執事の葛藤
この監獄では、エリアの昇格と降格を左右するバトルルームの他に、シミュレーションルームという空間が存在する。
バトルルームと似たような作りになっており、2人組エリアでは互いに1人ずつのホログラムを使用し、本番と同じようなバトルをシミュレーションすることができる。
ここで今、俺と雨水は次のバトルに向けて練習をしている際中だ。
そう、練習……のはずだ。
シュッと目の前に突き出された2本の指。
それを顔を傾けて回避しつつ、次に繰り出されたのは左足の回し蹴り。
右腕でガードして弾いた後、1度距離を取る。
「ったく……おまえ、これが練習ってわかってんのか?何か八つ当たりされてる気分だぜ」
「勘違いだ。この程度の軽い運動で音を上げるのか?軟弱になったものだな」
いや、軽い運動レベルで、目潰しなんてしねぇだろ。
そして、ここでブザーが鳴っては1分間の攻防にタイムアウトを告げられる。
この場合、お互いに元居たマスに戻ることになる。
そして、次のターンに再トライすることは可能。
しかし、戻った先が敵のマスだった場合、そのマスに占領して留まることもできし、敵も残留していた場合は攻防戦が開始される。
インターバルを開けながら、俺は雨水に問いかける。
「さっきの幸崎……いや、高原の方か。彼女と会ってから、様子がおかしいぜ?」
「何を言っている?俺は至って冷静だ」
「じゃあ、その隠しきれてない動揺はどう説明する気だ?」
幸崎に向けていた感情は、ストリートな嫌悪。
それは1年生の時の文化祭から、雨水とあいつが相容れないことはわかっていたから納得している。
だけど、高原楓に向ける感情は複雑そうに見えた。
「……要お嬢様の友人、だったんだ」
「だった…?」
過去系な言い回しに対して、怪訝な表情を浮かべて聞き返す。
しかし、あいつはそのことについて深く話そうとはしなかった。
その理由は、俺から視線を逸らしたことで気づいた。
「だったなんて、酷いよ。私は今でも、要ちゃんのことを親友だって思ってるのに」
あいつの目線は、後ろに居る女に向いていた。
噂をすれば影と言うのか、話題の高原本人だ。
そして、俺たちの話をどこから聞いていたのか、雨水に反論している。
彼女の言葉に、あいつは何も言い返さずに背中を向ける。
「やはり、少し疲れたな……。先に上がらせてもらう」
そそくさと離れる雨水に、「あ、おい!」と声をかけるも足を止めることなくシミュレーションルームを出て行った。
残されたのは俺と高原だけでなく、数秒の気まずい沈黙が流れた後に彼女と顔を合わせる。
「何か、意見の食い違い?があるみたいだな」
和泉に対する見解が、主観的な部分と客観的な部分でズレている。
客観的には過去形、主観的には現在進行形。
それも人間関係の面で見解の相違が起きているのは、あまり良くはないだろう。
「椿くん…だよね?意外だよ。君と雨水くんが、このエリアに来るなんて。やっぱり、3年生の先輩たちは強かったのかな」
菅田はこの試験が始まった時に、公共の面前で俺とのバトルを所望していた。
あの時に注目されるのは、当然の話だ。
「流石にな。おかげで次も負けたら、俺か雨水のどっちかは退学だぜ」
「それは私も同じだよ。Sクラスの綾川さんとCクラスの幸崎くんがグループを組んでて、そこに運よく潜り込むことができたんだけど……。さっきのバトルじゃ、幸崎くんは自分勝手に動いて、綾川さんがフォローしていたんだけど……結局、向こうのチームワークに敗けちゃったんだ」
幸崎が組んでいたのは、綾川木葉だったのか。
女帝の側近が、あいつと組むとは物好きなもんだ。
……もしかしたら、紫苑が裏で糸を引いてる可能性があるか。
「それで、引き抜かれたのが綾川だったってわけか。女帝の側近は、人気度がたけぇんだな」
「私じゃ2人について行けなくて力不足だったし、幸崎くんだとワンマンプレイが凄すぎて制御できないからって理由だろうね。実際、綾川さんは実力が高いから、しょうがないよ」
お互いに敗けたら後が無い者同士であり、戦えばどちらかのグループの1人が退学するのは目に見えている。
こういう時、自らを弱者と認めている者は、実力で勝とうとは思わない。
この試験での勝ち残り方は、正当にバトルで勝利することだけじゃないからだ。
「試験の期間は10日間だし、このままずっと、このエリアに居るわけにはいかない。クラスのみんなの足を引っ張らないためにも、私はこの監獄から脱出したいの。要ちゃんのためにも」
「そんなこと、みんな考えることは同じだろ?俺や雨水だって、ここで10日を無駄に過ごす気はねぇよ。……和泉のこと、本当に友達だって思ってんだな?」
俺が確認のために問いかけると、彼女は小さくコクンっと頷いた。
「要ちゃんは今、独りで苦しんでる。だから、私が支えてあげなきゃいけないって思ったんだ。そのためには、この試験をどうしても突破しなきゃ…‼」
「それは梅原改に楯突くってことにはならないのか?」
今のAクラスを束ねているのは、和泉じゃなくて梅原なのは知っている。
そして、奴の名前を出すと、高原は肩をビクッと震わせた。
「だ、大丈夫っ…だよ。だって、梅原くんは……要ちゃんのことを、助けようとしてるって言ってたんだから…‼」
梅原が、和泉を助ける?
その言葉が引っ掛かったが、彼女の精神状態から今は追及を止めておく。
あの男が何を企んでいるのかは気になるが、これ以上Aクラスの問題に切り込んだら、警戒されるのが目に見えている。
これについては、シックス・ロック・スクランブルで目的を果たしてから考えることだ。
前提として、俺たちは崖っぷちに居る。
だからこそ、早くここから抜け出したいと思うのは当然のこと。
その理由を、友情なんて言葉で飾り立てているのは、本心からかどうかは関係ない。
「じゃあ、私たちの考えが同じってことで、1つお願いがあるんだけど、良いかな?」
高原の言おうとしていることは、この状況で何通りか予想することができる。
「俺たちと、戦うつもりか?」
先にその思考を予測して言えば、彼女はそれに対して驚くことなく「うん」と返事をした。
「君と雨水くんのことを、要ちゃんが特別に思っているのは知ってるよ。だから、私は要ちゃんを悲しませたくないし、君たちにも死んでほしくない。だから―――」
高原の考えに口を挟まず、黙って耳を傾ける。
この時に俺の中で、この女は敵だと判断した。
ーーーーー
高原と別れた後、この10日間だけ使用する寝室に戻った。
そこは2人部屋であり、雨水と相部屋だ。
ちなみに、これは男2人のグループだった場合であり、男女のグループだった場合は部屋が別になる。
「勝手に上の方取りやがって……」
2段ベッドの上で、あいつは既に目を閉じながら仰向けで横になっていた。
「こう言うのは早いもの勝ちだ」
寝たのかと思ったが、あいつはそのままの体勢で言ってきた。
「起きてたのかよ?」
「2年生になってから、熟睡はできていない。ただ身体と頭を休めるために、目を閉じていた。2年生に上がってからの目まぐるしい状況の中で、おまえは睡眠は取れていたのか?」
睡眠の重要性なんて、今更確認するまでも無い。
疲労回復が主な効果と思われるだろうが、人は睡眠をとることで、頭の中で情報を整理して自らの成長に繋げている。
それができていないとなると、雨水は常に緊張状態にあると言っても過言じゃないだろう。
「敵意や殺気を感じたら目は覚めるけどな。そうじゃなかったら、朝まで爆睡してることが多いぜ。だけど、寝ると大抵、嫌な夢を見てる気がする」
現実の世界で意識を手放し、夢の中に浸ると広がる光景は3通りに分かれる。
姉さんとの記憶、赤雪姫としての殺戮の日々、そして……目の前で死んだ魔女。
どれもこれもが、共通点として俺に訴えかけているように思える。
『目的を忘れるな』『過去は消えない』と。
どれだけ椿円華として、学園生活を送っていたとしても、俺の手は血で染まっている。
血塗れの獣の手を見て、以前は恐怖を抱くほどだった。
この手がいつか、自分が大切に想っている者を傷つけてしまうんじゃないかと。
だけど、その不安を払ってくれたのが、他でもなく誰よりも守りたいと思った女だった。
あいつが居たから、俺は今も椿円華として生きることができている。
人との繋がりを持ち、守るための覚悟を決めることができた。
こんなところで、手をこまねいている場合じゃない。
「雨水……まだ、頭は働いてるか?」
「仮眠で少しは回復してきたところだが、どうした?」
俺は下のベッドに座りながら、雨水に高原から聞いた提案を話す。
それに対して、あいつは激情することはなく、淡々と聞いてきた。
「その話を聞いて、おまえはどうするつもりだ?彼女からの提案をのむつもりか?」
「まぁ、俺の考えは固まっているけど、決めるのはおまえだと思ってる。同じクラスだろ?それに、和泉と友人関係だった相手だ。この決断は、あまりにも覚悟が要るしな」
この状況を作り出したの人物は、ここで雨水と彼女が相対することまで想定していたのだろうか。
それとも、偶然が生んだ、運命の悪戯か。
どちらにしても、俺としては好都合な展開だった。
「高原楓…。彼女は、入学した時に要に対して初めて声をかけていた女だった。あの時は、2人には立場を越えた友情というものが生まれることを、少しだけ……望んでいたんだがな」
少しかすれた声で、過去の理想を話す雨水。
和泉のことを想って、本当に願っていたことなのだろう。
しかし、その理想は現実に覆されていた。
「俺たちは、こんな所で止まってはいられない」
雨水は自身を鼓舞するように、天井に向かって呟く。
「前に進むためには、非情な決断を迫られることもあるだろう。それによって、憎しみや恨みを買うことになろうとも……。決断する時は、今だ」
「そう言うってことは……良いんだな?」
俺が最終確認のために問いかければ、雨水から言葉は返って来なかった。
代わりに聞こえてきたのは、小さな呼吸音だった。
「……気絶したか。なんつータイミングだよ」
無理矢理起こしたら、明日以降のバトルでパフォーマンスに直結するかもしれない。
俺も頭と身体を休めるために、目蓋を閉じて呼吸に意識を集中させた。
明日、俺たちは悪魔の決断を迫られることになるだろう。
どんな未来に進むとしても、後味は決して良くはない。
「誰かを地獄に突き落とす覚悟…か」
呟きながら、今日見るであろう夢の内容が予想できた。
多分、赤雪姫だった時のことだろうな。
人殺しとなる覚悟を、固めるために。




