突に聞こえてきたので、その方向に顔を向ければ俺は目を見開いた。
「……え?」
声をかけてきたピンク色の浴衣を着ている久実でもなく、髪の色に合わせた紫色の浴衣の成瀬でもなく、焦点が合ってしまったのは白に水色の水玉の浴衣を着ている女だった。
一瞬だけ、そいつが誰かわからなかった。だって、印象がまるで違ったから。
その白に近い肩ぐらいの銀髪は少量を束ねて上の方で縛られていて、いつもしているヘッドフォンは首にかけていない。
それだけで別人に見えるとは、流石に思っていなかった。
「も……最上……か?」
「何?その反応。別人にでも見えるの?」
最上は首を傾げて不思議そうな表情を浮かべる。
「あ、いや……そうだな。少し驚いただけだ。印象がガラッと変わったから」
「ふぅん。驚くのは予想外だった」
「どうして、そんな髪型にした……と言うか、ヘッドフォンはどうしたんだ?」
「浴衣にヘッドフォンだと変に見られそうだから外してきた。……もしかして、変?」
少し不安そうな表情をする最上に、俺はすぐに首を横に振る。
な、何だ?これ。何か……変に意識してないか?俺。
俺が最上から目が話せなくなっていると、久実が「おーい」っと言って手を振ってくる。
見れば、もう3人は歩き始めており、少し距離ができている。
か、完全に周りが見えていなかった……。
最上の無表情なんて見てても、何とも思ってなかったんだ。
だけど、今は何故か……こいつのことが直視できない。
2人で前の3人に付いていき、祭りの会場に向かう。
どうしてかはわからない。
だけど、その時の俺は最上の隣に居るだけで、心臓の鼓動が少し速くなったような気がしたんだ。
ーーーーー
夏祭りの会場である商店街に5人で行くと、もう老若男女、カップルから中高生の集団、親子連れまで賑わっていた。
ダメだ、これを見ただけで人酔いしそう。もう帰りたい。
しかし、俺の心境とは裏腹に、4人はうぉおっと感嘆の声を発する。
特に祭り初参加の最上は初めて見る表情をしていた。
いつもは何に関しても無頓着で何を見ても無関心にも関わらず、祭りの様子を見れば、目を文字通りキラキラさせて屋台や人混みを見ていた。
言い表すなら子供のように。
こいつ、こういう年相応?な表情もできたんだな。
最上のことを見ていると、俺は無意識に右手が動いて自身の頬を打って冷静になる。
おいおいおい、どうした俺?
どうして、こうも最上にばっかり目が行くんだ?
思った以上にビンタの音が響いたようで、周りの俺に気づいた人たちからの目線が痛い。
そして、頬も痛い。
恥ずかしい、二重の意味で痛い人間だ。
俺を見て、後ろに居た成瀬が容赦なくジト目を向けてきた。
「どうしたの?暑さで頭でも壊れたのかしら」
「いや……ちょっと頬に違和感があっただけだ。蚊が止まっていたのかと思ったんだけど、どうだ?」
「さぁね。今の私にはあなたが、浮気が彼女に知られてしまい、その怒りの制裁を受けたように頬に手型がついている不様な顔だけよ?」
「生憎と浮気をする前に恋人が居ないんだけどな。募集もしていないし」
「そう。じゃあ、レンタル彼女が必要な時は協力してあげるわ。気軽に相談して」
こいつ、本気で言ってないんだろうな。
「そうだな。成瀬は良い女だから、機会があれば利用するかもしれねぇ。その時は頼むわ」
「うぇ!?」
成瀬の言葉を冗談と気づいたにも関わらず乗っかって言えば、彼女は一瞬驚いた表情をし、頬を赤く染めていた。
「ち、ちょっと、もしかして……本気というわけじゃないわよね…?」
あ、成瀬が少し動揺してる。面白そうだし、もう少しだけ乗っかるか。
「あ?何言ってんだ?成瀬さぁ、自分で言った台詞を覚えてないのか?俺にジョークを封じろと言っておいて、冗談だろって言うのはなしだぜ」
「いやっ……だから……それは……」
珍しい、あの口喧嘩では百戦百勝と言っていたような気がする成瀬の歯切れが悪い。
あれ?この状況を利用したら、口で成瀬に勝てるのではないか?
心の中で、俺は悪い笑みを浮かべてしまう。
「そうかそうか。成瀬瑠璃と言う女は、自分の言葉に責任能力がない女だったのか。俺はおまえのことを少し過大評価しているらしい」
挑発の意味合いで少し大げさな態度を取って言えば、成瀬は狼狽えた表情から目付きを細める。
「心外ね。私をそこらの現代の無責任な人たちと一緒にしないでちょうだい。円華くんであっても、私を侮辱するのなら制裁を受けてもらうよ?」
お~っと、遊びすぎたようだ。見るからに機嫌がいつもよりも悪く見える。
俺はすぐに手を横に振って面倒だという意思を示す。
「悪かったって。ほんの出来心だ。隙が見えると攻めたくなるんだよ。今度からは自重する」
「是非とも、そうしてちょうだい。……それにしても、話しながら歩いていたからわからなかったけれど、人混みに近づいてきたわね。みんなバラバラにならないかが心配だわ」
成瀬の言うとおり、確かに人混みが近くなるにつれて、他人と腕や肩がぶつかる回数が増えてくる。
そして、いつの間にか民族大移動のように強制的に前に進まされていることに今気づいた。
そう言えばと、前の方を歩いている最上たちを見ようとするも、人の波のせいで少しずつ3人と距離ができてしまう。
ん?いや……遠くでよくわかんねぇけど、3人も離れそうになってないか?
スマホを取り出して電話をかけようとしても、この人混みの中では落としてしまわないとも限らない。
無くしても別に大したデータは入ってないが、無ければないで、また用意しなければならないので面倒だ。
仕方ない。1度、この人混みを抜けるか。
俺は後ろを振り返れば、成瀬の手を掴む。
「成瀬、しっかり握ってろよ?この人混みを抜けるために少し強引になる」
「えっ!?……え、ええ」
成瀬の手を引きながら人混みをかき分ける。
海の波よりも泳ぐのに力が要る人の波を何とか抜ければ、少し息を切らしてしまった。
昨日のジャックとの戦いの疲労がまだ残ってるのか、この程度のことで体力を消耗してしまっている。
我ながら情けないな。
近くの大きな木の前に来れば、成瀬は手を離した。
「大丈夫だったか?最低限、身体に気をつけたつもりだけど」
「心配ないわ。私も、あなたほどではないけど身体は丈夫な方だから」
「それは安心した。俺は今から最上たちを探しに行くけど、おまえはどうする?」
「ここで、あなたたちが来るのを待ってるわ。勝手がわからないところで、私まで迷子になりたくはないもの」
「それもそうだな。じゃあ、すぐに見つけて戻ってくる」
「ええ、行ってらっしゃい」
成瀬が作り笑顔で手を振って見送られ、俺は3人を捜しに向かった。
花火までの残り時間、54分。




